presented by hanamura
秋分を迎えて、秋はだいぶ深まってきているようですね。
日が暮れるのも早くなりました。
近所に植えられた柿や栗の実もすっかり色付いています。
「収穫の秋=食欲の秋」ですね。
秋から冬にかけた季節は、
現代の日本ではあまり馴染みのないものですが、
「狩り」の季節でもあります。
古代の人々にとって、
「狩り」は貴重な糧となる肉を確保するためのものでした。
そして、勇敢さや力を表すものでもあったようです。
今回はその狩りを意匠化した「狩猟文様」についてお話しましょう。
狩猟文様とは、弓矢や槍を携えて馬に乗った人物と
その狩りの対象となる獅子や羊、鹿、猪を中心に、
異国の樹木や草花などを背景として
狩猟の光景を意匠化した文様です。
日本の狩りの光景とは異なる
異国の人物や動物、樹木、草花などが
意匠化されているのは、
この文様が古代のペルシア(ササン朝時代)から西アジアを
中心にシルクロードを経て伝えられたものだからです。
古代のペルシア人にとって狩猟とは、
王候貴族達のためのスポーツでもあり、
勇気と力の象徴でもありました。
つまり、その光景を織物に意匠化することで、
国内外にペルシアの力を誇示したのでしょう。
ペルシアで織られた絨毯や布は、
シルクロードを通って
西や東に運ばれ、
世界各国にもたらされました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/b0/fc7003a8e1cc742b39e49690e8b4d9e1.jpg)
日本にもすでに奈良時代には
伝えられていたようです。
事実、奈良の正倉院には、
当時にペルシアからもたらされた織物が残され、
その中にこの狩猟文様が表されているものがあるのです。
日本にもたらされた狩猟文様を見た
当時の貴族たちは、
狩猟文様に込められた
異国人の勇猛さや力強さを感じただけではなく、
まだ見ぬ遥かなる異国であったペルシア自体への
想いも強く募らせたことでしょう。
その後、このペルシアからもたらされた織物を見本に、
日本でも狩猟文様を配した染織品が、
多くつくられるようになりました。
後にペルシアが衰退していくことを考えると、
この狩猟文様こそペルシアの栄華を歴史に刻んだ
文様といえるのではないでしょうか。
※写真の狩猟文様の名古屋帯は花邑にて取り扱っています。
花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は10月6日(火)予定です。
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