世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

高齢者 直撃!医療改悪!負担!高進!!

2006年06月15日 | Weblog

議員諸公は一般的に平均以上の恵まれた高所得の方々である。その人達が社会の底辺で喘ぎ細々と日々の生活を強いられながら生きている高齢者の実態を考慮できずに法案を可決していく。今回の場合は「高齢者の医療制度改革法」が成立した。・・・

1.10月から「70歳以上で現役並の所得」(夫婦2人世帯で年収520万円以上)がある人は窓口負担が3割(現行2割)に引き上げられる。

2.長期療養の療養病床で入院する70歳以上の患者は食費や光熱費等、居住に必要な費用が原則 "自己負担" となる。

3.窓口負担は2,008年度からは現役より所得が少ない "70歳~74歳" も2割(現行1割)となる。

4.同年度には "75歳以上" の高齢者を対象に「後期高齢者医療制度」を創設し保険料率を都道府県別に設定する仕組みを設ける。

■そのため高齢者の医療費がかさんだ都道府県は保険料率が上がるために医療費抑制に繋がる事が期待される。となっている。

▲その他も既に改悪?(改善と思いたい)が用意されている、と囁かれている。

・・・とエスカレート式に「負担増」を強いられる結果になる。物言わぬ・物言えぬ高齢者の悲哀である。・・・

意見を具申できずに黙認していると "黙殺同然" に国家の財政・債務超過・赤字・後世の負担増 云々の大義名分で大鉈を振るいバサリバサリと切っては落とさずに・・・容易く安易に可決していく。負担増を強いる前に、バッサバッサと文字通り真に切って落とすべき「無駄・汚職」の "巣窟" とも言うべき『特別会計』が在る。そこを、それこそ大鉈を振って合理的に整理してから必要最小限の部署のみを残置すべきである。 「31から→7」も未だ生ぬるい。  "独立行政法人" とか 特別何とか やらの名分で居残・残置する自体・事態、腑に落ちない(国民が納得出来る必要最小限の部署なら残置すべきであるが・・・)。庶民感覚では到底、理解できない。 「特別会計」の整理の余地は、まだ十分ある、と思う。そこを整理統合してからなら高齢者の医療制度改革(改悪ではなく)法も納得できるであろう、と思う。

 


"日本の未来像"と「ポスト小泉」の課題!

2006年06月14日 | Weblog

あと4日で国会の会期は終了する。巷では9月8日に告示、20日に自民党総裁選、即 次期総理の誕生が取り沙汰されている。 「ポスト小泉」の方々も総理のロシヤ・サミット後に何らかのかたちで出馬表明するのではないのか、と囁かれている。盛り上りに欠けた総裁選になるのか反れとも国民の関心事の内に選出されるのか、各々の所信表明が左右する、と思われる。小生は立候補を表明する方々は次の事を明確に国民の前に提示して論戦を展開してもらいたい、と要望する。即ち・・・「国家の未来像」に収斂する"内政"と"外交"の2点を明確に提示してほしい。平たく言えば「この国の容」をどうするか、と言う事を前提に提示してもらいたい、と言うことである。

1.外交・・・米国との日米同盟を基軸とした外交を展開するのか、全方位的等距離の外交を展開していくのか、東アジア(中国、韓国、北朝鮮)の近隣諸国を重視する外交を展開していくのか、それ等の複合的組み合わせで展開していくのか・・・取分け日中の懸案問題(東シナ海の油田―尖閣列島―)、日韓の排他的水域の未事案、北朝鮮の拉致問題、靖国参拝等に、どう対処するのか、を明確に提示してほしい事等である。・・・

2.内政・・・構造改革の未決問題・・・少子高齢化、年金、医療、税制改革(消費税含)、社会保険(ねんきん事業機構等)、社会保障等々・・・山積する問題に、どう対処していくか・・・。その根底に在る「この国の容」・「グランドデザイン」を、どう描くか・・・、 "経済的側面"の「市場原理主義」を踏襲し、その追究を通して実現していくのか、 "日本の伝統的精神性"(所謂、日本古来の武士道的価値の再発見に纏わる事柄と日本の自然・田園の原風景が育む独自の精神所産等)指標として「外交」「内政」を展開していくのか、を明確に提示してもらいたい、と言う事等である。・・・

 


惜敗!日本1-3で初戦 飾れず!

