世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

子供の観た史跡旧跡「知念城跡」

2006年06月07日 | Weblog

ここは旧知念村(現南城市)知念の停留所の左の山手にある「知念杜城」(ちねんむいぐすく)という処に在ります。ぼくたちは、この辺りの史跡を先生といっしょに調査しています。さて、この城、城壁には二つの アーチ門 があり城内は660平方メートルの広場に芝が生え、とても古い木があります。先生が「中から青磁器が出てくるかもしれないよ。」と言われたので、昔なにか貿易でもしていたかもしれないと考えました。構造は上、下、二つの部分から成り、上は2メートル程の高さに自然石を、そのまま積んだ"野面積"(のずらずみ)にされています。奥には「友利御嶽」(ともりうたき=拝所)があります。この城は、アマミキヨの「宣立て初めの城」とか「神降り初めの城」とうたわれている聖地なのです。アマミキヨは琉球の人の初めの人で、その人が初めて 祭礼 を執り行った処だそうです。アーチ門は聖域の入り口にあります。現在は国の文化財に指定されていますが明治の頃は知念間切(ちねんまぎり=知念村)の番所(ばんじゅ=関所)があり、もっと、前は知念按司(ちねんあじ=地方を治める王様)の城だったそうです。拝所(はいしょ=御嶽=うたき)がある、と言いましたが、ここは久高島の遥拝所で、又この城の拝所でもあります。この様な聖域を整備もしないで野放しにしている様な気がしました。聖域なのですから、そのままの方が良いかも知れませんが、もっと、文化財に対する認識を高めてほしいと思いました。昭和47年5月15日に国の史跡として指定されています。 (6年 B)

素晴らしいアーチ門です。琉球王国時代は番所として使われたというこの城は威厳すら感じられます。 (母 B)

<学習の手引き>・・・杜城(むいぐしく=むいぐすく)と、わざわざ「杜」(むい)の字をあててあるのは、どうしてでしょうか。調べてみましょう。