日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№39 ~ 天才二人が起こした“出会い頭の奇跡”

2008-09-07 | 洋楽
昨日のアメリカをプロデュースしたジョージ・マーチンには、後世に残る70年代最大の功績と言える仕事が別にあります。ロック三大ギタリストのひとり、ジェフ・ベックと組んでの過去に例のないギター・インストアルバムの制作がそれです。

№39   「ブロウ・バイ・ブロウ/ジェフ・ベック」

ジェフ・ベックと言えば、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジと並ぶ稀代の名ロック・ギタリストです。68年にあのロッド・ステュワートと組んだ第一期ジェフ・ベック・グループは元祖ハードロック・バンドであり、ジミー・ペイジがそれをヒントにして、レッド・ツェッペリンを結成した話は、あまりにも有名です。75年にそのジェフ・ベックをして、一転“聴かせる”ギター・アルバムを作らせたのが、かのジョージ・マーチンだったのです。

ギター・インストアルバムの着想は明らかにベックです。だがどうやって形にすればよいのか…。悩む彼の頭に浮かんだのが、同じアプローチをジャズ側から試みていたジョン・マフラフリンのアルバム「黙示録」をプロデュースしたジョージ・マーチンだったのでしょう。彼を口説き落として、ロックサイドからのギター・インストアルバムの制作協力を引き出した訳です。

歌は一切なし、全曲インスト・ナンバー。しかもギターがリズムを刻み、ギターが歌う、今までにないアルバム。ロック、ジャズ、ファンク…様々な要素が入り混じって、新しい音楽ジャンルの誕生を十分に予見させる素晴らしい作品に仕上がったのでした。このアルバムなくして、その後のクロスオーバーやフュージョンの流れは生まれえなかったのではないでしょうか。その意味で、70年代後期以降の音楽界の大きな一つの流れを作り出したアルバムであると思います。

ビートルズ・ナンバーのA2「シーズ・ア・ウーマン」はマーチンならではの選曲ですが、これをレゲエで料理する発想は当時としてはあり得ないセンスであり、このあたり後のジョージ・ベンソンやアール・クルーらへの影響ははかり知れません。また、A4「エア・ブロワー」A5「スキャッター・ブレイン」は、まさにクロス・オーバーそのもの。後にロックに急接近した、ジャズ畑のラリー・カルトンやリー・リトナーへの影響をも連想させる部分でもあります。

もうひとつのこのアルバムの聴きどころと言えるのがバラードナンバー。スティービー・ワンダー作のB1「哀しみの恋人達」は、メロディの素晴らしさもさることながら、ベックの哀愁漂うソロの見事さはサンタナにも負けずとも劣らぬ見事さです。このアルバムが、単なる玄人好みのインストアルバムに終わらずに、全米アルバムチャート4位まで上昇したヒットアルバムになり、今の時代に至るまでギターアルバムの名盤として語り継がれる所以はこんなところにもあるのではないかと思います。

次作「ワイアード」もベック・ファンには人気ですが、過激なキーボードのヤン・ハマーと対峙する演奏パターンは、ある意味ロッド・ステュワートのボーカルとしのぎを削っていた過去のベックと同じものであり、センスの点では本アルバムに遠く及びません。「奇跡は二度起きない」―。「ブロウ・バイ・ブロウ」は、まさにそんな言葉を地でいく、天才ギタリストと天才プロデューサーの出会い頭の“奇跡”だったのかもしれません。