昨日の住田町ツアーでは、最初に立ち寄ったのが、赤金鉱山跡地。一般の観光客ではまず行かない場所ですし、行っても面白くありません。場所は奥州市の国道397号を伊手集落を過ぎてから、山に入る寸前左の採石場がその跡地。現在は採石場になっていますが、その前にあるバス停「零番坑跡」というのが物語っています。
周辺には複数の鉱山があり、その中で一番規模が大きかったのが赤金鉱山で、その歴史は、奥州藤原三代、平泉の黄金文化の際の金の採掘場所であり、その後は鉄鉱石の採掘が江戸末期、文久元年(1861)から行われ、この先の栗木製鉄所で製錬が行われたとのこと。明治後半に藤田組(後の同和鉱業)が経営を行い、最盛期には1000人もの従業員が働いていたとのこと。その後、江刺興業㈱に引き継がれ、昭和53年(1978)まで採掘が行われていたとのこと。
この次のバス停が「赤金鉱山記念碑前」となっており、手前からわき道に入った奥に、記念碑がありました。そこにある端には赤金鉱業所、江刺興業株式会社と名前が残っています。知らないで来ると、ここが赤金鉱山だったのか!となりますが、事前の調査で、ここは黄金坪鉱山という別な鉱山があった場所。
奥にある記念碑のその奥の崖にはコンクリート建造物が転々と残っていました。それらは夏に来たら雑草に覆われて見えないでしょうが、ちょうど下草が枯れた時期ですので、記念碑からでも見ることが出来ました。
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