花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「朝顔」文様について

2014-06-27 | 文様について

presented by hanamura ginza


梅雨雲が空に広がるすっきりとしない天気がつづいています。
晴れていても、急に雨となってしまう場合があり、
雨に降られないようにと、急ぎ足で家に帰る日も多くなりました。

どんよりとした天気の中、
商店街の軒下に巣をつくったツバメが
鳴きながらあちこちを低空で飛び交っています。
ツバメの巣立ちは、七夕の前後が多いようですが、
いつの間にかすっかり大きくなった雛をみると、
その日も近いように思えます。

七夕といえば、「織姫と彦星」ですね。

この「七夕伝説」は、
古代の中国でつくられたものと言われています。
その中国では、織姫は織女(しょくじょ)、
彦星は牽牛(けんぎゅう)という名前でよばれていました。

この七夕の時季に咲く朝顔は、
中国では「牽牛子(けんごし)」という名前だったようですが、
その名前は、七夕伝説に登場する「牽牛」に由来しています。
それは、開花時期が七夕と重なるということと、
花びらに星のかたちをした模様が見られるためのようです。

また、古代の中国では朝顔の種の芽になる部分に下剤の成分があるとされ、
薬用として用いられていました。

日本にこの朝顔=「牽牛子」が伝えられたのは、
奈良時代の頃とされていて、
遣唐使がその種子を薬として持ちかえったと言われています。
同じような頃に、七夕伝説も日本に伝わったようなので、
昔の人々はその名前の由来も含めて「牽牛子」を眺めたのでしょう。

ちなみに、「朝顔」という呼び名は万葉集にも登場しますが、
そのころは、特定の花を指した名前ではなく、
桔梗や蕣(むくげ)など、
朝に咲く美しい花のことをよんだものだったそうです。

「牽牛子」を「朝顔」とよぶようになったのは、
平安時代のころのようです。




江戸時代になり、武士や庶民の間で園芸が広まると、
朝顔の栽培が大流行しました。
江戸時代には、さまざまな花の品種改良が行われていましたが、
朝顔はその中でも多種多様に変化する花として注目され、
さまざまな朝顔がつくられるようになりました。

この時代につくられた浮世絵にも、
朝顔はたびたび登場し、文字通り絵に華を添えています。

江戸時代後期になると、朝顔は江戸のあちこちで栽培されていました。
その中でも入谷界隈に住む武士たちは競うように栽培し、
その美しさが評判となりました。

明治時代になると、
入谷では朝顔の栽培を植木屋が受け継ぐようになり、
この朝顔を見るために各地から人々が訪れたようです。

ちなみに入谷では、現在でもさまざまな朝顔が並ぶ「朝顔市」が
七夕の日をはさむようにして年に一回開催されています。

七夕の日に、朝顔市で「星」を眺めるのもまた、一興ですね。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 7 月 10 日(木)
予定です。

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