フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月9日(日) 晴れ 前半(句会篇)

2018-09-10 20:54:46 | Weblog

8時、起床。

トースト、カレー、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。「昨夜のカレー」が朝の食卓に並ぶといつもの朝食よりテンションが上がる。

机に向かう。今日のCDはグレン・グールドとコロンビア交響楽団(指揮はウラジミール・ゴルシュマン)によるベートーベン「ピアノ協奏曲1番」とバッハ「ピアノ協奏曲5番」。いろいろな楽器の協奏曲があるけれど、ピアノは同時に複数の音が出せると言う意味で、他の楽器の協奏曲とは異質なもののように思う。全体と部分ではなく、大きな全体と小さな全体。オーケストラを相手に一歩も引かないというところがある。もし神様が「おまえに楽器を弾かせてあげよう」と言ってくれるなら、第一希望はピアノである。第二希望は・・・チェロかな。第三希望は・・・口笛でいいかな(上手な、心にしみる口笛ね)。

11時に家を出て、早稲田へ。

今日は句会の日。場所は「カフェゴト―」。前回(7月)は人数がそろわず流れたので、4か月ぶりになる。出席者は紀本さん、恵美子さん、萬笑さん、こかよさん、透子さん、渺(びょう)さん、月白さん、私(たかじ)の8名。他に投句のみの参加が3名(蚕豆さん、理衣さん、花さん)。

よって本日の作品は11名×3句で33句。兼題は「色を読み込んだ句」(出題は渺さん)。

選句開始。

私がチョイスしたケーキは木苺とナッツのタルト。

私が選んだ三句は、

 天(5点) 一心に台風見つめるわたぼうし

 地(3点) 夏深し腓(こむら)返りの怒りあり

 人(1点) 長き思い色なき風に散りゆかん

 さて、全員が自分の選句を披露し、集計の結果、入選は以下の16句(作者は選評の後に明かされる)。

9点 髪黒く甘く重たく大夕立(おおゆだち) 理衣

 本日の特選。月白さんが天、渺さんが地、恵美子さんが人を入れた。長い黒髪の女性が激しい夕立に濡れている様を詠んだものと思うが、月白さんはこの女性は室内にいて窓から夕立を眺めていると解釈した。「甘く」の部分に一種の官能とナルシシズムを感じるそうだ。なるほど。そういうわれて、私は小野小町の「花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」を想起した。それにしても作者が理衣さんと知って驚いた。「小さなお子さんのお母さん」風の作品が多かったと思いますが、作風が変わりました?(笑) 彼女は初めての特選である。

8点 夏深し腓(こむら)返りの怒りあり 蚕豆

 恵美子さんが天、私が地を入れた。寝ている時にこむらがえり(ふくらはぎがつる)の痛みで目が覚めた経験のある人には。このやり場のない怒りのような感情はわかるだろう。もちろん恵美子さんも私も経験者だ。しかも今年の夏は熱帯夜の連続だった。怒りもまた深いものであったろう。「怒り」というネガティブな感情を扱ってはいるが、それは誰かに向かうものではなく、「ククク」「この野郎」というやり場のないもので、「怒りあり」と怒る自己を客観化することで、そこに一種の滑稽味も生まれる。

7点 八月の始発よ雲の彼方まで たかじ

 私の句。月白さんと透子さんから地、紀本さんから人をいただいた。紀本さんが俳句&エッセー集『八月の終電』を出されたことへの挨拶句である。「八月の終電」に対して「八月の始発」をもってきた。「八月の終電」が「広島」(原爆の記憶)に向かうのに対して(八月の終電はみな広島へ)、「八月の始発」は「雲の彼方」に向かう。一見対照的だが、実は「雲」は入道雲でなくて「きのこ雲」なのかもしれない(原爆が広島に投下されたのは午前8時15分である)。間もなく出版予定の俳句&エッセー集『銀河鉄道の朝』の冒頭を飾る一句である(もちろん嘘です)。

6点 流星群見えぬは私一人かな 萬笑

 透子さんが天、月白さんが人を入れた。「私一人」だけ流星群が見えないというのはいかなる状況なのか。作者の頭の上だけ曇っているとか。そではなくて、みんなで寝っころがって見ていて、「あっ、見えた」「おっ、見えた」とそこここで声がするのだが、あわててその方角をみてもすでに流れ星は流れ去ってしまっている。後手後手に回っているのだ。そういう自分だけ仲間外れになっている状況を詠んだ句である。「かな」は詠嘆だと思うが、ピンと来ない。「私一人なのかな?」の「かな」に見えてしまう。「私一人なり」くらいでどうかな?

