日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「70年代洋楽ロードの歩き方28」~ローリング・ストーンズ6

2010-12-26 | 洋楽
しばし間が空いてしまいましたが、年内最後にストーンズまで終わらせておきます。

60年代末から始まった“ストーンズ・スタイル”づくりはロン・ウッドの加入で遂に完成し、不動のメンバー構成が確立されました。時を同じくして70年代後半に音楽界に新たなムーブメントが巻き起こります。ひとつは空前のディスコ・ブーム、今ひとつは“アフター・ザ・ビートルズ”時代の終わりを告げるパンク、ニューウェーブの勃興でした。このような新しい流れを受けて、70年代前半に隆盛を誇った英国のグラムヒーローや米国のスワンプロッカーたちは翻弄されすっかり影を薄くしていきます。そんな状況にあって自分のスタイルを完全に確立したストーンズは、全く動じることなく時代の荒波の中、自身のスタイルを基調にした活動で一層存在感を増していくのでした。

ロン・ウッドが初めて全編参加した79年のアルバム「サム・ガールズ」はまさしく、王者ストーンズによる新たな時代の到来に対する堂々たる返答でありました。まず、何よりも驚かされたのは、ストーンズがディスコ・ビートを全面的に取り入れたA1「ミス・ユー」(2010年の現時点で彼ら最後の№1ヒット)。当時ビージーズをはじめとしたホワイト系ディスコ・ナンバーが人気を集める中、リズムこそディスコのそれを借りながらも黒っぽさも感じさせる完璧な“ストーンズスタイル”に仕上がった驚くべきナンバーでした。このあたりのストーンズの凄さは、同時期に「アイム・セクシー」でディスコに挑戦したロッド・ステュワートが、完全にディスコ・ブームに媚びて飲まれていたのと好対照だったことからもよく分かると思います(こちらも曲は№1になったものの、ロッドはここをピークに急激な人気下降線をたどるのです)。

さらにパンク・ニューウェーブに対しても、新勢力から真っ向勝負を挑まれた王者としてB2「リスペクタブル」B5「シャタード」などのソリッドなナンバーで正面から受けて立つ姿勢を崩しませんでした。この貫禄とも言える対応に、過激なニューロッカーたちの登場を少なからず疎ましく感じていた長年のストーンズ・ファンは、「さすが兄貴!」と溜飲を下げ、来るべき80年代も「ストーンズ健在なり」を確信したのです。実際この後80年代以降のストーンズは、70年代に確立した“ストーンズ・スタイル”を決してゆるがせにすることなく、時代時代の新たな波も自身のスタイルのなかに取り込み決して、他のどのバンドも真似が出来ないようないわゆる“ストーンズ的な”活動を現在に至るまで続けているのです。

さて最後に、70年代のローリング・ストーンズの「正しい聞き方」を総括しておきます。60年代末期ルーツ・ミュージックへの接近を機に、シングル・ヒットメーカーからの脱皮をはかり、独自の音楽性を築き上げたストーンズ。70年代のアルバムはすべて必聴盤であると思います。なぜなら彼らは、他の誰よりも70年の音楽的メインストリートのド真ん中を歩いていきたバンドであり、ルーツ・ロックを基調とした60年代の総括的①「スティッキー・フィンガーズ」②「メインストリートのならず者」、都会派に移行しつつもつかみどころがなく混沌とした印象が強い70年代中期の③「山羊の頭のスープ」④「イッツ・オンリー・ロックンロール」⑤「ブラック&ブルー」、そしてスタイル確立後ディスコ、パンクに対して明確な回答を突き付けた⑥「サム・ガールズ」の各アルバムは、単に彼らのルーツや歴史にとどまらず、ある意味70年代の音楽界の流れをかなり明確に教えてくれる生きた資料でもあるのです。

少しでもストーンズや70年代ミュージックに関心のある人は、ぜひこれらストーンズの70年代アルバム6枚を年代順に聞いてみることをおススメいたします。彼らの歴史だけでなく、70年代の音楽シーンがどのような変遷をたどって80年代以降の「MTV全盛→洋楽不毛」の時代に入っていったのかが、ご理解いただけることと思います。この6枚の他にもう一枚忘れてならないのがライブアルバム⑦「ラブ・ユー・ライブ」。30年以上を経た今も“現役”を続ける“世界最強のライブバンド”ストーンズが、すでにこの時代に今の“王道スタイル”を確立させていたことを実感できる最強のライブなのです。70年代の洋楽を正しく理解する上では、これを加えた①~⑦の7枚すべてが必聴と言えるのです。
(この項おわり)

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