2006年06月13日 | Weblog

惜敗!初戦、飾れず敗退!日本中が、その瞬間に呆然とした!・・・嘆息が漏れた。・・・「祝 おめでとう!」、その言葉を対戦前から準備していたのに・・・。残念、無念。試合中は予想通りのヒヤヒヤの苦戦の連続が続いた。固唾を呑み、釘付けになり、テレビの画面が小さく感じた。前半はハラハラ・ドキドキの連続。相手のオーストラリアも侮れない迫力あるプレーで観衆を魅了した。両陣営のサポーターの興奮は絶好調に達した。テレビ画面でも感触した。アナウンサーの甲高い声と迫力ある声量に圧倒されながら視聴した。ドイツと日本と沖縄が一体となり時空を超えて臨場感溢れる現場が飛び込んで来る。異様な興奮が絶好調に達する。手に汗握るプレーの連続で魅了する。再三のピンチを川口は防御する。強力な弾丸ダイナーの蹴球を鉄手で防御・防衛する。押され気味の防衛戦に暫し画面を遮断する。ラジオからの実況に聞き入る。良好のアナウンスが流れると又テレビをONにする。その連続反芻で時間を忘却し熱中する。1点では心許ない。追加点を念願する。1点のリードでは心の平安が保てない。後半にオーストラリアも1点、得点した。同点。あ、どよめきの声が聴こえる。異様な感覚を覚える。心が休まらない。1-1の同点。嫌なムードが漂う。再三の危ない場面が展開する。遂にオーストラリアが又1点、追加し<2-1>でオーストラリアが終盤を迎えた。又もや終盤間際に又1点、追加され<3-1>でオーストラリアに凱歌が上がった。悔しい!惜しい!・・・しばし絶句。・・・気を取り直した。・・・でも各選手は、よく頑張った。「ご苦労さま!」、「よくやった!」。次回のクロアチア戦に望みを託そう。次があるさー。ドンチュワーリーだ。中村、中田、高原、各選手が悲愴にも眩しかった。後半を守り切れなかったのが敗因である。次回に期待したい。日本中が支援者・サポーターだからねー。最後の一戦まで又、頑張ろう!・・・。

 


点的事実の点在で線的問題の解決ならず!

2006年06月12日 | Weblog
公開討論会とかディベート、ディスカッションの弁士及び参加者の御意見を拝聴する度に感じる事はコーディネーターの力量不足で問題提起のみのまま終了し不完全燃焼で閉じることである。論者及び参加者は自己の置かれた土俵(解決を要する現場)からの発言で、それなりの説得力のある実情・状況・事態・真実等を開陳しているのであるが個々の論者の議論が噛み合わず自己の主張を捲くし立てるのが精一杯で他の論者に耳を傾ける余裕さえない。個々バラバラに(点的位相のまま)論者の問題の所在が理解できる程度が限界で主催者の意図に反して 結論らしき事案 までには至らない。所詮、当初から無理な論題とか問題提起(予想された<解決困難>な議題であるだけに当然の帰結だとは思うのだが・・・)であっただけに充分、予想された。事の是非は個々のパネラーの選定にも問題があるしコーディネートする方にも問題がある。主催者は論者・パネラーに進行方向を十分、理解させて討論に参加させる事である。コーディネーターの論題・議題の方向と進め方、進捗を十分、理解させ参加論者としての基本的マナーを弁えての討論参加である事。論者・参加者としてのマナーを無視し開陳の順番でもないのに外野から捲くし立てて会の進行を妨害する。最低の守るべきマナーを堅持して参加してもらいたい、と思った。一方、コーディネーターは論題・議題の意義を十分、把握し進行方向を明確にして、あるべき方向に導くことである。一般参加者や視聴者、リスナーに分りやすい場の雰囲気を提供することである。コーディネーターの力量、如何に懸かっている様な気がした。強引に結論を導き出すことが、その役目ではない。事の所在を明確にして視聴者・リスナー・一般参加者に問題の有りかを提供し共有する事である。そのことが将来、その論題・議題の「結論らしき在るべき姿」に導くことに繋がる。マスコミ報道、テレビ討論を視聴する度に、その事を痛感する。点的所在が個々バラバラに在るだけで線にならず太い線にならず面にまでならずに真の解決をみない不完全燃焼のまま終了する。その実情を、どうにかしたい、と考えるのは小生一人ではあるまい。一考を要する。・・・


