~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

ビューローさん

2012年02月27日 21時06分13秒 | 交響曲・管弦楽曲等

以前から、気になって仕方ないのが、ハンス・フォン・ビューロー

リストの娘コジマと結婚し、夫婦でワグナーを信奉。がしかしコジマはその後ワグナーの妻になり、ビューローのほうは、ワグナーのもとを離れてブラームスの支持者になったという・・・・。

「ドイツ3大B(バッハ・ベートーヴェン・ブラームス)」や、「ベートーヴェンの第10番(ブラームスの第1番交響曲を称して)」など、の名言もビューローのものと言われているし、

ベルリン・フィル初期の常任指揮者だし、ピアニストとしてもリストの弟子ですばらしい腕前だったというし、ほんとに偉大な方であったのですが、

聴衆を啓蒙せねばという意識のあまり、お客さんを閉じ込めたままベートーヴェンの第9番を2回続けて演奏した・・・・とかいう、「そ、それはほんとですか?」なエピソードも残されているようです。

以下、wikipediaからの略歴。 

 

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9歳でフリードリヒ・ヴィーククララ・シューマンの父)にピアノを師事。ライプツィヒ大学で法律を学びながらも音楽の道を選ぶ。ピアノ演奏でフランツ・リストに賞賛され、その知遇を得る。リストが庇護していたリヒャルト・ワーグナーにも心酔し、指揮を学ぶ。ワーグナーの楽劇トリスタンとイゾルデ』や『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を初演。当時、ドイツ・オーストリアの音楽界はワーグナー派、ブラームス派に二分され、両者の確執が激しかったが、ビューローは、当初はワーグナー派の代表的存在であった。

1857年、リストの娘コジマと結婚、2子を儲けるが、やがてコジマはワーグナーと恋愛関係に陥り、1866年にコジマはワーグナーと同棲に至る。1869年にビューローはコジマと離婚するが、コジマはその間にもワーグナーとの子を、1865年イゾルデ、1867年エーファ、1869年ジークフリートと3人生んでいる。この後、ビューローはワーグナーから離れてブラームスとの親交を深め、その作品を積極的に取り上げるようになる。ただし、ビューローはワーグナーへの信奉から、コジマの不倫を暗黙のうちに了承していたともいわれ、この間の経緯については諸説がある。

1880年マイニンゲン宮廷楽団の指揮者。このころ、リヒャルト・シュトラウスを見出し、助手としている。リヒャルト・シュトラウスの手紙によれば、ブラームスの交響曲第4番の初演時には、ブラームスが指揮をし、ビューローが大太鼓、リヒャルト・シュトラウスがトライアングルを担当したという。1882年に創立されたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任。現在、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団には、ビューローの名を冠した栄誉賞がつくられている。

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そうですか~、ヴィークの弟子だったんですね。

それにしても、ブラームスの交響曲第4番初演時の話はすごい。

<ブラームスが指揮をし、ビューローが大太鼓、リヒャルト・シュトラウスがトライアングルを担当したという>

・・・・ぜいたくすぎる。



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4 コメント

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エジソン (Loree)
2012-02-28 07:33:31
伝説によると、エジソンは発明したばかりの蝋管式蓄音機でビューロー指揮するベートーヴェンのエロイカ全楽章を録音したそうですが、今となっては誰も聴いたことがありません。その蝋管はいったいどこにあるのでしょう(汗)
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Unknown (よっしー^^)
2012-02-28 08:17:36
ワーグナー派とブラームス派は当時仲が悪かったわけですが、
ビューローさん、ワーグナーを信奉して、ブラームスの指揮で、大太鼓を叩くとは・・・
いったいどういう方だったんでせうか?(汗)
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Loreeさんへ (仮装ぴあにすと)
2012-02-28 17:28:25
そうらしいですね。幻の蠟管。ほんとどこへ行っちゃんたんでしょうか?発見されたらすごいですよね~!
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よっしー^^へ (仮装ぴあにすと)
2012-02-28 17:31:07
奥さんとられちゃったから、反対側へ振れちゃったんでしょうかねえ。そのブラームスとも喧嘩して一時期疎遠だったようですね。もっともブラームスは近しい人と喧嘩しては別れ、数年して仲直りする・・・の繰り返しっぽいですけど(汗)。
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