9時、起床。
トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
キュウイとパインのコンフィチュールを食べ終えてしまったので(小瓶なので数回食べると食べ終わる。いろいろなものを塗りたい私にはちょうどいい)、白いんげんのあんの瓶を開ける。
銀座「空也」のもので、いただきものである。上品な味わいである。母は小豆餡よりも白あんが好きだったな。
昼食は妻が買ってきた握り鮨とバッテラ(千代田鮨)。
握り鮨は小池千恵さんの皿に移していただく。
CDコンポの上に並べてある4個の爪人形。これは昨年の12月に「phono kafe」でオガサワラマサコさんの陶製オルゴール(写真左奥)を購入したとき箱の中に新聞紙にくるまれて入っていたものである。オルゴールが箱の中で動かないように詰め物として入っていたのかと思うが、「phono kafe」の棚には同じような爪人形が商品として(1つ800円で)並んでいたから、800円×4個=3200円というのはただの詰物としては高価すぎるのではないか、かといってオルゴールを購入してくれた客へのプレゼントとして考えるのも、値札が張られたままというのがひっかかる。詰め人形と爪物という語呂合わせは面白いが、結局、よくわからないままに今日に至った。
この陶製オルゴールは「星に願いを」(1940年のディズニー映画『ピノキオ』の主題歌)を美しく、優しく、切なく奏でる。
夕方、「phono kafe」に顔を出す。
メロン&レモンのカキ氷。私が一番好きなカキ氷だが、これが最後とのこと。よかった、この時間に来て。
カフェ仲間のトモミさんが入ってきて、お弁当を注文した。「これから子供のお迎えに行くので、その帰りに受け取りに来ます」と言って出て行った。ところがすぐにまた入ってきて、私のところに来て、「相席させていただいていいですか」と言った(他のテーブルは常連さんで埋まっている)。「はい、どうぞ」と私が答えると、「お迎えまでにまだ10分ほど時間があるので、梅ジュースを飲んでいきたいんです」といって大原さんに注文した。寸暇を惜しむとはまさにこのことか。彼女は「phono kafe」の閉店を本当に残念がっていて残りの営業日は出来る限り時間を作って来たいと言っている。その気持ちはよくわかるが、心配なのは、その後に来る「phono kafeロス」症候群だ。大丈夫だろうか。
彼女が出て行ってから、コンニャクの竜田揚げを注文。夕食の前菜だ。 「明日は玄米ビーフンの春巻きを出しますね」と大原さんが言った。明日、私が卒業生を連れてくるので、私の好物を出し下さるということだ。ありがとうございます。
トモミさんがお子さんを連れてお弁当を受け取りにやってきた。大原さんとのスリーショットをお撮りしましょう。
最終日の9月30日(日)の予約をすでにしている人もいるという。みんな、それぞれに、「phono kafe」の閉店を惜しみ、大原さんとの別れを惜しんでいるのだ。「今日の大原さん」の写真は私とのツーショット(セルフタイマーで撮った)。私はラフな格好をしているが、自宅から「phono kafe」までは90秒なので、部屋着のままぶらりとやってきたのである。
店を出たのは6時半。ラストオーダーは7時なので、私が今日の最後の客になったかどうかはわからない。
帰宅すると、どこからかナツが挨拶にやってきた。野良猫はこういう点がマメである。自分に好意的な人間との関係を良好に保っておくことは野良猫の生存戦略である。
夕食は親子丼、サラダ、玉子の吸い物。
「玉子がかぶっちゃった。うっかりしたわ」と妻が言った。「偶々(たまたま)だよね。玉子だけに」と私は答えた。ナイス・フォローだった(かな?)。
デザートは桃。「今年最後の桃よ」と妻が言った。「次からは何?」と私が尋ねると、「梨とか、葡萄とか」と妻は答えた。四季折々の果物があるというのはよいものである。
8月が終わった。6月中に梅雨明けとなり、7月、8月と丸々2カ月の暑い夏だった。「もう十分」という気持ちと、「でも、夏が終わってしまうのは淋しい」(残暑よ、続け)という気持ちが拮抗している。
2時半、就寝。