斯界の権威が語る経営の真髄 沖縄経営者大会 !

2006年06月11日 | Weblog

6月9~10日の両日にまたがって「第21回県経営者大会」が開催された。斯界の権威が語る実践現場の迫力は物やサービスを造りだす創造の世界の熾烈な現実。各氏の一言一句が千金に値する"黄金の至言"である。明日の現場に「生きて働く」実践語録である。新聞(琉球新報)の記述から愚生が感銘し掴んだ”名言・至言”の数々を以下に紹介します。・・・

●「日本企業の力の原点は現場にある。自ら問題を発見したり製品改良に取り組んでいる。強い会社は強い現場をもっている。企業間の格差は現場力の差から生まれる。"見せる化"は現状棚卸から、見せられないものほど見せていく・・・」。

●「観光は21世紀のリーディング産業に成り得る。観光哲学をもち戦略・戦術を導き持続可能なものにしなければならない。沖縄のブランドは個人、一企業を超え地域全体で取り組む。"私捨夢"が必要」。

●「"状況は常に変化する"が商売の原点。ニーズに合わせて挑戦を続けること。知恵を出せばビジネスは、いろいろある。人の心は環境で変わる。これからは知恵と勇気だ。携帯電話一つで世界中から情報を入手し発信できる時代と変わった」。

●「女性取締役は企業成長に欠かせない重要な戦力、積極的に活用する。女性管理者や若手女性の管理職の登用には企業内託児所の整備も必要」。

●「未来の子供らに美しい地球を返そうという構想 "Think GAIA(地球)" を提唱。環境、エネルギー、ライフスタイルを柱とする商品開発。太陽電池や生ゴミ処理機に充電器を活用しエネルギーを循環させ生活文化を変える。その他・・・」。

示唆に富む幾多の重要な提言が数多あったが割愛する。要は独自の製品やサービスの創造と他との違い、オンリーワンを如何に創り出していくか、に今後の沖縄の未来が懸かっている様な気がした。

 


梅雨の沖縄 ”吾が心にも雨ぞ降る”!

