花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

花邑日記-3月31日(晴れ)-

2009-03-31 | 花邑日記

presented by hanamura


桜の開花宣言がだされてからも
まだ肌寒い日がつづいていますね。
でも、その寒さのおかげで少しずつ咲いていく桜の花を
ゆっくりと楽しめそうです。

これからの季節は桜だけではなく、
さまざまな花が開花します。
先週の「花邑の帯あそび」でも登場した牡丹の花も、
これからの季節を彩る花のひとつです。

牡丹の花は、その華やかな姿から、
原産国である中国では、「百花の王」と呼ばれています。
そのため、むかしから中国ではこの牡丹をモチーフにした
工芸品が数多くつくられてきました。

もちろん中国の文化に影響された日本でも、
着物や水墨画、陶磁器などに牡丹の花が描かれてきました。



上の写真は江戸時代の木綿布です。
木綿布には、筒描きと手描きで
「唐獅子牡丹」の図が表現されています。

「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」という
中国のことわざをモチーフとして
高く険しい崖の上から可愛い我が子を突き落とす
親獅子の姿が描かれています。

また、その崖の下の方には
紅い牡丹の花も鮮やかに描かれています。
歳月を経て、色が褪せていますが、
それでも見事に描かれた牡丹の花の美しさは際立っています。



この布のように、勇猛な獅子に、
華やかな牡丹を組み合わせた「唐獅子牡丹」の図は、
縁起物として昔から用いれてきました。

古代の中国において獅子は邪気を払う霊獣として
崇められてきました。
もちろん中国にはライオンは生息していないので
人々は空想上の動物として獅子を生みだしたのです。
魔除けの生きものですから、もっとも強い動物です。
しかし、その獅子でも体に寄生している虫には勝てずに、
病で滅んでしまうこともあります。
その虫に勝つために食したのが牡丹でした。
牡丹は古代の中国では薬用として栽培されていたようです。
現代のように観賞用のためではなかったんですね。



つまり、獅子に牡丹を組み合わせることで、
外と内の敵から身を守ることができるので、
恐ろしいものはなにもないということを意味しているんです。
「鬼に金棒」ということわざに少し近いですが、
身中の敵をも倒すという点でより強い意味を持っていますね。

伝統文様の成り立ちを調べていくと、
「唐獅子牡丹」のように込められた深い意味を知ることができ、
「なるほど」と納得させられることも多くあります。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は4月7日(火)予定です。


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花邑日記-3月24日(くもり)-

2009-03-24 | 花邑日記

presented by hanamura


「寒さ暑さも彼岸まで」という言葉通り、
お彼岸が過ぎて、陽射しがだいぶ温かくなりました。

さて、お彼岸の時のお供物と言えば、
「ぼたもち」ですね。
この時期になると、
和菓子屋さんはもちろんのこと、
町のスーパーにもたくさん並んでいます。

「ぼたもち」は古くから日本人の好物で、
日本の民話にもよく登場しますよね。
お彼岸に「ぼたもち」を食べるようになったのは江戸時代からで、
小豆の赤い色が災難を避けるということから、
先祖や神様に捧げられてきたようです。



ところで、この「ぼたもち」は
「おはぎ」とよばれることもありますよね。
現代では一年中「おはぎ」とよぶお店も多いのですが、
本来は、食べる季節によってよび方が変わります。

春のお彼岸では、
春に咲く牡丹にちなんで「牡丹餅(ぼたもち)」、
秋のお彼岸では、
秋に咲く萩にちなんで「御萩(おはぎ)」
というのが正しいよび方です。

また、夏と冬でもよび方は変わります。
餅米をつかずに用いることから、
「つき知らず」の意味合いで、
夏には夜に着く船(何時着いたかわからない=つき知らずの船)に例えて「夜船」、
冬には月知らず、月の見えない窓に例えて「北窓」とよぶそうです。
なんとも風情のある名前ですよね。
豊かな四季をもつ日本人ならではの感性が感じられます。