5点 清里のキュウリひとくちで噴水 紀本直美

 萬笑さんが天を付けた(ここから先、5点句はすべて誰か一人が天を入れたものである)。意味のよくわからない句である。清里で食べたキュウリがとても美味しかったのだろうということ想像がつくが、それがなぜ「噴水」なのか? 瑞々しくて水分が溢れ出るという意味だろうか。美味さが噴水のように「わっ」と広がるという意味だろうか。作者の解説があったのかもしれないが、聞きもらしてしまった。なお「キュウリ一口・で噴水」は句またがりの技法が使われているが、意味としては「キュウリ一口で/噴水」である。「噴水」と下の句が4音で終わると、句が寸詰まりになって閉じたような印象を与える。それを余韻と呼べなくもない。

5点 緑陰に青きトカゲの知らん顔 月白

 こかよさんが天を入れた。たしかにトカゲというのはシラッと、われ関せず的な「知らん顔」をしているなと言われてみて思う。「緑」と「青」の二色を重ねた効果はあるのだろうか。保護色にも、補色(コントラスト鮮やか)にもなっていないと思うのだが。

5点 白雨(ゆうだち)や靴抱き歩む老婆かな 萬笑

 渺さんが天を入れた。「白雨」は「夕立」の類語だが、通常は「はくう」と読むところ。そうすると「白雨や」で4音になってしまうから、語順を替えて「靴抱いて歩む老婆の白雨かな」くらいか。「白雨」は雨が地面に跳ね返って白く見える様をいう。激しい雨なのだ。靴の中が雨でびしょ濡濡れになってしまうことをいやがって靴を脱いで裸足で歩いている老婆。本末転倒とはこのことだが、そこに人目を気にしない老婆のすごみのようなものを感じる。

5点 秋涼にそっとバットを置き捨てる 蚕豆

 紀本さんが天を入れた。試合に負けてこれが高校生活最後の試合となった野球部員を詠んだものだろう。『プレバト甲子園』でプレバトチームが開成高校生チームと対戦したとき、お題が正岡子規ゆかりの「野球」で(野球という訳語は子規の考案)、このとき開成高校生の一人がこんな句を詠んでいたことを思い出す。「試合果つ 二百十日の バット置き」。

5点 一心に台風見つめるわたぼうし 萬笑

 私が天を入れた。作者は自身の結婚式の日のこと(台風が来ていた)を詠んだ、つまり花嫁衣装の綿帽子を被って、空模様を心配して(あるいは恨んで)いるのだが、私は植物のわたぼうしが台風の到来に身構えて、「負けるものか」(吹きとばされないぞ)と対峙している姿を想像した。「台風」と「わたぼうし」という巨大なものと微弱なもののコントラスを面白い(頑張れわたぼうし)と思ったのだった。一種の誤読であるが、誤読した作品の方が句としては面白いと思う。

4点 夏の昼仏壇跡の黒い奥 恵美子

 こかよさんが地、透子さんが人を入れた。「仏壇跡」とはなんだろう。それまで仏壇が置かれていた場所ということだろうか。なぜ仏壇は撤去された(他の場所に移された)のだろう。仏壇跡の暗い空間よりも、そのあたりの事情の方が闇に包まれていて、気になってしまう。

3点 陶枕に佳人の夢の気配して 渺

 恵美子さんが地を入れた。陶枕(とうちん)とは中国伝来の陶製の枕のことでひんやりとして気持ちいい。そこで「佳人」=「美人」とくればどうしたって楊貴妃を連想してしまう。日本の文人にも陶枕の愛好家がいたらしいが、芥川龍之介とか泉鏡花あたりが描きそうな作品世界である。