2006年06月10日 | Weblog

"巷に雨の降る如く吾が心にも雨ぞ降る"・・・ヴェルレーヌの詩集の一編だ。若かりし頃の青春の一齣を髣髴とさせ想起させる空模様。暗示的で鬱陶しい。希望に胸膨らませ青春の真っ只中を突っ走り猪突猛進した頃が懐かしい。何の駆け引きもなく一途に吾が道を疾走した青春の日々と特権!謳歌した時代にタイムスリップし回想する。梅雨の沖縄は、それに相応しい風情と空間を提供する。愚生の部屋から眼に留まる雨垂れは思考の幅を飛躍的に拡大させ、あらゆる事象を想起させ想定させる。沖縄、日本、世界、宇宙へ・・と際限なく広がり、止処もなく空想と現実とが入り乱れ、交差し、しばし沈思黙考、"思考の土俵"を提供され一時を過ごす。・・・古の "冊封使"の時代「唐の世」から戦前の「大和の世」、戦後の「米軍統治下の時世」から「祖国復帰後の日米両国支配下の先沖縄」。そして名実共に日本国民としての「現今の沖縄」?!目まぐるしく移り変わった、この「琉球・沖縄」!・・・最近、直近の沖縄は、どうなのか?・・・米軍の世界的再編の渦中にあり一転二転、再々転?して、これ又、不確定の歳月を費やす。島嶼苦(しまちゃび)の悲劇を否応なく強いられ辛酸を嘗め尽くした島民(しまんちゅ)は、その時々(時代)の波に翻弄され、その度に身も心も鍛え抜いた。生きる術を獲得し資源皆無のジリ貧の自然条件を逆手に執って強かに生き抜いてきた。時の権勢・政権に右顧左眄してアメとムチを使い分け迎合した訳ではなく”正当な魂の発露”を武器にして戦い抜いてきた。他府県にはない特殊な歴史の歩みを辿ってきた。夢想・空想・回想そして現実に、ふと還る。そうこうしているうちに薄明かりが射してきた。しばしの梅雨明けだ。6月の半ば頃に梅雨明け宣言がある。鬱陶しい梅雨時は家に閉じ篭って将来・未来の吾が沖縄・日本・世界を考える機会にするのも、これ又、風情があっていい。でもだ!やはり心の隙間は、どうしても埋める事は出来ない。沖縄の現実、宿命は今後も覆い被さって来る。 "巷に雨の降る如く吾が心にも又、雨が降る"。


ドミニカ共和国 移民 に 抜本的救済策 を!

2006年06月09日 | Weblog

夢に見た大地!ドミニカ共和国!"カリブの楽園"は、夢の新天地だった。その実現の可能性が現実となり、喧伝する政府の音頭とりで応募した人数が1,700人。(昭和30年前後の日本政府の移民政策)。夢のパラダイスに憧れ希望に胸膨らまし全財産を投げ打って馳せ参じた家族もいた。当時のキャッチコピーは「肥沃で広大な農地を無償で譲渡する」・・・であった。政府の移民政策を妄信し、カリブ海に浮かぶ夢の楽園に想いは飛んだ。国の説明を信じてドミニカへ到着。・・・ところが夢に見た楽園!その大地は過酷にも相反する荒野で塩田さながらの地、希望の園の夢は打ち砕かれた。非情にも過酷な運命が待ちうけた現実となった。だだっ広い大地は荒れ放題の石ころだらけの不毛の荒野。夢と現実が逆転した。その現実を知った時、初めて祖国日本政府に裏切られ騙まし討ちに遇った事を悟った。為政者は自国民の生命・財産を最大に防御・防衛し安全と福祉・福利厚生の衝にあたるのが使命であり任務である。東京地裁の判決は、あまりにも法一点張りのものであり温情に欠けた裁断だった。結果的には祖国日本は当時の政府与党の政策で「棄民」したのである。でも生きていく為には不毛の地を耕作地に変えるしか生きる術は、なかった。50有余年、全生涯を賭けてコツコツと不毛の荒野を作物の栽培が出来る農耕地に変えた。気の遠くなる様な過酷な労働は筆舌に尽くせないものだったに違いない。・・・現実{不毛の荒野}を直視しないで論理的に法を適応して裁いた判決を司法はだした。でも行政は現実に即して按配し温情的結論を出すべきである。司法の判決を為政者は妄信し盲従することなく血の通う生身の人間の置かれた現実土俵に想いを馳せ、抜本的救援・支援・救済を「損害補償」という何らかの容で支出してもらいたい。国外への支援策やODAに匹敵する自国民の救済を優先し実施してもらいたい。日本の一国民としての同胞に対する想い入れである。・・・

付記:法的根拠の「一般的な正義、公平の理念で{除斥期間(20年)」}の適用は制限できない」を論拠に"賠償請求権"は消滅した、との東京地裁の判決。・・・祖国日本を離れ僻遠の地「ドミニカ共和国」に祖国を思慕しながら50年間も営々と過酷な生活を強いられた移民。地球の裏側に日本の法を適応する事が果して「人生の正義」の実現なのか?・・・一考したい。法改正でもして生身の人間の現実に"妥当に適応する"事を望む。


ブログ送受信で困った事!

