花邑の帯あそび
1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…
 




presented by hanamura ginza


はやいもので、まもなく 9 月となります。
日中の陽射しはまだまだ強烈ですが、
日が暮れるとだいぶ涼しく、
夜には虫の音が聞こえてくることもあります。

いよいよ秋も間近ということで、
花邑銀座店では、これからの季節の装いに向けて、
毎年ご好評いただいている
「更紗の帯展」を 8 月 31 日(土)から催します。

今回の「更紗の帯展」では、
更紗の他にも、江戸時代から明治時代につくられた藍の型染めの木綿布から
お仕立て替えした帯も、いくつかご紹介します。

そこで、今日は「藍染め」について、
お話ししましょう。

日本には、古来より藍染めによりあらわされてきた
独自の「青色」があり、
この「青色」は、海外の方から「ジャパンブルー」とも呼ばれてきました。

日本で藍が染められたのは、
飛鳥時代のころとされています。
この時代、すでに藍の染料となる植物も栽培されていました。

飛鳥時代から平安時代にかけ、
藍は貴族たちの衣装を染める染料として重宝されました。

室町時代のころには、
乾燥させた葉を発酵させて、藍色の成分を凝縮させる
「スクモ作り」という技法が考案され、
より深みのある藍色を染め上げることが可能になりました。

また、鎌倉時代に書かれた「平家物語」には、
「紺掻屋(こうかきや)」という記載もみられます。
紺掻屋とは、瓶に入れた藍を掻き混ぜる姿から付けられた呼び名で、
すでに現代のように、藍を発酵させて染め上げる技術が
発達していたことが分かります。

やがて、江戸時代に入って木綿が栽培されるようになると、
藍染めの木綿布が庶民の間にも広がりました。

また、型染めの技法も使われるようになり、
さまざまな柄行きがあらわされたものが多く製作され、
人気を博しました。

藍染めを生業とする紺屋(こうや、こんや)も増え、
各地の城下町には、紺屋が集まった紺屋町とよばれる一角が誕生しました。
当時、その年の流行は紺屋町に行けばわかるともいわれ、
こうした紺屋町は流行の発信地でもあったようです。

落語には、「紺屋高尾(こうやたかお)」という有名な演目がありますね。
花魁の最高位であった高尾太夫が、
一介の紺屋職人のもつ純粋な心に胸を打たれ、
紺屋の妻となるという物語です。

この物語で、高尾太夫の相手が紺屋だったのは、
当時、紺屋が庶民の間で馴染み深いものだったからでしょう。
藍を育てると愛を育てるとをかけたものかもしれませんね。

実際に、藍は生きているとも言われています。
藍の色素は、時間が経てば経つほど
より繊維の奥まで染みこみ、
深みのある色となっていくそうです。





上の写真の 2 枚は、江戸時代の後期ごろにつくられた
藍型染めの木綿布からお仕立て替えした名古屋帯です。

ざっくりとした木綿の繊維に染みこんだ
深くて濃い藍色が美しく、目を引きます。
時代を経ることで、さらに豊かで深い色合いとなった
藍色の美しさと粋な柄行きは、
いつの時代になっても色褪せることなく、
心に染みこむようです。

※上の写真の名古屋帯は 8 月 31 日(土)に
花邑 銀座店でご紹介予定の商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 9 月 12 日(木)予定です。
帯のアトリエ 花邑-hanamura- 銀座店ホームページへ
   ↓



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





presented by hanamura ginza


8 月も半ばを過ぎました。
厳しい残暑がつづいていますが、
朝晩は、吹く風が少しずつ涼しくなっているように感じられます。
台風も近づいているので、
雨が降る日も多くなってきましたね。

秋もすぐそこまでということで、
花邑銀座店では、これからの季節の装いに向けて、
毎年ご好評いただいている
「更紗の帯展」を 8 月 31 日(土)から催します。

江戸時代後期~昭和初期に日本でつくられた和更紗や異国の更紗など、
お出かけするのが楽しくなるような、
洒脱なお色柄の更紗をセレクトしてお仕立てしました。

花邑銀座店のウェブサイトでも
8 月 31 日(土)に全商品をご紹介します。
異国情緒漂う更紗布の魅力を
少しでも感じていただければ、幸いに存じます。

今日はその「更紗の帯展」でご紹介する帯のなかから、
「南蛮船文様」についてお話ししましょう。

南蛮船とは、南蛮貿易のために、
日本に来航したスペインやポルトガルの帆船を指します。

南蛮貿易は、種子島に鉄砲が伝えられた室町時代後期から、
鎖国体制がはじまった江戸時代前期まで行われていました。

この南蛮貿易では、
鉄砲や絹織物、砂糖、象牙、更紗布などが輸入され、
銀や屏風、鉄、漆器などが輸出されていました。

この貿易で日本にもたらされた更紗は、
のちに古渡更紗と呼ばれ、
名物裂として茶人たちなどに珍重され、
日本の染織にも大きな影響をもたらしました。

南蛮貿易の拠点になっていた長崎や堺の港には
南蛮船が頻繁に訪れていましたが、
マストに帆を張った
重厚感のある大きな帆船は、
当時の日本人にとってたいへんめずらしいものでした。
南蛮船は、外観もさることながら、
その構造も日本でつくられてきた船とはまったく異なっていたのです。

