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2005年3月1日に秋田県大仙市にオープンした大曲ユースホステルのペアレント(経営者)が日々の出来事を送ります。

横手南西部の石塔巡り⑥ 八柏八幡神社

2025-06-23 22:51:28 | 修験道

①八幡神社 横手市大雄八柏49

先日の横手南西部の石塔巡りは、木下の鹿島様を見た後、帰路につきましたが、戻る道中、以前から脇を通ることが多く、気になっていた八柏の八幡神社に寄り道。この八幡神社は伝承によると1533(天文2)年創建とのこと。当時の横手城主の忠臣、八柏大和守道為が軍神応神天皇を勧請して尊崇したとのこと。御神体として開拓の際に出た石碑が祀られているが、それには応和年間(961-964)と彫られているという。

境内入口の鳥居は立派なもので、さらにそこにつけられているしめ縄もかなり立派なものがつけられていました。隣には境内神社として神明社が合祀されていますが、鳥居が八幡神社と並べてあるのには何か意味がありそうでした。

さて、石塔は境内左と、右側の道を挟んだところにありました。境内左にあった石塔は小さな石祠、青面金剛(?)、八坂神社(明治40)他とあり、特に特徴的だったのが、藁のしめ縄やワラジがかけられていること。しめ縄は、神の居所を示すものや聖域との結界として使われることが多く、境内内の御神木などにもしめ縄が見られることがあるようですが、石塔にかけられているのは初めて見ました。さらにワラジは旅の道中安全祈願などでワラジ自体が道祖神的に扱われることもありますが、ここにあるとは思いませんでした。

境内右側の道を挟んだ先には、出羽三山碑(湯殿山・天保13)、二十三夜塔(安政4)、庚申塔(安政9)、十八夜塔(文政13)などが並び、十八夜塔にはこちらもしめ縄がかけられていました。

ここで初見の十八夜塔は、二十三夜塔と同様の月待信仰と呼ばれるものの一つで、旧暦18日に餅をついて月にお供えするというもの。特に十八夜月待は東北地方で若者によって行われた(二十三夜は女人講)という。特に山形県で多く見られ、15才になると十八夜講に入るのが義務で、成人となる儀式であった地区もあるという。秋田県南部では食文化などでも山形県との共通点が見られますので、そうした影響があったのかもしれません。

ふらりと立ち寄った八幡神社ですが、なかなかの「収穫」となりました。

一時

 


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