2006年06月08日 | Weblog
E-mailは知らせてないのに着信がある。公序良俗に反する迷惑メールを受信すると、直ぐ削除する事にしているが相変わらず再再度(数多)懲りずに送信して来る。開封して常識的な健全な内容だと、それなりの返信もするが不健全きわまりないものが多い。迷惑メールが如何に多い事か。何回かプロバイダーに事の是非を問うたが削除する事はできない、と言う。又、英語のみの「警告文」も受信したのであるが何の意味だか分らず、身に覚えが無い旨、プロバイダーに相談した。(その原文は保管している)。どこからE-mailを手に入れたか、これまた不思議である。不特定多数の方がインターネットの利便さを享受するのは良いが常識を逸脱した意味不明の内容を受信するとネットの光と陰の、陰の部分に悩む。改善・改良の余地はないものか思案する昨今である。ブロードバンドや光ファイバーの普及している技術の長足の進歩の今日、そういう負の部分の除去に期待したい衝動に駆られる。近未来、解決を見ることだろうけどネット愛好者の健全性を育てる意味でも早急な対策と解法を期待する。

子供の観た史跡旧跡「知念城跡」

2006年06月07日 | Weblog

ここは旧知念村(現南城市)知念の停留所の左の山手にある「知念杜城」(ちねんむいぐすく)という処に在ります。ぼくたちは、この辺りの史跡を先生といっしょに調査しています。さて、この城、城壁には二つの アーチ門 があり城内は660平方メートルの広場に芝が生え、とても古い木があります。先生が「中から青磁器が出てくるかもしれないよ。」と言われたので、昔なにか貿易でもしていたかもしれないと考えました。構造は上、下、二つの部分から成り、上は2メートル程の高さに自然石を、そのまま積んだ"野面積"(のずらずみ)にされています。奥には「友利御嶽」(ともりうたき=拝所)があります。この城は、アマミキヨの「宣立て初めの城」とか「神降り初めの城」とうたわれている聖地なのです。アマミキヨは琉球の人の初めの人で、その人が初めて 祭礼 を執り行った処だそうです。アーチ門は聖域の入り口にあります。現在は国の文化財に指定されていますが明治の頃は知念間切(ちねんまぎり=知念村)の番所(ばんじゅ=関所)があり、もっと、前は知念按司(ちねんあじ=地方を治める王様)の城だったそうです。拝所(はいしょ=御嶽=うたき)がある、と言いましたが、ここは久高島の遥拝所で、又この城の拝所でもあります。この様な聖域を整備もしないで野放しにしている様な気がしました。聖域なのですから、そのままの方が良いかも知れませんが、もっと、文化財に対する認識を高めてほしいと思いました。昭和47年5月15日に国の史跡として指定されています。 (6年 B)

素晴らしいアーチ門です。琉球王国時代は番所として使われたというこの城は威厳すら感じられます。 (母 B)

<学習の手引き>・・・杜城(むいぐしく=むいぐすく)と、わざわざ「杜」(むい)の字をあててあるのは、どうしてでしょうか。調べてみましょう。

 


事例毎に 反面教師 として生かそう!

