昨日の湯沢酒蔵巡りから戻って、復習。移動の途中で調達できた資料などで、発見できなかった酒蔵を探したりします。昨日は駅の観光案内所でガイドに聞ければと立ち寄りましたが、詳しい人が不在で、たまたま貰って来たパンフに昭和8年頃の湯沢の町割り図があり、拡大してみたら、発見できなかった酒蔵3カ所の場所を特定でき、googleのストリートビューで探したら、わずかな痕跡も見つけることが出来ましたので、本日、再検分。
最初は湯沢市のメイン通り、柳町の前森町郵便局前にあった東海林酒造<白梅>。寛政元年創業で昭和30年代まではあった模様。早い時期に廃業し、再開発されましたが、建物に「8emon-Plaza」とあり、創業者の東海林八衛門の名前が残っていました。東海林酒造は寛政元年(1789)に創業、戦時中の企業整備で廃業したが、昭和32年復活したが、現大仙市の佐々木酒造<秋田富士>と合併したとのこと。
次に、柳町通りを南に1ブロック進んだところにある本町駐車場奥に発見した高橋酒造<魁志ら菊>。昭和52年(1977)に廃業とのことで、建物の一部と看板を残し、通りに面したところは駐車場にしたのかと。廃業して40年超、商売抜きでこの建物を残したことに感謝です。高橋酒造は安政2年(1855)に創業。明治時代に宣伝隊を編成するなど画期的な市場拡大を図ったが、戦時中の企業整理で廃業、昭和30年に復活したが、その後秋田県発酵に工場を貸与、昭和52年廃業とのこと。
3カ所目は、昨日発見できなかった奥山利八酒造<瀧の音>。駅で配布の街歩きマップにも記載されているのですが、見つからず、昨晩の復習時にほぼ場所を確定。今日その場に行くも、看板等はなく、ここでいいの?という感じですが、玄関脇の郵便受けの表札が今でも奥山利八となっていて、ここで正解!と判明。
奥山利八商店は文久元年(1861)に三関で創業、明治になって湯沢に移転。戦時中の企業整備で廃業となったが昭和22年に復活。昭和44年には白山酒造設立に加わったが、解散後個人企業に戻り、昭和54年醸造を廃業、その後は酒類卸業となったとのこと。
さらに跡形は見つかりませんでしたが、高久儀助商店<雄物川>は高久商店の並びにあったとのこと。明治23年創業で、隣接の高久(多平)酒造とは血縁だったと考えられる。昭和46年廃業。
もう一つ、奥山儀助商店の斜め向かい辺りに、現在は事務所になっている場所があり、その前はスーパーだったとみられ、そこに以前は湯沢銘醸<一滴千両>があったとみられる。大正9年に湯沢酒造として創業、戦時中の企業整備で廃業となったが、昭和31年押切酒造と合併復活。49年に秋田県発酵に吸収合併され、湯沢銘醸の酒銘が県発酵で引き継がれた。
これで湯沢市内にあった酒蔵は場所がほぼ、確定できました。
時々