もちろん「ぼたもち」の名前にある牡丹は春の花。
着物や帯の文様にも多く使われます。
ちなみに現在、花邑にも牡丹柄の帯が2点あります。



上の写真は流水に牡丹と蝶の文様が春らしい腹合わせ帯です。
地の支子色(くちなしいろ)に型染めされた、
色鮮やかな牡丹と蝶が美しい帯です。
下は、唐獅子牡丹文様の和更紗から仕立てた名古屋帯です。
どことなく遊び心のある文様がおしゃれです。
どちらも、春に咲く牡丹の花が生き生きと図案化されていますね。



お彼岸が過ぎれば、もう本格的な春の到来です。
牡丹柄の帯を身につけて、春を楽しみたいですね。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は3月31日(火)予定です。


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花邑日記-3月17日(快晴)-

2009-03-17 | 花邑日記

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啓蟄(けいちつ)を迎えて、
いよいよ草花が芽吹いてきました。

枯れた大地に頭を出す草花をみると、
移りゆく四季の中で変化していく自然が、
日本人の感性を育ててきたのだと改めて思います。

その中でも、春に咲く桜は古代から日本人を魅了してきました。

一斉に咲いたときの見事な美しさだけではなく、
ひらひらと舞うように一瞬で散っていく桜の花は、
「はかなさ」も含んでいるので、
日本人の美意識を揺さぶるのでしょう。

古代の日本で「花」といえば桜のことを指しました。
例えば、西行法師が詠んだ、
「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ 」
という有名な歌にでてくる「花」も、桜のことをいうのは、
みなさんもご存知ですよね。

その他にも、「古事記」や「日本書紀」には桜に関する記述があり、
「万葉集」にも桜を詠んだ歌がたくさんあります。
現代でも、桜を題材にした小説や歌は数え切れないほどです。

もちろん、桜は着物や帯のモチーフにもなっています。
着用時期は、桜が散るまでの短い期間ですが、
季節の花を身にまとうのは着物ならではの贅沢です。

桜柄の着物や帯はたくさんありますが、
その中から、自分の「桜」をみつけるのも楽しいでしょう。

ちなみに、ただいま花邑でも、桜柄の帯が2点あります。



上の写真は上品な桜柄のお染め名古屋帯です。
桜色の縮緬に可憐な桜が染められ、
さりげなく刺繍が施されています。

桜のもつ可憐さと品格が表現された帯です。

もう一つは、萌葱色(もえぎいろ)がきれいな
桜文様の和更紗から仕立てた帯です。
小さくて可愛い桜柄なので、
さりげないお洒落着用にぴったりです。



その他にも、差し色に桜色の帯揚げや帯締めを
使うのもきれいですね。

今年の桜の開花は例年より早く、
ここ東京でも3月下旬には花が開くようです。
桜が散るまでの一瞬の時間を楽しみたいですね。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は3月24日(火)予定です。


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紅型について(その2)

2009-03-10 | 紅型について

presented by hanamura


ただいま、花邑では「南国の花薫る紅型の帯展」を開催しています。

その企画展にちなんで、
前回にひきつづき、今回も紅型についてのお話をします。

「紅型」というのはよく誤解されがちなのですが、
文様やかたちではなく、技法の1つです。

「紅型」という名前は、
その技法によっていったいどのようなものがつくられるか
ということ自体を表しています。

かつて紅型の発祥地である沖縄では、
「紅」とは「(すべての)色」を示していました。
そして、型染めのことを「型」と呼んでいました。
つまり、「彩色を施した型染め」という意味で、
紅型は「彩色を施した型染め」のための技法になります。

紅型の「色」の原料には顔料を用います。
顔料とは、岩石などの鉱物からなる染料です。
この染料は他の染料とは違って、微粉末のもので、水に溶けません。
そのため、布に色が染み込まず、
色がそのまま布の上に定着するため、
鮮やかな色をそのまま表現することができるのです。

下の写真は布の表地と裏地を写したものです。
表地は鮮やかに染まっていますが、
裏地をみると、その色が全く染み込んでいないのが
わかりますよね。

表地

裏地


この顔料を用いて、色差し(※1)を2度行い、「隈取り」をします。
「隈取り」とは文様の中央や縁に濃い色を入れて、
その色をぼかしながら、染めることです。
こうすることで、色彩に陰影が生まれ、文様が引き立ちます。