2006年06月06日 | Weblog

今回の村上問題は日本証券業界に又、衝撃を与えた。一連の若手経営者ヒルズ族の仕出かした超目玉的事件になった。その先導的リーダーである 村上世彰氏 の逮捕である。内外のメディアも関心の度合いが高く大々的に報じた。規制緩和の行使で適応された―旧来の日本証券業界の法の不備を衝いて―法の間隙 を縫って抵触しない、ぎりぎりの分野で実行する。ライブドアも 時間外取引 という手法で株売買をした。法は新たな問題の続出・噴出で改正に改正を重ねガードを固ためる。まるで イタチごっこ である。新たな事件(今回は経済事件)が続出する度に改正を余儀なくされては半永久的に連鎖・連続の悪循環である。 現業界の体質が 日本という風土 が世界的に跋扈している風潮の 市場原理主義 の受け入れに拒否反応を起こしているのではなかろうか、馴染めない面がある様な気がしてならない。・・・不変原理を目指す指標が、ぐらついているから、場当たり的な解決で事を濁す。その反芻、繰り返しである。・・・世界の趨勢(経済、社会、政治、その他の分野でも)を先取りし日本の資本主義風土に合った独自の道を模索し確立していくべきではないのか、今、その事が問われている様な気がしてならない。 ライブドア事件 といい、今回の 村上事件 といい、日本の資本主義社会を健全に育てる 反面教師 としての契機にすべきではなかろうか、一般の庶民感覚では、そう願うのが、精一杯であり又、願望でもある。・・・


推測 村上ファンド 5%攻防 は既対策?!

2006年06月05日 | Weblog

投資ファンドに関しては 村上氏 の右に出る者はいない、と言われる程、稀代の天才鬼才師 「村上世彰氏」 である。そう簡単には尻尾を出さない、と推測していたのだが(このブログ記載中に村上氏が全面的にインサイダー取引を認めた、との速報が入った)・・・。既に ホリエモン逮捕劇騒動時 から早晩、司直の手が指し伸びる事は本人が一番よく知っていて覚悟していたはずだ。対策として、その道の 弁護士 を複数、抱え、あらゆる事態を想定してのシュミレーションを繰り返していたに違いない。東京地検の(捜査)逮捕の要件が 証券取引法 の インサイダー取引(疑惑) に該当し抵触するか否かにある、とされていた。関係者の口頭証言では逮捕要件にはならないし確たる物的証拠でも出ない限り逮捕は出来ない、と考えられていた。総株数の5%未満の取得では「インサイダー取引」に該当しないし、それ以上でないと逮捕の要件を満たさない、と識者は指摘していた。ニッポン放送株の取得当初からの経過を丹念に東京地検は立証していたようだ。・・・           

―村上ファンドの経過―(琉球新報4日朝刊より)

■1999年8月・・・旧通産官僚の村上世彰氏が村上ファンドの母体「エムアンドエイコンサルティング」(MACアセットマネジメント)を設立

■2000年09月・・・投資顧問業として登録

■  01年03月・・・投資―任業務を認可され、株主地位向上活動も本格化

■  01年07月・・・MACがニッポン放送の株主2位浮上その後、筆頭株主

■  04年05月・・・ニッポン放送は村上ファンド社外取締役入要求を拒否

■  04年10月・・・MACがニッポン放送株の12%保有

■  04年12月・・・MACがニッポン放送株の16%を保有

■05年01月5日・・・MACがニッポン放送株の18.57%を保有

■  01月17日・・・フジテレビがニッポン放送株の公開買い付けを発表

■  02月08日・・・ライブドアが同放送株を大量買占。MAC保有株を売却

■  02月28日・・・MACの保有比率が3.44%に減少

■  04月18日・・・フジがライブドアと和解

何れにせよマスコミ・メディア等の報道機関が、その経過を詳細に報じているので割愛するが、―村上ファンドの経過―からすると逮捕の要件は満たされているのだろうか、素人眼には判然としなかった。ただ『"汗して働く者"が報いられる社会!"労働の本質が、そこにある事を認知する社会"。その様な社会構造になっている事を切望している』。・・・蛇足:捜査の攻防は、以上の経過からして株の公開買付け以前に内部で前社長堀江貴文被告と村上氏とが株の値上がりを見込んでの話し合いが持たれ5%以上の売買があったか、どうかだったのだが、「今日5日午後3時現在」に村上氏は東京地検との遣り取りの模様を記者会見で自ら明らかにした。東京地検の取調べに対し"全て肯定"し『全面的に不正(インサイダー取引)を認め起訴されても仕方がない。だが法違反の罪を犯して儲けようとは思わなかった。~・・・』と釈明した速報が入った。むべなるかな、と、"ほっとする"と同時に国民の関心の度合いが大きいだけに今後の日本の証券市場の成り行きを見守って行きたい。・・・

