8時、起床。
トースト、ハム&エッグ、サラダ、紅茶の朝食。(牛乳は切らしてしまった)。
今日の『半分、青い』。「お前は飯アシだ」(みんなの食事を作る担当のアシスタント)と漫画家秋風に言われ、「私をだましましたね」と怒る鈴愛。秋風のデスクにあった書きかけの原画を奪い取って「私を漫画のアシスタントにしなければ、これを窓から捨てる」と迫る。泣き寝入りしないところがすごいが、こういうキャラだったっけ?
今日は「phono kafe」の5周年のイブ。電話をして午後6時から2名と予約する。
花屋に行ってお祝いにさしあげる花と神棚用のお榊を買う。
購入したのは可愛らしい蘭だが、店内にはたくさんの紫陽花の鉢が並んでいた。
花屋の並びの「あるす」に顔を出す。今日は暑い。でも、クーラーは不要。団扇の風はのんびりした気分にしてくれる。
ココアを注文(というか、コーヒーが切れていて、ココアくらいしかなかった)。カップの中のココアに天窓の風景が映っている。
柿の木の新緑である。
店を出るとき奥様が見送りに出て下さる。ちょうど小学校の下校時間だ。
帰宅して新しいお榊をお供えする。お榊も新緑だ。
3時半頃、再び外出。
綱島に行く。「ツナシマパン」で先日食べておいしかったコロッケパンを購入。
綱島に来たのはコロッケパンを買うためではない。眼鏡店「アイケアシステム」に用事があって来たのだ。
用事をすませて、ちょっと時間に余裕があったので、昔住んでいた場所に行ってみることにした。35年前、新婚生活をスタートした場所だ。そこで2年ほど暮らした。
鶴見川にかかる大網橋を渡る。
当時はこんなふうに歩行者通路と自転車用通路が分離されてはいなかった。
橋を渡って、右側(上流の方)へ。
東横線のガード下をくぐる。ここは昔のままだ。
タイムトンネルをくぐって35年前の世界へ行くみたいな気分だ。
川沿いの土手下の道をひたすら歩く。
10分ほど歩いたあたりで左折。あっ、当時と同じ場所に自動販売機が置かれている。大学院生だった私は、妻が出勤した後、この自販機で缶コーヒーを買って、机に向かうのを習慣にしていた。
この自販機のある角を左に入ると私たちが住んでいたアパートが見えるはずである。当時は建ったばかりの新しいアパートで、われわれが最初の入居者だっが、はたした残っているだろうか。私はまるで『幸せの黄色いハンカチ』の主人公(高倉健が演じる刑務所帰りの男)のような気分になった。はたして妻は自分を待っていてくれるだろうか、もし待っていてくれるならその印に軒先に黄色いハンカチを吊るしていておいてくれ、もしそれがなければ自分は黙って帰るからと、妻に手紙を出しておいたのだ。
風景はすっかり変わっていた。あのアパートは影も形もなかった。
「それはそうだろう。もう35年も経っているのだ」と納得して、歩いてきた道を引き返した。
鶴見川を再び渡る。
蒲田にはちょうど6時前に着くはずだ。
蒲田駅から家に電話をして、私は直接「phono kafe」へ向かうので、玄関先においてある花を持って来てくれるよう妻にお願いする。
店内には整体師の遠山さん親子がいらした。お久しぶりです。私たち夫婦が夕食を予約していると大原さんから聞いていて、「夕食で予約とはお珍しい。結婚記念日か何かかしら」と思われたそうである。いえいえ、「phono kafe」の開店5周年をお祝いするために来たのですと話すと、それを聞いていた大原さんが、「えっ、忘れてました」と言ったからみんなで笑った。
ご飯セットを注文。
ブロッコリーのタルタルソース(左) 揚げ茄子とほうれん草とみょうが和え(右)
ベジミートとピーマンのバルサミコ炒め(二皿注文) 私の好物だが、いつもよりボリュームアップされているのは、お花のお礼ということのようである。
大根とレンズマメのスパイスマリネ(左) おからコンニャクの竜田揚げ(右)
ご飯は半分で。
こうしたアニバーサリーも今回で最後だ。6周年はない。「phono kafe」は今年の9月末で閉店する。そして大原さんは高知へ行って、農業を始める。
7時前に店を出る。
山田時計店に置時計の修理の相談に行く。早稲田大学での最初の教え子たちから卒業のときにいただいた記念の時計だ。電池を交換しても動かなくなってしまった。セイコーのエンブレムという種類の時計で、当時はよく売れたそうだが、メーカーに問い合わせてみて、在庫がまだ残っていれば、ムーブメントのユニットごと交換となります、たぶん1万円くらいかかると思いますとのこと。では、お願いしますと時計を預ける。
2時、就寝。