花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「花筏文様」について

2013-07-25 | 文様について

presented by hanamura ginza


7 月も早いもので、半ばを過ぎました。
今年の夏は雨の日が多いのですが、
時折、その雨の合間を縫うように、
木々の上から蝉の声が聞こえてきます。

先日、その蝉の声に耳を澄ませていると、
どこからか盆踊りの太鼓の音が聞こえてきました。
盆踊りは蝉の声と同じように、夏の風物詩のひとつですね。
太鼓の音を耳にすると、
おもわず気持ちがそわそわしてしまいます。

さて、この盆踊りは、
お盆のころに自宅に帰ってくるご先祖さまや精霊をお迎えした
喜びの儀式とされています。
平安時代に仏教の儀式として
空也上人によって行われた念仏踊りと
祖先の霊を供養する盂蘭盆(うらぼん)とが結びついた行事だといわれています。

現代では、その地方の民謡やポップス、演歌などの曲が
流されることが多いため、
こういった宗教色はだいぶ薄れてきていますね。
盆踊りのように、時代を経るにつれ、
宗教色が薄れたものは多くあるのでしょう。

今日お話しする花筏の文様も、
そのひとつかもしれません。

花筏文様とは、流水の絵図に筏をあらわし、
その筏の上や周辺に花を配した文様です。



上の写真の
名古屋帯は、昭和初期頃につくられた帯地を
お仕立て直ししたものです。
勢いのある流水の絵図に、筏と牡丹が配されています。
刺繍の施された牡丹が華やかで、目を引きますね。

涼やかで清々しい印象の流水と
華麗な花々の組み合わせが風流な趣きで、
現代では、その涼やかさのためか、
夏物の意匠に用いられることが多いようです。

また、水面に帯状になって流れゆく花びらを筏に見立て、
「花筏」と呼ぶこともあります。

さて、この花筏の由来ですが、
もともと筏には骨壷が乗せられていたそうです。
花々は骨壷に添えられた供花で、
筏に結ばれた骨壷の紐が解けて、
骨壷が筏から外れ川に落ちると早く極楽に行けると
言い伝えられていたようです。

つまり、花筏の文様は骨壷が川に落ちて、
そのあとに残された筏や骨壷に添えられていた花々の姿を
あらわしたものともいえるのでしょう。

京都東山の高台寺に桃山時代から伝えられる蒔絵には、
この花筏の絵図があらわされています。
川に浮かべられ、流れ行く筏と花の姿は、
存在するものは絶えず移り変わっていくという
仏教の無常観をあらわしたものとされています。

もちろん、そういった意味合いを知らなくても、
意匠としての美しさは変わらないのですが、
美しさの中にもそういった古来より伝えられた
死生観があらわされているのだと思うと、
より深みとロマンが感じられますね。

上の写真の「花筏文様 染めに日本刺繍 絽 名古屋帯」は 花邑 銀座店でご紹介中の商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 8 月 8 日(木)予定です。
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「蛍文様」について

2013-07-10 | 文様について


presented by hanamura ginza


連日、蒸し暑い日がつづき、
いよいよ夏本番の天気となっています。
東京では、例年より早く梅雨が明け、
七夕の日には、晴れた夜空を眺めることができました。

平安時代にも清少納言が「枕草子」の中で
「夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、蛍の多く飛びちがいたる。
また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。」
と記していますが、
現代でも夏には七夕のように、
花火や縁日など「夜」の時間を楽しむイベントが多くなりますね。
また、現代でも蛍の鑑賞が観光地や都内のホテルで催され、
人気を博しています。

蛍は、水、土、空気とすべて良い環境が揃っていないと生きていられない昆虫です。
そのため、自然の少ない都内では、
奥多摩などの一部の地域を除いて
残念ながら見る機会はほとんどないといえるでしょう。

しかし戦前では、都内であっても各地で蛍がみられ、
春の桜のように、夏に蛍を愛でることは、
生活に定着したものでもあり、
縁日でも蛍が売られていました。

蛍は、太古の昔から世界各地に棲息していている昆虫のひとつで、
その数は 2000 種になります。
日本には、その中の 40 種ほどが棲息しています。

ちなみに、東日本の蛍は 4 秒周期で光り、
西日本の蛍は 2 秒周期で光ります。

初夏から夏にかけて成虫した蛍は、
相手を捜すために光りを放ちますが、
種類や雄雌によってその光り方は異なります。

蛍のホは火をあらわし、タルは垂をあらわすということで、
雄が、下にいる雌のもとに光りながら降りる様子をあらわしたものとされています。

文献では、奈良時代に編纂された「日本書紀」にはじめて蛍のことが記され、
「万葉集」にも見られます。

平安時代になると、蛍の鑑賞が貴族たちの間で人気となり、
さまざまな物語や歌に蛍のことが記されています。

在原業平が書いた伊勢物語では、
「はるる夜の星か河辺の蛍かも、わが住むかたの 海人アマ のたく火か」
と詠まれ、
「古今和歌集」 では紀重之 が
「音もせで思いに燃ゆる蛍こそ、鳴く虫よりもあわれなりけり」と
あらわしています。

日本の蛍のなかでよく耳にするものは、
「源氏蛍」と「平家蛍」でしょう。
光り方も含めて大きいのが源氏蛍です。
こうしたよび名は平安朝末期の源平合戦に由来しているといわれています。