 


子供の観た史跡名勝「斎場御嶽」

2006年06月04日 | Weblog

「ひゃーすごい!いったい、どうやって出来たのだろうか」。ここは知念村(今の南城市)役場から東へ歩いて10分、さらに北への山道を5分ほど行った処にあります。この"割れ目"は正面から観ると直角三角形で岩が岩に持たれ掛かかっている"かっこう"をしており、中に入って上を観ると今にも崩れそうな感じがします。昔、国王は部下に命令して、いろいろな事をしましたが毎年、旧暦の2月と8月頃になると国王が直接、 天の神 と 地の神 を祀った、との事です。そして、その後、祭壇を造り「久高島」へ遥拝された、との事です。また琉球最高の女神官「聞得大君」(きこえおおぎみ)が女神官になる時の儀式も、この御嶽(うたき)で行なわれたそうです。儀式が行われる時には、首里から国王のお供をして来た人達や、それを迎える人達で大変、賑わったそうです。ここは、見事に裂けた岩などから神様が住んでいらっしゃる様な感じを強く受けました。今でも、ここを拝みに来る人が多いそうです。昭和30年1月25日に県の名勝として指定されています。 (6年 A)

斎場御嶽には付近を通った折に一度立ち寄ったことがあります。それは、かなり以前のことなので、どの様な処であったのか記憶も薄れています。私の知っている事と言えば大きな岩が三角形に裂けて岩穴になっていたことと、そこが昔、王家の拝所であった、と言う事ぐらいでした。「史跡・文化財めぐり」に仕事の都合で息子と一緒に参加できなかった事を残念に思います。息子が感想文を書くという事で史跡について質問を受けましたが集めてきた資料を読み聞かせることで精一杯でした。 (父 A)

<学習の手引き>・・・少し、むつかしいとは思いますが、"東御廻り"(あがりうまーい)について調べてみましょう。もっと詳しい事が分って、楽しいと思います。


横断的 最新ニュース 概観!

2006年06月03日 | Weblog

目まぐるしく変化の激しい世相に心身共に疲弊している昨今だが年齢を超越して果敢に挑戦している。飽くなき好奇心がチャレンジへの源泉である。最近の内外の事件・事故は由々しき事態に陥っている。国外では例のイランの ウラン濃縮問題 に端を発し国連を巻き込んでの攻防。 ジャワ地震 への支援・救援。 東チモール の政情不安。 米海兵隊虐殺疑惑。 イスラエル・パレスチナ の確執。ブッシュ政権 の衰退・・・等々。挙げれば限がない。国内に眼を転じれば 米軍再編成 に纏わる 政府 対 関係地方の攻防{こと人命に関わる重大な案件であり地方の命運を左右することを勘案すれば拙速は避けるべきである}。国会での与野党攻防の継続審議に賦さる公算が強い案件も多い。「共謀罪」、「教育基本法改正案」、憲法改正に纏わる「国民投票法案」、「「少子化問題」等々・・・。と未解決の法案が廃案、継続審議と会期末6月18日を目途に、いよいよ激しい論戦が展開される。「ポスト小泉」の動向も視野に入れると政界は慌しい動きが予想される。"安部陣営"は若手を中心に文字通り 「ポスト小泉」 の立候補を宣言した集会を開催した。・・・そういう内外の世相を垣間見ながらも、やはり関心は私達、国民に直結する「生活の事案」である。・・・国民の政治に期待することは、山積する 「負の懸案事項」 の早期解決である。全ての分野での 格差拡大の解消 、年金、医療・介護、社会保障、税制(消費税等)、その他多々の案件の解決こそ国民は切望している。国民の期待に応えるべく善政を望む。

 


「駐車違反 "制度"」の不備を衝く!

