9時、起床。
トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
今日の『半分、青い』。すずめの東京行き(漫画家を目指す)に反対していた家族(とくに母親)はあっさり賛成に転じた。これが朝ドラの美点である。家族の揉め事にグダグダと時間を費やさない。家族は人生のストーリーのアクセル要因でもあり、ブレーキ要因でもあるが、朝ドラでは主としてアクセル要因として機能する(主人公の背中を押す)。したがって朝ドラの主人公は早い段階で親元を離れるのがセオリーである。いかにものわかりのよい家族であっても、同じ屋根の下で暮らしていれば、衝突は不可避である。主人公が地方出身であるという設定は主人公が家族の外に出ることを比較的容易にする。もし主人公が東京あるいはその近郊に生れたら親元を離れることは簡単ではないだろう。大学の演習クラスの自己紹介のとき、通学時間に言及する学生が多いが、2時間、2時間半というケースが珍しくなかった(さすがに3時間はいなかったが)。一日のうちの4~5時間を通学に費やすというのは(座って本が読めるのであれば話は別だが)時間と体力の浪費だと思うが、東京で一人暮らしをすることの費用の高さがネックになっている。
書斎でコトコトやっているとあっという間に昼食の時間である。私一人のときは、お腹がかなり空いてから(午後2時から3時あたり)に食べるのだが、今日は妻も息子もいるので、昼食の時間は家族の時間に属している。つまり「お昼、できたわよ~」という妻の声でリビングに行く。
海鮮丼とサラダと味噌汁。
海鮮丼である。といっても、鮪とイクラの二色丼であるが。
『アンナチュラル』の第4話と第5話(録画)を観た。全10話なので、このペース(TVドラマの2本分は映画一本分に相当する)で無理なくGW中に見終わるだろう。演習クラスの自己紹介とのとき、「好きな歌手」に米津弦師を上げる学生が多かったが、『アンナチュラル』の主題歌「Lemon」を歌っていたことの影響だろうか。この主題歌がドラマのどこか(多くは終盤)で流れるのだが、どのタイミングで流すかは演出の腕の見せどころだろう。脚本家の中には「ここで主題歌挿入」という指示を脚本に書き込む人もいるが(倉本聰が、シャレではないが、そうであった)、そこまではしなくても、脚本を書きながら、「この場面で主題歌挿入」と頭の中で指示を出している人は普通にいるのではないかしら。第5話までを観た限りでは、第4話のタイミングが一番効果的であったように思う。ケーキ工場での過剰労働が原因でバイク事故を起こして死んだ男性の解剖をした回である。死亡事故を起こす前にも男性は社長宅へバイクでケーキを届けて帰る途中で転倒事故を起こしているのだが(そのときの怪我がのちの死亡事故の原因になった)、路上に転倒して見上げる空に花火が上がっていて(ここで主題歌挿入!)、それを見た男性はいまごろ自宅で花火を見ている妻子のことを思い、「帰らなくちゃ」と立ち上がり、傷だらけで帰宅し、もう寝てしまっている子供のそばに行って、子供の撫ぜながら、彼らの幸せな未来を願うのである。男性役をお笑いトリオ「我が家」の坪倉由幸が好演していた。
『アンナチュラル』を2本観て、夕飯の時間までまだ1時間半ほどあったので、いつもであれば夜が更けてから出かけるウォーキング&ジョギングに今日は夕食前に出掛ける。
強い南風が吹いていて、向かい風になるところは走りにくかったが、追い風になるところは体がふわっと浮く感じがした。
月夜もいいが、夕焼け空の下も悪くない。さあ、帰らなくちゃ。
風呂を浴びてから、夕食。
ビフテキだ。もちろん美味しいのだが、せっかく落とした体重のことを考えると、ちょっと気分は複雑である。
いただきものの羊の乳から作ったチーズを食べる。ちょっとハチミツを垂らして、サラダと一緒に食べるのが美味しい食べ方であることを発見した。
すでにウォーキング&ジョギングはすませているので、夕食後の時間はまとまって読書の時間にすることができる。先日、購入したばかりの貴戸理恵『「コミュ障』の社会学』(青土社)を読む。読みやすく、示唆に富む本である。 社会とは人と人が相互作用(行為)している状態であるが、それはコミュニケーションと言い換えてもよく、したがって、「コミュ障」という概念は社会学にとって周辺的なテーマではなく、本質的なテーマであるといっても過言ではないだろう。
2時半、就寝。