日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№41~父に導かれたマーヴィンの「成功」と「悲劇」

2008-09-20 | 洋楽
「70年代の100枚」初の黒人アーティストの登場です。マーヴイン・ゲイ。「本当のソウルを聞きたいならマーヴイン・ゲイを聞け!」と言われていたその人です。

№41   「レッツ・ゲット・イット・オン/マーヴイン・ゲイ」

一般的にマーヴィン・ゲイと言うと、このアルバムよりも前作「ホワッツ・ゴーイング・オン」が歴史的名作とされています。「ホワッツ…」は、反戦や環境問題を取り上げたモータウン・レーベル初のコンセプトアルバムであり、2008年時点の後追い評価で考えるなら断然の存在感があると思います。しかしながら、セールス面で見れば「ホワッツ…」は全米アルバムチャート4位。一方の本作「レッツ…」は2位。それぞれのタイトルナンバーは、「ホワッツ…」が2位、「レッツ…」は見事全米1位に輝いており、“全米TOP40フリークの”という本企画趣旨から「レッツ・ゲット・イット・オン」の方を100枚に選びました。個人的重要ポイント、ジャケットのデザインも断然こちらがイカしています。

黒人牧師の息子として育ったマーヴィンが、その魂を震わせて制作したプロテスト・スピリッツにあふれたコンセプト・アルバムである71年の「ホワッツ…」は、黒人レーベル=モータウンのアーティストとしてエポックメイキングな作品であります。しかし、そのスピリットを昇華させつつ制作された73年の「レッツ…」では、マーヴィンが持てる人間的かつ芸術的感性のすべてをさらけ出し、人種のわけ隔てを越えるべくより普遍性の高い「愛」と「性」をテーマに大いなる躍動を見せています。

その意味では、後に続く黒人ミュージシャンたちへ多大な影響を与えた、白、黒の区分けを前提としないアーティスト=マーヴィン・ゲイの誕生がより強く感じられるのは、この「レッツ・ゲット・イット・オン」の方のではないかと思います。タイトルナンバーがR&BチャートだけでなくPOPチャートでもトップに立ったという事実は、当時としては本当に大きな意味を持っているのです。

この№1ソングA1「レッツ・ゲット・イット・オン」のソウルフルでセクシーな歌いっぷりには、本当にノック・アウトを食らわせられます。マーヴィンの歌もさることながら、それを盛りたてるバックメンの演奏も抜群のグルーヴ感です。それもそのはず、クルセイダースのメンバーをはじめとするジャズ・フュージョン畑の腕ききたちが集められ、マーヴィンが彼周辺の人脈を結集して作ったまさに入魂の一作なのです。こうした、ジャズ・フュージョン系ミュージシャンとの交流は、後のAOR誕生にも大きな影響を与えたとも言えるでしょう。

さて、彼を語る上ではずせない牧師の父の話。父ははあまりにも厳格な性格で、その厳しい躾への反発こそが彼のアーティスティックな感性のよりどころでもあったと聞きます。「ホワッツ・ゴーイング・オン」と「レッツ・ゲット・イット・オン」は、前者は「平和」や「宗教」観、後者は「愛」をテーマに、現れた表現方法は異なってはいるものの、それぞれが父への反発をよりどころとしてきた、そんな彼の芸術表現がひとつのピークを迎えた証しでもあったのだと感じられます。

84年春、自宅でその厳格な父親と口論の末、逆上した父親が彼に発砲、マーヴィンは44年の短い生涯を閉じることになります。彼の悲劇的な「終焉」を思い出すにつけ、70年代前半にアーティストとしてピークを迎えた彼の「成功」は、「父との関係」という決して崩すことのできない「宿命」の上に立っていた“砂上の楼閣”だったのだと感じさせられ、なんとも切ない気分にさせらせられます。