フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月5日(土) 曇り

2020-12-06 13:29:04 | Weblog

10時20分、起床。

寝坊した。土曜日は一週間の疲れが出るのだが、今日はそれに寒さが加わって、布団からなかなか出られなかった。

トースト、ハッシュドビーフ、サラダ(+ゆで卵)、牛乳、紅茶の朝食。

昨日のブログを書いてアップする。

シュトーレンを切る。

シュトーレンを3切れと紅茶のカップを持って書斎へ。(妻に2切れ)

2時から卒業生のユミさん(論系ゼミ1期生)とオンラインカフェ。彼女とオンラインカフェをするのは6月に続いて2回目だ。リアルカフェは昨年の11月に京都で(彼女のお母様も一緒に)したのが最後である。

今日の一番の話題は彼女の転職である。オリンピック関係の仕事を今月いっぱいで辞め、年明けからベンチャー企業に勤め始めることんなったそうだ。スポットコンサルと呼ばれる仕事をする会社とのこと。スポットコンサルというのは初めて聴く言葉だったので、レクチャーをしてもらった。要するに、特定の(総合的にではなく)事柄についてアドバイスを求めるクライアントと各分野の専門家との間のマッチングをする仕事である(と私は理解した)。市場も国内だけに限らないようなので、彼女がこれまでオリンピック関連の広報の仕事と語学留学で培った外国語の能力が発揮できる仕事だろう。

職探しでは苦労したようである。結局、人材ビジネスの会社を通してではなく、友人・知人の紹介が決め手になったそうである。いまの時代、恋人や配偶者探しもマッチングアプリや婚活ビジネスと友人・知人の紹介という新旧の方式の併存状態にあると思うが、それは職探しにもあてはまることだろう。いや、それだけではないだろう。

日々の生活のデザインにしてもそうである。たとえば私の日々の生活に「カフェ」という要素は不可欠で、いくつもの馴染みのカフェがあるが、その多くは友人・知人に教えてもらったものである。(意外に思われるかもしれないが)街をブラブラ歩いてたまたま見つけたというカフェはほとんでない。逆にネットで「人気のカフェ」を検索してそこに行ってみた(そこが馴染みのカフェになった)ということもほどんどない。私とカフェをつなぐものは「人」であり、カフェそのものも「人」とつながる場所である(もちろんときには一人の時間を過ごすための場所でもある)。

ユミさんとのオンラインカフェは2時間に及んだ。最後はテレビドラマ談義で終わったが、彼女の今季のイチオシは『姉ちゃんの恋人』で、私もそれは観ているが、4番手くらいの位置づけである。私のイチオシは『35歳の少女』だが、彼女はそれは最初から観ていないそうだ。

新年からの新しい生活、よいスタートが切れますように。

オンラインカフェを終えて、散歩に出る。今日は冷える。

駅ビルの文具店とパン屋で買物をして帰る。

さすがにシュトーレン3切れで夕食までもたせるのは無理なので、パン屋で買ったソフトドーナツでお八つに食べる。

『鬼滅の刃』最終巻を半分ほど読んでみる(妻が全巻揃えているのだ).

(それまでのストーリーを読んでいないので)当然のことだが、何がそんなに面白いのかわからない。もっとも「人気」というのはある段階までは作品の内容から説明できるが、「爆発的人気」というものは作品の内容からもはや説明することができず、「人気」が「人気」を呼ぶという自己増殖的かつメディア横断的な(関連商品が相次いで登場する)ものになっていく。あの「無残」という手ごわい敵(ラスボス)は、時節柄、コロナウィルスの隠喩のようにも読めるが、その「鬼」が市場の救世主になったわけである。

甘いものを食べた後は辛いものが食べたくなる。これを甘辛の法則と呼ぶが(私が勝手に)、下手をすると無限連鎖になるので注意が必要である。

ほらね。

夕食は青椒肉絲(風)、海老シューマイ、かき玉スープ、ごはん。

食事をしながら今週の『姉さんの恋人』(録画)を観る。このドラマのどこかそんなにユミさんを引きつけるかを考えながら観た。たぶん真人(林遣都)の魅力ではなく、桃子(有村架純)の魅力だろう。好きになった人を一途に思うということ。それが自分と同じだからではない。そうありたいと思っているからである。この点、学生時代と変わっていない。

風呂から出て、『桑田佳祐のやさしい夜遊び』をライブで聴き、『福山雅治 福のラジオ』をradikoのタイムフリーで聴きながら、今日の日記とブログ。

1時半、就寝。