新米ペアレントの営業日誌・営業中

2005年3月1日に秋田県大仙市にオープンした大曲ユースホステルのペアレント(経営者)が日々の出来事を送ります。

湯沢酒蔵巡り②

2022-11-15 23:58:46 | 食文化

さて、わかりやすい酒蔵巡りの後は、小さな酒蔵、廃業した酒蔵探し。事前にネットで探して見つかった湯沢の酒蔵跡は3カ所。最初は街中柳町通りの一本裏、秋田銀行の裏辺りにあった高久酒造<小野之里>。現在でも小野之里売所の看板がありましたが、稼働しているとは思えませんでした。

高久家は天正年間(1590頃)とも文禄年間(1593頃)創業と伝えられる県内でも古い歴史のある酒造家のひとつで、この高久酒造は分家の酒蔵。両関酒造とほぼ同じ明治7年に修行先の帯屋市兵衛酒店から独立して創業。大正時代には純粋酵母の培養など醸造法の研究を進めた。その後、昭和44年に3社合同して白山酒造を設立したが、後に解散。廃業(休業)下とみられるが、最近のことのようで、いつなのかは不明。ただ平成16年(2004)にここにあった酒蔵が神奈川県鎌倉市に移築されており、その頃には休業していたとも見られる。看板のあった建物の他に、道向かいにもそれらしい蔵が残っていました。

次に向かったのが木村酒造から県道277号線を南に進んだところにある奥山儀助商店<金時>。一部マニアの間で幻の酒とも云われるほど醸造量は少ないようです。建物はすぐに見つかりました。軒先に看板も出ていましたが、直売はなさそうな雰囲気。明治21年創業で戦後に法人化。杜氏を置かずに家族経営し、昭和40年代になると漬物販売などの多角化を進めたと云う。

本日最後に訪ねたのは、湯沢から西に進んだ山田地区にあった武石酒造<山田川>。平成27年(2015)に廃業したとのことで、軒が落ち、外壁も一部崩れ落ちて無残な姿になりつつありました。明和2年(1765)創業、戦時中の企業整備で廃止工場となったが、両関などの後押しで復活。昭和44年白山酒造設立に参加したが解散後、<銀嶺白山>の銘で個人企業として再出発したとのこと。

本日はこれにて時間切れとなりました。


湯沢酒蔵巡り① 

2022-11-15 23:53:42 | 食文化

まだ先日の横手、増田の酒蔵巡りのデータ処理が終わっていませんが、雪囲いが付けられる前に廻らないと写真映えしなくなるので、今日は芦を伸ばして湯沢の酒蔵巡り。

最初に十文字から皆瀬川を渡った岩崎地区。ここは明治維新の際に岩崎県として独立した行政が置かれるなど、横手、湯沢とは別な歴史のある変わった地域。醸造元も多かったようですが、現在は酒蔵1つのみ。現在は秋田銘醸第二工場となっていますが、元々は峯廼(の)旭<峯廼旭>だった酒蔵。峯廼旭は安政6年(1859)創業で大正初期には県内大手の一角を占め、戦時中の企業整理でも操業工場として存続したが、昭和32年に廃業。その際に秋田銘醸に工場を売却して現在に至るとのこと。全体的に近代化工事が行われ、古さを感じられるのは酒蔵の裏側位のようでした。

続いて湯沢市内に入り、両関酒造<両関>。母屋や古い酒蔵4つは秋田県で最初の国の重要文化財に指定されたが、現役で稼働中。見学も可能だが、現在は新型コロナのため見学はお休み。酒造元としては操業は明治7年(1874)と比較的新しいが、先祖は寛文年間(1670頃)に加賀から来て油屋を営んでいたとのこと。

次に両関から国道398号を越えたところにある秋田銘醸<爛漫>。ここは他の酒蔵が個人経営から始まったのに対して、明治時代に秋田の酒を東京に共同で売り込むため全県の酒造家がお金を出し合って作った酒蔵。設立当初から量産可能な近代的設備を導入した工場としたため、建物の見た目は酒蔵と云うより工場。

さらに柳町通りを南に進んだ田町にあるのは木村酒造<福小町>。店舗の隣には広い駐車場がありますが、かつてはここにも酒蔵があったことを想像させます。また店舗の間口は狭いものの、駐車場から見える奥行きは驚くほど広く、いくつもの酒蔵があるように見えます。天和元年(1681)創業の老舗醸造元。戦時中の企業整備でも操業を継続。平成に入り、経営難に陥り、平成8年(1996)秋田出身の創業社長が率いる映像会社の東北新社の参加になり経営再建を進め、平成25年(2013)に㈱木村酒造を設立。こちらも酒蔵見学は新型コロナのため休業中。

最後に訪ねたのは、湯沢駅から西、雄物川を渡った所にある秋田県発酵<一滴千両・そふと新光>。ここも秋田銘醸と同様に昭和20年(1945)、県内の酒造業者が集まって設立した酒造元だが、時代の要請で合成清酒、焼酎、原料アルコールの製造会社として設立された。昭和49年(1974)に湯沢銘醸<一滴千両>を吸収合併し、多角化として清酒製造を開始。また昭和31年より森永醸造(後に福徳長酒類)が資本参加し、のちに子会社化。さらに平成17年(2005)にオエノングループ(旧合同酒精、傘下に富久娘)の子会社となったとのこと。土手沿いに現工場はあり、まさに工場。場内立入禁止の看板があり、直売等はなさそうでした。

のち