また、文様をつくる「型」にも、
他の染織品にはない特長があります。
紅型の型紙を彫ることを「突き彫り」と呼びます。
「突き彫り」とは、小刀を用いて、突くように彫っていくことです。
つまり、小さな点の集まりで文様を彫っていくのです。

独自の技法でつくられる「紅型」は、
人々を魅了してきました。



芹沢けいすけ氏は、その紅型に魅了され、
「型絵染」という技法を生み人間国宝に指定されました。
さらに紅型は本州に渡り、京都や東京の文化と融合して
俗に言う「京紅型」や「東京紅型」が生まれました。
よく、「琉球紅型と京紅型や東京紅型の違いはなんですか?」
と聞かれることが多いのですが、
「現在では区別できなくなっているんですよ」
と花邑ではお答えしています。

確かに以前では京紅型には京都の風情が反映された、
やや“はんなり”とした色合いのものが多く見られたりして
色彩や柄行きなどから区別したこともあったのですが、
実際、紅型というのはあくまで「技法」を指すため、
その違いに線引きすることにはあまり意味がありません。

沖縄で紅型の技法を習得した職人さんは、
現在では各地に拡散しています。
たとえば、沖縄仕込みの紅型によって
静岡で製作をされている作家さんもいらっしゃいますが、
これを「静岡紅型」と呼ぶことはありません。

あくまで紅型は紅型なのです。

人々を魅了しつづける紅型は、
これからも各地で新しい文化を吸収しながら、
さまざまなものがつくられていくことでしょう。
花邑もいろいろな紅型との出会いを
いつも楽しみにしています。

(※1)文様を染めること。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は3月17日(火)予定です。


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紅型について

2009-03-03 | 紅型について

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今日はひな祭りです。
ひな祭りに飾る花と言えば、可愛らしい桃の花。
桃の花は春の季語にもなっているので、
ひな祭りは春の訪れを祝う行事でもあるのでしょう。

さて、花邑では3月7日から紅型の帯展を催します。
これからの季節に咲く花のように
色鮮やかな紅型を多数並べてご紹介します。



紅型の特長とされるその鮮やかな色彩と、
のびやかな文様をみると、
まるで紅型の発祥の地である沖縄の海や空、草花を
そのまま映しとったように思えます。

この紅型は昔から人々の間で珍重されてきました。
紅型のはじまりは、15世紀頃の大航海時代のようです。
当時、沖縄を治めていた琉球王朝と
東南アジアや中国などとの交易がたいへん盛んになっていました。
紅型は、その他国との交易の中から生まれたものです。
その後、中国の型染めの技法や、友禅染めの技法を取り入れながら、
琉球王朝のもとで手厚く保護され、徐々に開花していきました。
紅型職人達は琉球王朝から多大な庇護を受け、
多くの工房が作られました。

当時の紅型は、異国の地で
「東洋花布」と呼ばれ、とても珍重されたようです。
また、琉球王朝の中でも、
王族や高官、貴婦人など高貴な人々のみ
着用が許された貴重なものでした。



しかし、17世紀に薩摩の琉球侵略によって琉球の王制が解体し、
琉球王朝の元で保護されていた多くの紅型職人が職を失い、
紅型をつくることが困難になりました。

また、その後の戦争で沖縄が地上戦の舞台になったことで、
紅型をつくるときに欠かすことができない型紙や作業道具を失いました。
そして貴重な職人も失われたのです。

しかし、戦後になり紅型三宗家といわれた「城間家」の城間栄喜氏、
「知念家」の知念績弘氏が大変な苦労とともに紅型を復興させました。
その後、日本全国に広がり、多くの紅型作家を生みました。
また、とく紅型に魅了された京都の友禅作家が
その技法を取り入れて、「京紅型」と俗にも呼ばれる紅型をつくりだし、
昨今では、その美しさがたいへん人気を得ています。

その紅型の技法、つまり紅型の定義とはどのようなものでしょうか。
次回は紅型の技法についてのお話しです。

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次回の更新は3月10日(火)予定です。


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