新米ペアレントの営業日誌・営業中

2005年3月1日に秋田県大仙市にオープンした大曲ユースホステルのペアレント(経営者)が日々の出来事を送ります。

久々のジオスタゆざわ

2022-11-16 23:18:57 | 食文化

湯沢市内での蔵探しが一段落し、次に目指したのが、湯沢の山奥、高松地区にあるジオスタゆざわ。ここは廃校の再利用物件で、ジオパーク登録後、関係資料や子供たちの学習支援場所として開所し、以前鉱山を調べた時なども訪問しました。

ここに湯沢の酒造に関しての部屋があると云うのは知っていましたが、昨日駅の観光案内所で、文献もあるとのことで、足を延ばしました。

結果は、文献類は一切なし。それでも常駐のガイドさんが1時間ほど話に付き合ってくれ、本には書かれていないような酒造関係の話を聞かせて頂けました。展示は酒造関係の道具がありましたが、今のところあまり興味なし、の状態でした。

ちなみにここの展示品は木村酒造<福小町>のものが多い理由は、木村酒造が経営危機になって酒蔵整理をした際に出たものをここの近くにあった(ある?)テラビア養殖場の施設に保管しておいたため、ここが出来た際に持ってきたとのこと。捨ててしまうのは簡単ですが、後で同じものを探すとなると非常な苦労が必要です。かといって取っておくのには場所が必要で、田舎ながらできることなのかもしれません。ここで分かったのは、民族資料館などの、いわゆる出て来た古いものを保管、展示しているところには、酒関係の品物がある可能性があるということでした。今度暇になったら、出向いてみましょう。


湯沢酒蔵巡り③

2022-11-16 23:14:05 | 食文化

昨日の湯沢酒蔵巡りから戻って、復習。移動の途中で調達できた資料などで、発見できなかった酒蔵を探したりします。昨日は駅の観光案内所でガイドに聞ければと立ち寄りましたが、詳しい人が不在で、たまたま貰って来たパンフに昭和8年頃の湯沢の町割り図があり、拡大してみたら、発見できなかった酒蔵3カ所の場所を特定でき、googleのストリートビューで探したら、わずかな痕跡も見つけることが出来ましたので、本日、再検分。

最初は湯沢市のメイン通り、柳町の前森町郵便局前にあった東海林酒造<白梅>。寛政元年創業で昭和30年代まではあった模様。早い時期に廃業し、再開発されましたが、建物に「8emon-Plaza」とあり、創業者の東海林八衛門の名前が残っていました。東海林酒造は寛政元年(1789)に創業、戦時中の企業整備で廃業したが、昭和32年復活したが、現大仙市の佐々木酒造<秋田富士>と合併したとのこと。

次に、柳町通りを南に1ブロック進んだところにある本町駐車場奥に発見した高橋酒造<魁志ら菊>。昭和52年(1977)に廃業とのことで、建物の一部と看板を残し、通りに面したところは駐車場にしたのかと。廃業して40年超、商売抜きでこの建物を残したことに感謝です。高橋酒造は安政2年(1855)に創業。明治時代に宣伝隊を編成するなど画期的な市場拡大を図ったが、戦時中の企業整理で廃業、昭和30年に復活したが、その後秋田県発酵に工場を貸与、昭和52年廃業とのこと。

3カ所目は、昨日発見できなかった奥山利八酒造<瀧の音>。駅で配布の街歩きマップにも記載されているのですが、見つからず、昨晩の復習時にほぼ場所を確定。今日その場に行くも、看板等はなく、ここでいいの?という感じですが、玄関脇の郵便受けの表札が今でも奥山利八となっていて、ここで正解!と判明。

奥山利八商店は文久元年(1861)に三関で創業、明治になって湯沢に移転。戦時中の企業整備で廃業となったが昭和22年に復活。昭和44年には白山酒造設立に加わったが、解散後個人企業に戻り、昭和54年醸造を廃業、その後は酒類卸業となったとのこと。

さらに跡形は見つかりませんでしたが、高久儀助商店<雄物川>は高久商店の並びにあったとのこと。明治23年創業で、隣接の高久(多平)酒造とは血縁だったと考えられる。昭和46年廃業。

もう一つ、奥山儀助商店の斜め向かい辺りに、現在は事務所になっている場所があり、その前はスーパーだったとみられ、そこに以前は湯沢銘醸<一滴千両>があったとみられる。大正9年に湯沢酒造として創業、戦時中の企業整備で廃業となったが、昭和31年押切酒造と合併復活。49年に秋田県発酵に吸収合併され、湯沢銘醸の酒銘が県発酵で引き継がれた。

これで湯沢市内にあった酒蔵は場所がほぼ、確定できました。

時々