花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「矢文様」について

2010-04-06 | 文様について

presented by hanamura


暖かくなったり、
寒くなったりと安定しない日々が続いています。

ここ東京では、桜がやっと満開なりましたが、
雨の日が多く早くも散りはじめてしまっています。
しかし、桜の花は散る姿も美しいですね。
桜吹雪が舞う下を通り過ぎるときは、
とても気分が良いものです。

気が付くともう4月。
5月5日の端午の節句を迎えるために
早くも鯉のぼりをあげるお家も見かけます。
家の中に五月人形を飾る方もいるでしょう。

五月人形を飾るのは、
子供の健やかな成長を願い、
禍から守るためですね。

五月人形はもともと、
古代の武士たちが身の安全を願い、
神社に兜や鎧を奉納したことが始まりです。

五月人形に欠かせない
兜、鎧、刀、矢などの装飾品は、
武士にとっても欠かせなかった武具です。

これらの武具は、武士の精神を表すものとして、
実用性はもちろんのこと、
大変凝ったつくりのものが数多くあり、
現代では芸術品としても扱われ、
日本だけではなく、世界中にコレクターがいます。

着物や帯の意匠の中心となる文様にも、
そうした武具を意匠化したものが数多くあります。

今日はその中から、
矢文様についてお話ししましょう。

いわゆる「矢」という道具が
使われはじめたのは縄文時代の頃ですが、
「矢文様」の意匠に用いられる「矢」は、
長い棒の端に鷲や鷹の羽がついたものです。



上の写真の和更紗は、
兜や刀、矢などの武具を意匠化したものです。

「矢」は、古代から本来の目的の武具として用いられたほか、
家の鬼を祓う魔よけ(破魔天(はまや))として、
新年には家内安全を願って飾られました。

文様においても
縁起ものとしての意味を持つものが多いようです。
的に当たった矢の文様は
「的矢(まとや)」と呼ばれ、
「当たる」ということから、
商店の看板や家紋などにも用いられています。

また、現在でも人気の高い矢絣文様も
縁起物としての意味合いがあります。

矢絣文様は矢羽の形を連続的にあしらったものですが、
その文様が絣によってあらわされていたため、
そうよばれるようになりました。
もともとは弓の弦に接する矢の一方の末端部分を
「矢筈」とよんでいたことから、
「矢筈文様」とよばれていたようです。

ちなみに現在では小紋などの
「染め」で表されたものも、
「矢絣」とよんでいます。

「射た矢は戻ってこない」ということで
江戸時代ではこの矢絣文様の着物を
嫁ぐ娘に持たせたりしていたようです。

また、明治時代~大正時代には
矢絣があらわされたお召しと袴の組み合わせが
当時の女学生の間でファッションとして大流行したりもしました。

現在でも矢絣の着物は大学の卒業式のときに
着られたりしていますね。

もともと戦いの道具であった「矢」が
女学生の間でファッションアイテムとして
人気を博すことになるとは、
たいへん興味深いように感じられますが、
昨今の女子高生たちの間で、
武将や時代劇がブームということもあるので、
女性の深層心理のなかにも
武具や武人にロマンを感じる何かがあるのかもしれませんね。

どちらの時代も女性の自立と社会進出が目覚ましくなってきた感がある時期で、
それが時代の空気にも少なからずあらわれたのではないでしょうか。
そう考えてみると、文様というのはたいへん奥深いものだと
あらためて感じてしまいますね。

※写真の名古屋帯は花邑銀座店にて取り扱っています。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は4月13日(火)予定です。


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