古来より、日本人に用いられていた「和船」は、
船底の中心を船首から船尾にかけて通された一本の木材である
竜骨(りゅうこつ)とよばれる構造材がなく、
丸木舟のように水圧を外板で支えるモノコック構造でした。

一方、南蛮船は、
竜骨やその竜骨から外に肋骨のように配された
肋材(ろくざい)とよばれる構造材に貼られた、
外板によって水圧を受ける仕組みになっています。

南蛮貿易の様子は、
当時つくられた屏風絵に多く描かれていますが、
そのほとんどの作品には、日本の港にいる南蛮人と、
帆船があらわされています。

この南蛮船が文様のモチーフとなったのは、
江戸時代のころです。
鎖国がはじまり、南蛮貿易そのものは公式に行われてなかったのですが、
屏風絵をもとに意匠化された南蛮船が、
陶器や小物、着物などにあらわされました。



上の写真は、昭和初期頃に日本でつくられた和更紗から
お仕立て替えした名古屋帯です。
波のようにもみえる幾何学文様に、
南蛮船が組み合わされた意匠からは、
広い海を越えてやってくる南蛮船と
その南蛮船がやってきた
遠い異国へのロマンが感じられます。

こうした当時の人々の驚嘆や憧憬を考えると
その南蛮船に運ばれて日本にもたらされた更紗布が
たいへん珍重されたのもうなずけるように思えます。

※上の写真「南蛮船文様 和更紗 名古屋帯」は 8 月 31 日(土)に
花邑 銀座店でご紹介予定の商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 8 月 29 日(木)予定です。
帯のアトリエ 花邑-hanamura- 銀座店ホームページへ
   ↓



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





presented by hanamura ginza


暦の上では立秋を迎えましたが、
うだるように暑い日がつづき、
東京では、夜でも蝉が鳴いています。

まもなくお盆休みということで、
この暑さから逃れ、
避暑地などで休暇を過ごされる方も多いことでしょう。

現在では旅行がひとつのブームともなっていて、
お盆休みやゴールデンウィークのような大型連休に
旅行に行かれる方がとても多いようです。
電車や飛行機、道路などの混雑が
毎回ニュースにもなっていますね。

旅をして、日常とは違う景色を目にすると、
気分転換ができるものですが、
実際に、旅をすると脳内でアドレナリンが分泌されるということが
科学的にも証明されているようです。

アドレナリンが分泌されると
リラックスができ、
ストレスや活性酸素を消去し、
免疫力が高まるそうで、
ストレス社会といわれる昨今において、
旅は特効薬ともいえるのかもしれません。

さて、こうした旅は、
平安時代のころより行われてきましたが、
その当時は、各地の霊山や社寺に参詣するといった
信仰や修行などの旅が主だったようです。

現代のように、名所を観光するといった
娯楽的な旅が行われるようになったのは
江戸時代の頃です。

戦国時代が終わり、
江戸時代の中頃になると、
経済が安定し、庶民にも貯えができたこともあり、
旅行ブームが起こりました。

街道の整備もすすみ、
各地の宿場町は馬や駕籠、商店なども並び、
大勢の旅行客で賑わったようです。

当時の観光地では
伊勢参り、熊野詣、富士講などが人気だったようですが、
その中でも伊勢参りは「男一度は伊勢と吉原」といわれたほどで、
数百万人規模の参拝者を記録した年もあるようです。
伊勢参りのあとには、京や大阪の方まで足をのばした方も
多くいました。

江戸時代後期には、そうした各地の名所や旧跡、名物などを詳しく紹介した
「名所図絵」というガイドブックも出版され、人気を博しました。
その本では、
大和、尾張、近江などの一国を描きあらわしたもの、
厳島や熊野、日光など社寺を中心にしたもの、
木曽路、東海道などの道中をあらわしたものと分類がされていました。

また、この「名所図絵」で紹介された名所の絵図は、
着物や帯の意匠にも用いられるようになりました。



上の写真は
生紬からお仕立て替えした名古屋帯です。
大文字山や、京都御所、金閣寺などの京名所が墨描き染めであらわされています。
風流な趣きの風景とともに、
名所の名前までもあらわされているのが面白いですね。
こうした意匠は、現代でも着物や帯に用いられています。

ちなみに、地方から江戸に観光に来る人々のために、
江戸のお店を紹介した「江戸買物独案内」という
ガイドブックもつくられました。

「東海道五十三次」を題材にして、
歌川広重が描いた浮世絵が大人気となったのも、
こうした旅行ブームが後押しをしたこともあるのでしょう。

しかし、旅行ブームとはいっても、
遠方に行くことができたのは裕福な人々で、
多くの庶民は近くの名所に出かけることが多かったようです。
また、伊勢参りも生涯のうち1 回か 2 回ぐらいしか
行くことはできませんでした。

「名所図絵」や「東海道五十三次」のような絵図は、
ガイド本としての役割だけではなく、
庶民がその本を眺めながら、
あれやこれやと夢を膨らませる案内図のような役割りがあったのでしょう。

上の写真の「京名所文様 墨描き染め 生紬 名古屋帯」は 花邑 銀座店でご紹介中の商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 8 月 22 日(木)予定です。
帯のアトリエ 花邑-hanamura- 銀座店ホームページへ
   ↓



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )