日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

投稿原稿 ~ 金融危機と「ベイスターズ定期」

2011-02-01 | その他あれこれ
私の出身企業のOB会が、会社が今年創立90周年を迎えるにあたって、記憶に残るエピソードをお持ちの方はぜひ投稿をというお話があったので(実は募集の事実を知らず締め切られていたのですが、まだ追加でOKというので)、以下のような原稿を書いてみました。思い出しながら書いてみたら意外に面白い出来事で、広くお知らせしてもいいのではと思いここにも掲載してみることにしました(Webでは一部固有名詞は伏せさせてただきました)。

=以下原稿=

98年は前年11月の山一証券廃業のショックを受けて、年初から金融危機の嵐が吹き荒れていました。私はその年の4月に出向先の全銀協から戻り、本部の支店推進部と言う営業部門で広報グループのチームリーダーを拝命していました。毎週金曜日に開催される、担当常務を囲んでの推進役および各グループ・リーダーでの個人部門会議では、低迷を続ける自行の株価に嫌気して流出を続ける個人預金を、いかに繋ぎ止めるかが毎度毎度中心テーマとなっていました。一方ちょうどその年は、そんな銀行の危機的状況を尻目に、プロ野球の横浜ベイスターズが快進撃を続けお盆前には早くも38年ぶりのリーグ優勝かと、地元は大変な盛り上がりをみせていました。私は当時金曜日の会議では圧倒的若輩者で、いつも隅でおとなしくしていたのですが、あまりに毎週毎週「何か預金流出を止める手立てはないのか」「なんとかしろ」という投げかけばかりで話が進まないので、ある時に思い付きで一言言ってみたのです。

「あのぉ、横浜ベイスターズの優勝応援定期預金というのを商品化して、金利を勝率連動にするとか優勝確定時にボーナス金利をつけるとか、ベイスターズ・グッズを預金誘導の景品で配布するとか、ダメですかね」。

一瞬会議室の時間が止まったのをハッキリと覚えています。同席の推進役や他のグループ・リーダーたちは、「何お気楽なこと言ってやがんだよ、この大変な時に。出向帰りのボケ作が!」という目で私の顔を一斉に見たような、そんな気がしました。私も「言わなきゃよかったかなぁ・・・」とその場の空気を読んで後悔したその瞬間でした。「なんで、それをもっと早く言わないんだ。すぐやれすぐ、仕組みとサービス品を決めて現場では来週から予約券を配布してどんどん預金を集めろ。その手があったじゃないか。うちは地元銀行なんだから、好調ベイスターズの力を借りようじゃないか!」と常務が大きな声で言ったのです。先ほどの皆の冷たい視線は一瞬にして消え去り、部長以下一斉に「すぐ商品とキャンペーンの内容を決めてくれ」「頼むぞ、銀行の浮沈がかかっているんだからな」「とにかく現場を盛り上げてくれ」と皆が激を飛ばし始めました。

こうして、私の思いつきの一言から「ベイスターズ定期」は突如猛スピードで動きだしました。ところが思いつき故、何の準備もありませんからそこからが大変でした。金利をどうするか等の商品スキームは個人企画と市場部門に任せたものの、ベイスターズの名称やキャラクター「ホッシーくん」を使ったグッズやポスターの製作には限られた時間の中で球団事務所の了解を得る必要があり、これが大変な難問だったのです。連日ベイスターズの球団事務所へ足を運ぶ日々がスタートしましたが、先方は「地元銀行だからと言って特別扱いはできない」「商品名への名称使用の可否は親会社の判断が必要」「ポスター・サービス品へのキャラクター使用はダメ」等々、折衝事項の隔たりは大きく、その間にもどんどん時間はなくなっていきました。実はこの折衝の最中、行内的にはすでにキャンペーン内容は決定済みで、ホッシーくん入りのポスターも通帳ケースも記念プレートも大量に発注済みだったのです。万が一先方のOKが取れなければ、これらはすべて無駄になってしまう。これは大変危険な賭けでありましたが、ノロノロしていればベイスターズの優勝が決まってせっかくのビジネスチャンスを逃してしまう訳で、止むにやまれぬ決断だったのです。連日プレッシャーで押しつぶされそうな状況下、“ベイスターズ詣”を続けまずがなかなか色よい返事はもらえません。

そして今日がリミットというまさにその日でした。いつも以上のこちらの追い込まれた雰囲気に、先方の責任者である取締役のT部長が異常を察知したのか、突然若い担当者に席を外させてこう言いました。
「分かりました。私の責任ですべて了解します。好きにやってください。やったことの報告だけ、直接私にください」
「本当ですか!ありがとうございます」
涙が出るほどうれしい一言でした。
「本当によろしいんですね」と念押しする私に、
「私も親会社の大洋漁漁業で苦労しましたから、苦境に立たされた企業の大変さがよく分かります。また同じ地元企業として御行には、がんばってもらわないといけませんから」
あの当時の先方の部長さんの男気と、地元を持つ我々の生業のありがたさを痛切に感じさせられた瞬間でした。

「ベイスターズ定期」のキャンペーンは各店で行列ができるほどの大ヒットとなり、TVの「ニュース・ステーション」はじめ複数のTV取材も受け番組内で取り上げられました。その効果もあり流失した預金は戻り始め、金曜日の会議でも「この大変な時期に信頼感№1の都銀M銀行の帯封現金で窓口にご来店されるお客様が増えて、自信を持って仕事ができるようになりました」などの現場からの声が聞かれるようになり、本当にうれしく思ったものです。この効果もあって、株価も徐々に落ち着いていきました。銀行90年の歴史の中で、あれほどまでに会社存続の危機を皆が感じさせられた経験は他にないでしょう。その危機脱出に力を貸してくれたベイスターズ球団が、昨年来「経営不振で球団身売りか?」とのニュースを耳にするにつけ、今度は銀行があの時の恩返しする番?と思う今日この頃です。