2006年06月02日 | Weblog

昨日6月1日から全国一斉に"民間委託業者"による 「駐車違反取り締まり」 が実施された。初日の昨日は当初から システム?及び端末機器の不備 でトラブルが全国的に発生した。当然ながら操作の不慣れや戸惑いもあったに違いない。出だしは芳しくないが 路上違法駐車 のドライバー の "自衛・防衛策" も気になる。が、それは、さて置き、公道は 路上違反駐車 で交通の妨げになり近隣住民や歩行者及び通行車両のドライバー等と、利害関係のある企業からも苦情が絶えなかった。そこで政府は重い腰を上げ今回の法改正に踏み切り施行に漕ぎ着けた。問題点を挙げると"駐車監視員"がステッカー(確認標章)を貼り付ける前に運転者が車に戻って来たので 貼り付け は未遂に終わった。又、少々の口論トラブルも有った。その他の問題も続出した。それでも "法は法" 順守してもらわないと意義がない。不備は施行後に改正すればよい。法治国家の由縁である。さて、問題も数多出た。某テレビでも指摘していたが小生も"なるほど"と賛同したので、以下に紹介する。・・・

       ――違反ステッカー貼付による問題点――

●運転者が車に戻って来た・・・

1.運転者の責任  

2.「反則違反金」徴収  

3.『減点が有る』。 

■運転者が車に戻って来なかった・・・

1.使用者(業者)の責任  

2.「放置違反金」徴収  

3.『減点が無い』。

 "違反金"は同額で名称が変わっているだけ。なのに 運転者が忠実?にも "車に戻って来た" 『減点が有る』。反対に 運転者が不実!にも "車に戻って来なかった"『減点が無い』???・・・どこか、オカシイ、と思いませんか???!・・・当局者の弁明が聞きたい。・・・


殺傷の 予兆 は「事前の文言」が示唆!

2006年06月01日 | Weblog

頻発する殺傷事件に心を痛めているのは私一人ではあるまい。心ある方々は、それなりに心痛のおもいであろう。最愛の自分の子を殺す。物品の様に何かに包んで放置する。子が逃げ惑う親を執拗に追いまわし滅多切りに殺傷する。挙句の果ては本人も自殺する。世の中、どこか狂っている、としか思えない。体制のせいにする事は容易い。原因・遠因は那辺にあるのか特定する事は困難であろう。何れにせよ無関心ではいられない。――当事者に 類似の共通項の文言 がある事を見出した。―― 曰く、「世の中が、嫌になった。むしゃくしゃしたので、誰でのよいから殺したかった・・・。」・・・その文言を詳細に分析する事は素人にはできない。そこで然るべき方々の出番があると、思う。専門の専門たる由縁は、その「専門性」を社会に還元し有効に機能させてこそ「生かして働く」価値があると思う。学会の専門誌を通じて仲間内に知見を開陳する。その論文を発表する。そのスタンスは普通であろう。・・・反面、疑問を呈したい衝動にもかられる。それも高飛車に言えば、もう一歩、踏み込んで積極的にマスコミ・マスメディアに働きかけて 「対処法」 を開陳し一般化して家庭・地域・共同体の隅々まで敷衍化させ機能させてほしい事である。その事が今、最も社会から要請されている事ではなかろうか。・・・古びた死語で換言すれば「象牙の塔」を脱出して庶民の中に入り込み [対策を教示]する。そういう姿勢が必要なのではなかろうか。心理学者、社会(心理)学者、精神分析学者、関連する専門家の積極的登場が待たれている。「生きた学問」の成果を社会に役立ててこそ価値がある、と思うのだが。・・・僭越ながら積極的有意義な提言を期待する。・・・