雌を探して雄の蛍が飛びまわる情景を「蛍合戦」とよび、
平家に負けて自決した源頼政の魂が蛍となり戦をしているともいわれました。

この「蛍合戦」のように、古来の日本人にとって「光るもの」は、
神秘的なものを感じさせるものでもあり、
蛍の光を魂にみたてた詩や物語が多くつくられています。

江戸時代には、各地に蛍の名所があり、
老いも若きも蛍狩りに行ったようです。
当時描かれた浮世絵にも、
蛍狩りの様子をあらわしたものがあり、
「ほう ほう ほたるこい」というわらべ歌がつくられたのも、
このころです。

着物や帯の意匠にも、蛍が用いられることはありますが、
意匠に用いられたのは江戸時代からで、
その数は蛍の人気に比べ少ないようです。



上の写真は
昭和初期頃につくられた絹絽からお仕立て替えした名古屋帯です。
手描き染めで柳に蝙蝠、蛍の絵図があらわされた意匠からは、
夏の夕暮れどきの川辺に吹く涼やかな風さえも感じられます。

作家の池波正太郎さんは
戦前の下町風景をあらわしたエッセイの中で
「夏の夕空にはコウモリが飛び交い、微風に風鈴が鳴り、蚊やりのけむりの香ばしい匂いがして、寝るときには青い蚊帳を釣った。
縁日の夜店で売っている蛍を買ってきて、蚊帳の中へ放し、まるで夢の中の世界へひきこまれるような気分で、青白くたゆたっている蛍の光を眺めていたものだ。」
と書きあらわしています。

この意匠には、まさにその当時、身近にみられていた
夏の風物詩があらわされているのですね。
現在では、みる機会がなくなった情景ですが、
意匠を眺めると当時の情景が浮かんでくるようです。

上の写真の「柳に蝙蝠と蛍の図 絽 名古屋帯」は 花邑 銀座店でご紹介中の商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 7 月 24 日(水)
予定です。
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「露芝文様」について

2013-07-03 | 文様について

presented by hanamura ginza


はやいもので、もう 7 月ですね。
東京では、梅雨の中休みの良い天気がつづいています。
雨水をたっぷり吸い込んだ草花はすくすくと育ち、
木々の葉も繁りはじめ、早くも夏本番の気配です。

それでも風はまだ涼しく、
晴れた日には、公園でお弁当を広げている人たちの姿をよく見かけます。
公園に植えられた芝生は青々しく、
芝生を駆け回っている散歩中の犬たちも、
こころなしかはしゃいでいるように思えます。

さて、今日のお話はこの芝生(芝草)に関係があります。

現在、日本に生えている芝草には、
大きく分けて、日本芝と西洋芝の 2 種類があります。

日本芝は夏芝ともよばれ、
暑さに強いのですが、
冬になると、地上に出た草が枯れてしまいます。
一方、西洋芝は冬柴とも呼ばれ、
寒さに強いため、冬になっても青々としていますが、
夏になると枯れてしまう場合もあるようです。

芝草は、イネ科の植物で、
遠い昔から日本に自生していましたが、
すでに平安時代の頃には、
今日のように庭園にも植えられていたようです。

古来よりあるのはもちろん日本芝のほうで、
俳句の季語でも、青芝は夏をあらわし、
枯芝は冬をあらわすために用いられます。

広い範囲に生える芝草は、
葉の色が変化することで、
季節の移ろいが感じられるため、
遠い昔から、和歌や俳句の題材に用いられてきました。

万葉集や日本書紀にあらわされた和歌には、
芝草を詠んだ和歌がいくつか残されています。
また、平安時代には芝草についた露のことを「道芝の露」とよび、
儚いものという意味合いで使用しました。

この「道芝の露」は文様化され、
桃山時代の頃になると、
着物や調度品などの意匠に多く用いられるようになりました。
半円状の弓なりとなって描かれた芝草の上に、
小さな丸で露があらわされた意匠は、
「露芝(つゆしば)」文様とよばれるようになりました。

この時代につくられた能装束には、
露芝文様があらわされたものが多くあり、
それらの意匠からは、戦国の世の無常観が感じられます。

また道芝の露は、葉についた露がするりと落ちる様から、
するりと鋭く切れる日本刀を指す言葉としても、用いられました。

露芝文様は、江戸時代の小袖にも多く用いられています。
決して派手さはないのですが、
和の風情と美意識が感じられる露芝文様は、
江戸っ子たちにも人気があったのでしょう。



上の写真は、昭和初期頃につくられた帯地から
お仕立て直しをした名古屋帯です。
露芝文様に桔梗や萩、すすきなどの秋草が所々に
あらわされています。
すっと細い線で描かれた露芝は
涼感を誘うとともに清楚な秋草の美しさを引き立て、
意匠全体からは渋みのある和の風情が漂います。

本格的な夏はもうすぐそこまでやってきています。
ファッションの中でも、お着物はとくに周囲の方の目も楽しませるものですね。
やはり暑い季節には、涼やかな意匠が目を引くものです。
露芝があらわされた着物や帯で、涼感を演出するのも
素敵でしょう。  

※上の写真の名古屋帯は 7 月 5 日に花邑 銀座店でご紹介予定の商品です。

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