3点 花火降り二つの影はうすく濃く 理衣

 萬笑さんが地を入れた。「二つの影」は「親子」のようにも読めるし、「男女」のようにも読める。これまでの理衣さんなら前者、ニューバージョンの理衣さんなら後者であろう。 

3点 三姉妹トリコロールのカキ氷 たかじ

 私の句。紀本さんから地をいただいた。兼題の句で、カラフルなものにしたかった。三姉妹がそれぞれ色の違う三色のカキ氷を食べながらおしゃべりをしている図。トリコロール(三色旗)は赤(イチゴ)、白(甘露)、青(ブルーハワイ)ならフランス国旗。赤(イチゴ)、黄色(レモン)、緑(メロン)ならギニア国旗だ。ほかにもいろいろあるが、そのあたりはお好みで。

1点 長き思い色なき風に散りゆかん 渺

 私が人を入れた。「色なき風」という季語はいいですね。青春、朱夏、白秋、玄冬という。秋の風は白いのだ。句の意味は、ずっと片思いだった人に振られてしまったということか。「色(事)なき」だからプラトニックな失恋である。「水たまり飛び越えてゆく夏の恋」(透子)とどちらを選ぼうか迷った末、「色なき風」という季語の魅力でこちらにした。

1点 キッチンにひそりと睡(ねむ)る黒葡萄 透子

 渺さんが人を入れた。静物画のような句。何かの比喩ではなく、葡萄そのものを描写している。写生句として完成度が高い作品。

1点 落蝉の翅を撫でゆく風さらり こかよ

 萬笑さんが人を入れた。落蝉(おちぜみ)とはもう飛ぶ力がなくなって地面に落ちている(でもまだ生きている場合が多い)蝉のことである。「落ち蝉のまだ生きていて空を見る」(大山夏子)は代表的な落蝉の句だ。もう助けてやることはできない。「風さらり」が非情である。

1点 木洩れ日やどんぐり踏んで走る道 理衣

 こかよさんが人を入れた。これは旧バージョンの理衣さんの句だ。

次回は11月だが、日程は未定。兼題は理衣さん、蚕豆さんが不在なので、私にお鉢が回ってきた。そのままずばり季語の「冬近し」とさせていただきます。 「冬」という字が入っていながら、秋の季語である。秋ど真ん中ではなく、秋から冬への移り変わりの季節(晩秋)の季語である。

句会のあとの食事は「三朝庵」が頼りだったが、夏に閉まってしまったので、「カフェゴト―」の向かいのビルの二階にあるつけめんの「高木や」に入る。「カフェゴト―」から店の中はいつも見えていたのだが、これまで一度も入ったことがなかった。ドリフターズの高木ブーさんがオーナーの店である(ご本人は店には出ていない)。

紀本さん、渺さん、月白さん、こかよさん、私の5名。 

渺さん、月白さん、私は胡麻ダレ。紀本さん、こかよさんは辛子みそを果敢に注文。相当辛かったようだ。

胡麻ダレはなかなか美味しかった。「カフェゴト―」でケーキを食べた後でちょうどいい感じ。

では、ごきでんよう。11月にまたお会いしましょう。次回でちょうど30回目となりますね。

この後の予定(江古田で5時から芝居を観る)まで3時間ほどあるので、それまでの時間を研究室で過ごそう。日曜日だが、キャンパスは閉まってはいない。

新記念会堂(早稲田アリーナ)の屋上庭園(戸山の丘)はもうほどんで完成しているように見える。建物としての竣工は来年3月の予定だが、庭園部分はもっと早く利用できる(歩ける)ようになるのかしら。

キャンパスに人影はまぼらだ。

研究棟の入口のドアは閉まっているが、IDカードで開く。

「単純な生活」は私のモットーで、恵美子さんに書いていただいた(掛け軸にもしていただいた)。

研究室で使っている卓上カレンダーを9月にする。

研究室で雑用を片付けて、さて、芝居を観に行こう。妻とは現地で待ち合わせだ。

地下鉄の早稲田駅にホームドアが設置された。ただし、まだ稼働はしていない。

(後半に続く)