フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月12日(水) 曇り

2018-09-14 13:18:09 | Weblog

9時半、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

いただきものの焼き菓子を食べる。

今日の『半分、青い』。病室を訪ねた鈴愛と律に晴は鈴愛のことが心配でならない、鈴愛の行く末が心配でならない、誰かもらってくれないだろうかと、律の顔を見ながら言う。 「これから癌の手術を受ける人間」という立場を思いっきり利用している(笑)。律は、さすがに「安心してください。僕が幸せにしてみせます」とは言わなかったが、「鈴愛と一緒に会社を立ち上げます」と鈴愛に相談もせずに答えた。律はやはり「他人の期待に応える」という生き方が抜けていないな。もっとも「他人の期待に応える」生き方というのは社会的存在としての人間の基本ではある。小さな子供は目の前のことにしか関心がない。将来のことを考えるなんていうのは大人の生き方だ。それが「大きくなったら何になる?」と大人たちから聞かれることで、未来志向の生き方を学習していくのだ。このとき質問にどのように答えたら大人がほめてくれるか、喜んでくれるかを子どもは理解する。そしてそういう方向で生きていくようになるわけだ。初めから自分の中にそういう方向性があったわけではない。大人の要求を取り込んで自分の欲望に変換して生きていくのだ。自分は自分の思い通りに生きていると思っている人はこういうメカニズムに鈍感なだけだ。

机に向かう。今日のCDはグレン・グールドの弾く「平均律クラヴィーア曲集 第一巻」(バッハ)。

最近はLPを聴くことがほとんどないが、学生時代、一番最初に買ったクラシックのLPはグールドの弾く「平均律クラヴィーア曲集 第一巻」だった。それを皮切りにグールドのLPを立て続けに購入したのは、長年に渡って朝日新聞の夕刊に「音楽展望」を書いていた音楽評論家の吉田秀和の影響だった。私の世代にそういう人は少なくないのではないか。

「私は、自分でもまったく想像もつかないほど、長々とグレン・グールドについて書いてきた。私には、自分の書いたことが、読者が彼のバッハを楽しみ、理解するうえに、果たして何かの役にたつかどうか、見当がつかない。私はただ、はじめて彼のレコードをきいた時、バッハの作品のうえに長い間たまってきた塵埃の類を一挙に払いのけて、この作品がはじめて生まれた時のような、率直で新鮮で、しかも尽きることのない生命ーと芸術!―にみちている生きもののようにきこえてきたし、その時感じた驚きと喜びは、不思議なことに、いつ、また、このレコードをとりだしてきいてみても、同じ新鮮さでくり返されるとだけいっておけばよかったのかもしれない。」(吉田秀和「グールド讃」より、『吉田秀和全集』第6巻、172-173頁)。

私はバッハも好きだし、グレン・グールドも好きだが、たぶん吉田秀和が一番好きなのではないかと思う。彼が書いていることをよりよく理解したくて、彼が書いている音楽を聴いてきたのだと思う。

昼から大学へ。今日はオフィスアワーの水曜日だ。

秋の長雨の季節が近づている。ただし、その前に夏に別れを告げ、秋の訪れを感じる「鎌倉日和」の一日がどこかでなくてはならない。その日を見逃すことがあってはならない。

一文の卒業生で「発達障害ライター」の宇樹(そらき)義子さんが研究室にやってきた。彼女と会うのは卒業以来である。社会学専修の学生ではなかったが、大教室で私の講義を受けており、なんどか個人的におしゃべりをしたことある。彼女も私の講義や私とのおしゃべりのことはよく覚えていて、最近、ネットで私の研究室のホームページやブログのことを知り、連絡のメールをくれたのである。アラフォーになった彼女は学生時代よりもいくらかふっくらとし(本人曰く「幸せ太りです」)、学生時代よりも快活に社交的に話す人になっていた。

いまはご主人と九州にお住まいで、今日は夕方からお父様と食事をされる約束があって、その前の時間に研究室に顔を出してくれたのである。最近、発達障害の自立・就労を試験する本③『発達障害の人の「私たちの就活」』(河出書房新社)という雑誌に「このわがままな身体と生きていく」というエッセーを書いていた。郵便で大学の方に送ってくれていたのだが、私はその前にアマゾンで購入して読んでいた。大変に興味深い内容である。

「たかはし」に食事に行く。

私は肉豆腐定食、彼女は卵焼き定食を注文した。お父様との会食は人形町で懐石料理とのことなので、ご飯は軽めにされるようにアドバイスすべきだったが、「ご飯は残します」と言いながら、しっかり完食した。

大好物だが、真夏なら決して注文しなかったであろう肉豆腐定食。こんなところにも秋の訪れを感じる。

食後のお茶は「カフェゴト―」で。私はシナモンミルクティー、彼女はセイロン風ミルクティーを注文。「たかはし」でガッツリ定食を食べた直後なので、スイーツはなし。

 

彼女は高機能自閉症ということだが、そういわれても、「そうなの?」という感じ。たしかに学生時代の彼女にはコミュニケーション下手なところはあったかもしれない。でも、文学部の学生や教員つまり私の周りには、そういう人はめずらしくないので(笑)、とくに何かの「障害」だとは思わなかった。しかし、本人にしてみたら、自分が直面しているあれこれの困難な状況の背後に「発達障害」という原因があると知ったこと(診断を受けたこと)は、ショックである反面、救われた気持ちにもなった。なぜなら「無理をしなくてもいい」と言ってもらえたからである。「障害」とは本人に内在するものではなく、本人と社会との間で生じるものだから、双方向的に調整し合いながら、「生きやすさ」を模索していくべきものである。

*発達障害については、私が生半可な説明をするよりも、この雑誌をお読みいただくのがよいだろう。

彼女が帰ったあと、お土産にいただいたお菓子を研究室で食べる。和三盆を使ったバタークッキーである。

口に入れるとホロリと溶けた。これはまたずいぶんと上質なお菓子である。立て続けに3つ口に運び、「いかん、食べ過ぎてしまう」とあわてて自粛した。

彼女は卒業してから、ときどき私に連絡を取りたいと思っていたそうだ。私の方も、何かのときに「あの学生はその後どうしただろう」と思い出すことがあった。そういうことは珍しいことではないが、実際に連絡が届くのはごくまれなことだろう。この夏は彼女のほかにもそういう連絡をくれた卒業生がいて(ブログには書いていないが)、毎晩、天体観測をしている研究者が遠い宇宙からの微弱な、しかし知的生命体からの電波をキャッチしたときのような気分になった。「あの頃」と「いま」がつながったような気分といってもいい。人生を物語だとすれば、それはそのときそのときの断片的なエピソードの集まりように見えながら、思わぬところで連続しているものなのである。

6時半頃、研究室を出る。

9月になって、研究室に来て仕事をされる人の数も増えているように思う。

 

秋学期の授業開始まであと2週間だ。

夕食は豚肉とキャベツとニンニクの茎のオイスターソース炒め、

蕗の煮物、胡桃とほうれん草の白和え、大根と卵の味噌汁、ご飯。

不意打ちのように投稿原稿の査読の依頼が来る。いま書いている原稿と締め切りがタブっているが、引き受けざるを得ないか。いま書いている原稿の締め切りの2日後を査読の締切にしてもらえるのなら引き受けますと返事する。それでお願いしますとのこと。わかりました。田宮次郎が『クイズ・タイムショック』の冒頭で言っていたように、「人生は時間との闘いです」。

3時、就寝。