花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「葵文様」について

2013-10-23 | 文様について

presented by hanamura ginza


10月も早いものでもう半ばを過ぎました。
今年は台風が多く、
秋をゆっくりと堪能できる日が少ないですね。

秋の楽しみといえば紅葉ですが、
台風で色づいた葉が散ったり、
葉が痛み、きれいに染まらないなどといった
影響がでているとのこと。
大きな被害がこれ以上でないことを祈るばかりです。

紅葉の名所は日本全国にありますが、
関東でいえば、栃木県の日光が有名ですね。
紅く染まった山間の景色も美しいのですが、
「見ざる言わざる聞かざる」の彫刻で有名な日光東照宮もあり、
その東照宮と紅葉の組み合わせも美しい風景ですね。

日光東照宮は、徳川家康を祀った神社ですが、
今日は、その徳川家の家紋に用いられている
葵の文様についてお話ししましょう。

葵といえば、
「ひかえーい、ひかえーい!この紋所が目に入らぬか。」
という「水戸黄門」のセリフを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
手に持った印籠には、この葵文様があらわされていますね。
葵文様は当時、徳川家しか使用できなかったものでした。
そのため水戸黄門では、黄門さまが徳川家と縁が深い人物と人々は察し、
恐れをなしてひれ伏します。

黄門さまの印籠にあらわされた葵の文様、
つまり徳川家の家紋は、
葵の葉が 3 枚あらわされていることから、
「三ツ葉葵(みつばあおい)」ともよばれています。

葵は古来より日本の林などに自生している植物で、
湿気のある木陰を好みます。
茎は地上を這うように広がり、
その茎が途中ですっと伸び上がって、ハートの形した葉を 2 枚つけます。
そのため、葵は「二葉葵(ふたばあおい)」とばれることもあります。

ちなみに、徳川家の家紋である「三つ葉葵」は葵を意匠化したもので、
実際には葵が葉を 3 枚つけることはほとんどありません。

葵は、常に太陽の光を追う向日性です。
茎を長く伸ばしながら光に向かって伸び育つという性質から
発展するという意味合いを持たされた葵は
縁起の良いものとされました。

葵の文様は、最も古い神社のひとつとされる
「賀茂神社」の神紋にも用いられています。
賀茂神社では、毎年 5 月に「葵祭り」とよばれる祭事が催されますが、
この葵祭りは古くから行われてきたもので、
源氏物語にもこの「葵祭り」の場面が登場します。

葵祭りでは、賀茂神社の祭神とされる「別雷神(わけいかづちのかみ)」が
下界に降りるとされていますが、
その祭礼では境内の至る所に葵の葉が飾られます。

ちなみに、葵(あおい)は古来「アフヒ」と呼ばれたようですが、
「アフヒ」は「神をもてなす日」という意味があるようです。

賀茂神社の氏子や、賀茂神社を信仰する家々でも、
賀茂神社の神紋である葵を家紋に使用しました。
たとえば、賀茂神社の神領であった
三河国の賀茂郡松平郷から発祥した松平家は、
賀茂神社の氏子でもあったことから、
家紋に葵をあらわすようになりました。
その松平家で生まれた徳川家康も、
この葵文様を受け継ぎました。

水戸黄門の場面に象徴されるように、
江戸時代には、一般の人々がこの葵文様を使用することは禁止されていて、
葵文様をあしらった着物を着た場合には死罪にされたという例もあり、
葵文様は特別な文様とされていました。

しかし、江戸時代が終わると、
一般の人々も葵文様を使用できるようになり、
縁起の良い文様として用いられるようになりました。



上の写真は
昭和初期ごろにつくられた
銘仙絣からお仕立て替えした名古屋帯です。

だいたんに織り出された葵文様がかわいらしく、
モダンな雰囲気も感じられます。
シンプルながら間延びがしないのは、
葵の葉の形の良さはもちろんのこと、
葵の文様が歴史的にもっている格の高さのせいかもしれませんね。

上の写真の「葵文様 絣織り 名古屋帯 」は 花邑 銀座店でご紹介中の商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 11 月 7 日(木)予定です。
帯のアトリエ 花邑-hanamura- 銀座店ホームページへ
   ↓


