日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

昭和49年村田クンの教え 5~映画「ウッドストック」で知ったロック創世記の風景

2010-01-24 | その他あれこれ
ザ・フーにはまった私に村田クンが出した次なるキーワードは、「ウッドストック」でした。

私「ウッドストック?またイギリスのバンド?その名前の由来って、スヌーピーのマンガ?」
彼「バカ、ウッドストックも知らねーで、よくロックファンとか言ってるよ」
私「???」
彼「ウッドストックはな、ラブ&ピースの象徴として若者を共感させた69年の一大ロックイベントだよ。その様子は映画になっていて“動くフー”が見れるんだぜ」
私「へぇ~」
彼「もちろんフーだけじゃなくて、映画「ウッドストック」はスゴい記録映画なんだ。これを見ないでロックは語れねぇな」
と言いながら、彼が休み時間にクラスメイトの「ぴあ」を取り上げて調べたらたまたま1館だけ近々の上映予定がありました。飯田橋ギンレイホール。うーん、なんとも怪しい名前。しかも「バングラディシュのコンサート」との2本立て。彼によれば「バングラはどうでもいいけど、ディランがでるシーンだけは必見だな」とのこと。当時はバングラも知らなければ、ディランってそんなにいいの?って状態でしたから、まぁこの辺りは聞き流し状態。翌週5時限で終了の日に、授業が終わると「“動くザ・フー”を見に」一目散にギンレイホールへ向かいました。

「ウッドストック」は、当時からさかのぼること5年前の69年に3昼夜かけて40万人の若者を集め、米NY州郊外で開催された当時史上最大と言われたロックイベントで、ザ・フーの他にもジミ・ヘンドリクス、ジェファーソン・エアプレイン、サンタナ、テン・イヤーズ・アフター、ジャニス・ジョプリン…等々、錚々たるメンバーが出演者として名を連ねた、まさしく伝説のイベントです。もちろん当時の私はそんなことを知る由もなく、見に行く前には「サンタナとかジミヘンは聞いたことあるけど、フー以外の出演者は小モノだなぁ」などと発言して、村田クンからバカ呼ばわりされてもいました。

彼「フーのカッコ良さはもちろんだけど、この映画は日本じゃ絶対見れない知る人ぞ知る大御所のライブが満載だからとにかくしっかり見てこいよな。見どころはな、いきなりギター一本で大観衆を圧倒するリッチー・ヘブンス、ジョー・コッカーのビートルズ・ナンバーの独自解釈もスゲーぞ。カントリー・ジョー・マクドナルドにウディ・ガスリーの息子のアーロ。イッちゃってるスライ&ファミリーストーンに驚異の早弾きギター、テン・イヤーズ・アフターのアルヴィン・リー。サンタナも今みたいなコマーシャリズムに乗る前で、ものすごい演奏を聞かせてる。俺のイチオシはな、元ラヴィン・スプーンフルのジョン・セバスチャン。いずれにしろものすごいパワーに溢れた映画だから心して見て来いよ!」
そんなこんなで、いろいろ言われて覚えきれない情報を頭に入れつつ映画館に向かった訳です。

ギンレイは封切館で場末の映画館風情ながら、その日の客の入りはまずまず。長髪・丸メガネみたいないかにもの当時のロック兄ちゃんロック姉ちゃんもいたりして、映画の途中でごひいきのアーティストが画面に出るたびに場内から拍手が起こるいう、一種異様なムードが漂っていました。映画は一本目がいきなり「ウッドストック」でした。初めて見るアーティストたちが続々登場して、どれもこれも画面一杯のものすごい迫力で迫ってきます。お目当てのザ・フーは意外に早い登場で夜の闇の中での「シー・ミー・フィール・ミー」。拍手をしようか迷っていると、近くの兄ちゃんが割れんばかりの大拍手。私もこれに便乗して遠慮がちに拍手を。他にも2、3人が続いてくれて「なるほどそれなりに“通”がいる訳だ」と納得でした。初めて見る動くフーには大感激でした。ピートの飛び跳ねや風車カッティングのスローモーションに、思わず「スゲー…」と漏らして放心状態。心の中で「これからずっとフーのファンで行くぞ!」と誓ったのでした。

他に印象に残ったのは、ジェファーソン・エアプレインのグレース・スリック姉さんの存在感あるボーカル、アルヴィン・リーの早弾き、それと村田クンのイチオシ、ジョン・セバスチャンの心あたたまる風貌と歌でした。なにしろ、この映画3時間以上の長尺モノで、しかもエネルギー消費の激しいロック・コンサートですから、終わった頃にはグッタリ。その後の「バングラディシュのコンサート」は、何となくぼーっとスクリーンを追っかけていました。ただハッキリ記憶をしているのは、ウッドストックよりもバングラの方が明らかに映画館内は盛り上がっていたという事。元ビートルズのジョージ・ハリスン主催で、クラプトン、ディランという当時の日本でも名の知れたビッグ・ネームが登場する映画ですから、当時の日本ではやむを得ないですね。ただ私はその段階で、やっぱりビートルズ人気に全く頼らずウッドストックにあれだけの人が集まった69年時点でのロック・パワーこそ、日本にはない新たなうねりであると感激したのでした。

映画館を出たのは夜の9時半を回ってました。「こんな遅くなって怒られちゃうなぁ」と中学3年生の私は思いつつも、頭の中はウッドストックへの想いで一杯。まだまだ消化不良の状態ではありましたが、村田クンの指導の下またも新たな一歩を踏み出した気がしたのでした。
(つづく)