リーダーシップについて。
成長をしている中小企業をみてみると、たいていの場合「ワンマン」と言われる経営者がいます。言ってみると、その「ワンマン社長」の手腕ひとつで、そこまでの成功に導いて来たと言うことであります。
そして大抵の場合、ある程度の規模になると、そこからの成長が非常に難しくなるものでもあります。大半のケースでは、判を押したように同じような状況に陥るのです。
ある一定の規模までは社長がひとりで引っ張っていけたものが、ある瞬間から急にそれができなくなる。いわば“ひとり管理”の限界が訪れたのです。「○○商店(○○はち社長の名前)」が「○○株式会社」にならざるをえなくなった瞬間であるとも言っていいでしょう。
一般的にモノの本などには、業容が拡大し組織が大きなってきたら、社長のワンマン管理から権限委譲を行い分権化を実現しなくてはいけないと書いてあります。でも、それが簡単にできれば誰も苦労しないんですね。社長業の分業化ほど難しいものはありません。
成功体験のあるワンマン社長に、「あなたの仕事を何人かに分けてあげなさい」と言っても所詮は無理な相談でしょう。「自分がやるのが一番うまくいく。人に任せたらボロボロになってしまうよ」。10人中8人から9人からは、きっとそんな答えが返って来るにちがいありません。でも、それを乗り越えていかなければ会社は大きくなれないのです。
どうしたら、社長は“自分の分業化”を割り切れるのでしょうか?
ひとことで、社長の気持の切り替えが必要なのですが、そのヒントは「会社は誰のもの?」という質問にあります。自分が全部見て、全部管理して、全部決裁して・・・、これは社長の気持がすべて「俺の会社」的発想なのです。
「小さな企業」のうちは、「俺の会社」でいいんです。むしろ「俺の会社」として、しっかり社長がすべてを見渡すことで、順調な成長ができる訳で。逆に「小さな会社」のうちに「俺は営業の先頭に立つから、あとはまかせたぞ!」では、むしろ足元がおぼつかない会社になってしまうのではないかと思います。
ある程度のサイズに成長すると、社長一人ではすべてを見ることが難しくなってくることに気づきます。たとえば、営業所を作って形の上で所長は置いたものの社長が「何を買うにも俺に言え。お前らには任せられない」と考えたとしましょう。所長は形だけの所長ですから、権限はなく、部下も所長ではなく社長を見て仕事をするでしょう。当然所長のモラールはあがりません。でも社長はきっとこう言います。「管理者が育たない。管理者不在だから、営業所はバラバラでルールも規律もあったもんじゃないよ。俺が目を光らせてないとどうにもならないんだ。でもこれ以上拠点を増やしたら、俺一人じゃどうにもならない、もう拡大は限界だよ。いい案はないかね」。
よくあるお話です。
もうこのサイズになってくると、「俺の会社」じゃないんです。例え出資が100%社長であっても、社員が自主的に動いてくれなかったらもう、会社として前に進まなくなった段階、その時点ですなわち「俺と社員の会社」になったんです。「俺の会社」の間は、社員は“俺”の手足として動いていればそれでOKだったんですが、「俺と社員の会社」規模になると、もう単なる“手足”じゃダメで意思(=判断能力)の伴った手足が必要になるんですね。
「俺の会社」型から「俺と社員の会社」型への脱皮。これは、社長の気持の切り替え、決心ひとつにかかっています。これは本当に本当に大切なことです。難しい言葉で言えば、「権限と責任の委譲」ということになるのですが、頭で分かっても気持で「俺の、俺の」「俺が、俺が」を捨てないと、なかなかこの脱皮は難しいんです。
将来的に「上場」を考えたいなんて言う企業なら、さらにその先に「俺と社員と株主の企業」という次の段階に向けた、もう一段の脱皮が必要なわけです。「俺の会社」スタイルで経営している急成長の中小企業が、おだてられ「上場目指しましょう」なんて言われて「上場準備」に入ったものの、1年もするとあっさり断念なんてことを間々耳にしますが、調べてみるとその理由が、まさに社長が“脱皮”ができないことだったなんていうのは、よくある話なんです。
この項目、また次回の「経営のトリセツ」で続きをお話します。