「笠文様」について

2013-10-10 | 文様について

presented by hanamura ginza


昔から「暑さ寒さも彼岸まで」といわれていますが、
今年はお彼岸が過ぎたわりに蒸し暑い日が多いですね。
その合い間を縫うように時雨が降ったりもしています。

季節の変わり目なので天候はやや不順気味で、
行楽シーズンを迎えてご旅行へとお出かけする方が多いようですので、
やはり天候は気になるところですね。

昨今では、旅行先は国内や海外などさまざまですが、
今年は世界遺産に登録されたばかりの富士山に
とくに人気が集まっているようです。

その富士山には、これからの季節に「笠雲」とよばれる雲が頻繁に発生します。
「笠雲」とは、山の頂上周辺に発生する雲のことを指します。
その姿が、まるで「笠」を頭に被っているようにみえることから、
笠雲という名がつけられたようです。
この雲はどの山にも発生するわけではなく、
山岳の特定の地形が発生条件のようですが、
富士山の笠雲はとくに有名で、
富士山に笠雲が観測されると雨になるといわれています。

それにしても、笠雲とは洒落た名をつけたものですね。
富士の頂上に雲が被っていると聞くより、
富士が笠を被っていると聞くと、
崇高にそびえている富士山が人間のようで
とてもかわいらしく思えてきます。

笠雲の「笠」というのは、
古来より縁起が良いものとされているので、
めでたい富士が笠を被るとさらにめでたいといわれたようです。

日本には、この「笠」と「傘」、ふたつの「かさ」があります。
どちらも、雨や雪、日光を防ぐために必要な雨具ですが、
厳密にはその形状や使い方は異なるものです。
笠は、円錐状のものを帽子のように、直接頭に被って使用しますが、
傘は、覆いの中心からでた柄を手に持って使用します。

現代では、傘のほうに馴染みが深く、
笠をみる機会はほとんどないのですが、
昔の絵巻物や浮世絵には、
笠を被っている人々の姿が多く描かれています。

笠は、傘と同様に、平安時代の半ば頃より用いられました。
檜や竹、杉の木などの木材で骨組みをつくり、
和紙を貼って、漆を塗って作成します。
当時、笠を多く利用したのは女性だったようで、
男性は武士と僧侶以外、ほどんど着用しなかったそうです。
そのため、笠は女性を象徴する道具ともされました。
また、雨や日除けとしても役割の他にも、
顔を隠すための役割も果たしていました。

日本の伝統文様には、宝尽くし文様というものがあります。
そこには、宝珠(ほうじゅ)や打ち出の小槌(うちでのこづち)など、
縁起が良いとされる文様が集められているのですが、
この中に、隠れ笠とよばれる文様が見受けられます。
隠れ笠は、被ると姿が見えなくなる道具で、
災いから身を隠し、身を守ってくれると言われています。

また、笠は神が身を隠す道具ともされ、
笠と蓑を身に着けた旅行者は、
遠い国から訪れた神の化身だと考えられていました。

現代でもお祭りなどでは
「花笠」という花があしらわれた笠を被って踊る地方がありますが、
笠を被ることで神が憑依し、
神そのものが踊り祝福するという意味合いが込められているそうです。



上の写真は
昭和初期ごろにつくられた緞子からお仕立て替えした名古屋帯です。
緻密な織りの技法により、
丸花文様とともに、隠れ笠が織り出されています。
緞子織りならではの光沢感が美しく、
光の加減で陰影が生じる意匠が艶やかです。

江戸時代になると、旅人は笠を被るように義務づけられました。
当時、身分によって髷のかたちが決められていましたが、
笠を被るとその髷がみえなくなるため、
身分によって被る笠を変えたようです。
また、笠には住む村や町の名前を書かせて
身分証明書のような役割をもたせました。

こういったこともあり、多くの種類の笠がつくられるようになり、
江戸時代後期に書かれた「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」という
江戸の風俗事典には、30 種類以上の笠が記されています。

ところで、日本の山には「男山」と「女山」があることをご存じですか?
山の形が険しければ「男山」、
なだらかであれば「女山」とします。
その根拠に明確なものがあるわけではないのですが
ともかくそうした習俗があります。
ちなみに、山形の富士山はもちろん女山です。
笠は女性を象徴する道具なので
笠雲をかぶる富士山が女山であるのは自然なことですね。

富士の笠雲は秋から初冬にかけて多くみられるということで、
この季節に富士に行けば、
世界遺産に登録された照れで
笠を被って、恥ずかしそうにしている
乙女な富士さんの様子が眺められるかもしれませんね。

上の写真の「隠れ笠に花文様 緞子 名古屋帯 」は 花邑 銀座店でご紹介中の商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 10 月 24 日(木)予定です。
帯のアトリエ 花邑-hanamura- 銀座店ホームページへ
   ↓