成長をしている中小企業をみてみると、たいていの場合「ワンマン」と言われる経営者がいます。言ってみると、その「ワンマン社長」の手腕ひとつで、そこまでの成功に導いて来たと言うことであります。
そして大抵の場合、ある程度の規模になると、そこからの成長が非常に難しくなるものでもあります。大半のケースでは、判を押したように同じような状況に陥るのです。
ある一定の規模までは社長がひとりで引っ張っていけたものが、ある瞬間から急にそれができなくなる。いわば“ひとり管理”の限界が訪れたのです。「○○商店(○○はち社長の名前)」が「○○株式会社」にならざるをえなくなった瞬間であるとも言っていいでしょう。
一般的にモノの本などには、業容が拡大し組織が大きなってきたら、社長のワンマン管理から権限委譲を行い分権化を実現しなくてはいけないと書いてあります。でも、それが簡単にできれば誰も苦労しないんですね。社長業の分業化ほど難しいものはありません。
成功体験のあるワンマン社長に、「あなたの仕事を何人かに分けてあげなさい」と言っても所詮は無理な相談でしょう。「自分がやるのが一番うまくいく。人に任せたらボロボロになってしまうよ」。10人中8人から9人からは、きっとそんな答えが返って来るにちがいありません。でも、それを乗り越えていかなければ会社は大きくなれないのです。
どうしたら、社長は“自分の分業化”を割り切れるのでしょうか?
ひとことで、社長の気持の切り替えが必要なのですが、そのヒントは「会社は誰のもの?」という質問にあります。自分が全部見て、全部管理して、全部決裁して・・・、これは社長の気持がすべて「俺の会社」的発想なのです。
「小さな企業」のうちは、「俺の会社」でいいんです。むしろ「俺の会社」として、しっかり社長がすべてを見渡すことで、順調な成長ができる訳で。逆に「小さな会社」のうちに「俺は営業の先頭に立つから、あとはまかせたぞ!」では、むしろ足元がおぼつかない会社になってしまうのではないかと思います。
ある程度のサイズに成長すると、社長一人ではすべてを見ることが難しくなってくることに気づきます。たとえば、営業所を作って形の上で所長は置いたものの社長が「何を買うにも俺に言え。お前らには任せられない」と考えたとしましょう。所長は形だけの所長ですから、権限はなく、部下も所長ではなく社長を見て仕事をするでしょう。当然所長のモラールはあがりません。でも社長はきっとこう言います。「管理者が育たない。管理者不在だから、営業所はバラバラでルールも規律もあったもんじゃないよ。俺が目を光らせてないとどうにもならないんだ。でもこれ以上拠点を増やしたら、俺一人じゃどうにもならない、もう拡大は限界だよ。いい案はないかね」。
よくあるお話です。
もうこのサイズになってくると、「俺の会社」じゃないんです。例え出資が100%社長であっても、社員が自主的に動いてくれなかったらもう、会社として前に進まなくなった段階、その時点ですなわち「俺と社員の会社」になったんです。「俺の会社」の間は、社員は“俺”の手足として動いていればそれでOKだったんですが、「俺と社員の会社」規模になると、もう単なる“手足”じゃダメで意思(=判断能力)の伴った手足が必要になるんですね。
「俺の会社」型から「俺と社員の会社」型への脱皮。これは、社長の気持の切り替え、決心ひとつにかかっています。これは本当に本当に大切なことです。難しい言葉で言えば、「権限と責任の委譲」ということになるのですが、頭で分かっても気持で「俺の、俺の」「俺が、俺が」を捨てないと、なかなかこの脱皮は難しいんです。
将来的に「上場」を考えたいなんて言う企業なら、さらにその先に「俺と社員と株主の企業」という次の段階に向けた、もう一段の脱皮が必要なわけです。「俺の会社」スタイルで経営している急成長の中小企業が、おだてられ「上場目指しましょう」なんて言われて「上場準備」に入ったものの、1年もするとあっさり断念なんてことを間々耳にしますが、調べてみるとその理由が、まさに社長が“脱皮”ができないことだったなんていうのは、よくある話なんです。
この項目、また次回の「経営のトリセツ」で続きをお話します。