花邑の帯あそび
1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…
 




presented by hanamura ginza


梅雨本番ともいえるような雨の日が続いています。
1 年でもっとも日が長い時期なのですが、
陽が差すことも少なく、青空が恋しい今日この頃です。

青空といえば、これからの季節の装いでは、
藍染めの浴衣や、宮古上布などの麻着物など、
「青」を基調とした色合いのものが多くなりますね。

また、帯揚げや帯留め、帯締めなどの小物に
青色系統のお色目を用いるだけでも、
たいへん涼やかに感じられて、
季節感が演出できます。

日本には、古来より藍染めによりあらわされてきた
独自の「青色」があり、
この「青色」は、海外の方から「ジャパンブルー」とも呼ばれてきました。

藍染めの歴史はたいへん古く、
紀元前のエジプトや、印度、ペルシャ、中国など、
世界各地の遺跡から、
藍を染料とした織布が発掘されています。

日本においては、飛鳥時代には藍の染料となる
植物が栽培がされていたようです。

藍染めの材料となる植物は世界中で数多く自生し、
数多くの種類のものが日本へも伝えられ、
そのなかから日本の風土に適し、
大量に採取できるものが選ばれ、栽培されました。

日本だけでも、徳島でつくられるタデ科の藍の葉を発酵させた「すくも藍」、
沖縄でつくられるキツネノマゴ科の藍の葉を水中発酵させた「泥藍」、
印度産のマメ科の藍の葉を水中発酵させ、
乾燥させた「印度藍」などの種類があります。

藍染めでは、その濃度や染め方により
藍色系統のさまざまな色をあらわすことができますが、
そういった色のひとつひとつには
それぞれ名前が付けられています。

今日は、そのなかのひとつ、
浅葱色(あさぎいろ)についてお話ししましょう。

浅葱色とは、葱の葉の色のように若干緑色がかった水色のことを指します。
コバルトブルーにも似た爽やかで透明感の感じられる色合いは、
現代でも人気の高い色のひとつです。

しかしながら昔は、藍色や花田色に比べ
染める手間が少ないとされ、
あまり良い印象ではなかったようです。

平安時代には、この浅葱色が位の中では身分が低い
六位の官服の色として指定されました。
「源氏物語」では、光源氏の息子の夕霧が官位を授かりますが、
祖母大宮が夕霧に会った際に官服が浅葱色だったので、
光源氏に抗議するという場面があらわされています。
光源氏は、夕霧が自らの力で位を上がるように六位にした
という説明をするのですが、
このエピソードは当時の人々が浅葱色にもっていた印象が
とても良くあらわされていると思います。

また浅葱色は、江戸時代に新撰組が着用していた
羽織の色としても有名です。
しかし、江戸時代にも浅葱色は「野暮な色、田舎侍の色」として、
好まれなかったようなので、
実際には浅葱色だけではなく、
黒色の羽織などさまざまな色のものを着用していたようです。

それでも、当時の武士は、切腹時に浅葱色の裃を着用したので、
浅葱色の羽織に、いつでも死に向かうという覚悟で挑んだという
新撰組の気概をあらわして、
伝えたのではないかとされています。

この浅葱色が人気となったのは、
大正時代のころです。
当時、西洋からもたらされた合成染料で染め上げられた鮮やかな浅葱色が、
東京の新橋の芸者たちの間で好まれ、
ハイカラな色として広がり、人気となりました。



上の写真の名古屋帯は、大正時代頃につくられた絽縮緬からお仕立て替えしたものです。
観世水文が織り出された美しい浅葱色の地を引き立てるように、
白色で波立湧がすっと描かれた意匠からは、
涼やかな艶が感じられます。

この浅葱色には浅葱色より淡い水浅葱色(みずあさぎいろ)、
鼠色がかった錆浅葱色(さびあさぎいろ)、
浅葱色より濃い花浅葱色(はなあさぎいろ)がありますが、
現代では、少しひかえめな色合いがかえって好まれ、
どの色も人気があります。

古来、浅葱色には「あっさりとした」という意味合いが含まれていたようで、
蒸し暑いこれからの季節にはなおのこと、浅葱色が映えそうです。

※上の写真の名古屋帯は 6 月 28 日に花邑 銀座店でご紹介予定の商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 7 月 5 日(木)
予定です。
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夏至を迎え、早くも街では七夕の飾りがみられるようになりました。
東京では、ここしばらく雨の日がつづき、
湿気も多くなっています。
恵みの雨だとは分かっていても、
雨の日のお出かけは、鬱々としてしまうものですね。

しかし、道ですれ違う子供たちは、
雨に濡れるのもへっちゃらという感じで、
雨の日をも楽しんでいるようです。

雨の日の歌といえば、
「あめあめふれふれかあさんが~♪」
というフレーズの童謡「あめふり」が思い浮かびますが、
その他にも「かえるの合唱」や「かたつむり」、「雨降りお月さん」など、
日本の童謡には、他にも雨に関係したものが多くあります。

日本では、古来より「わらべ歌」が作られてきましたが、
童謡は、明治時代に入ってから
西洋からもたらされた近代音楽を基準にしたもので、
大正時代から多くつくられるようになりました。

さて、上であらわした「♪」は、
音符とよばれるものですね。
現在では、誰もが知っている記号のひとつですが、
この音符が日本で使われはじめたのも、明治時代の頃です。

日本にも、古来より琴や琵琶、三味線や太古などのさまざまな楽器があり、
能や歌舞伎などでも多くの楽曲が演奏されてきました。
しかし、その多くは楽譜がなく、
暗誦で伝承されたものだったようです。

日本で楽譜が考案されたのは、江戸時代中期頃です。
当時、人形浄瑠璃の三味線弾きとして活躍していた三代鶴沢友次郎が
「朱」と呼ばれる楽譜を考案しました。

一方、西洋では紀元前 2 世紀頃より、
曲を記号化した楽譜がつくられていました。
2 世紀以降も、聖歌などの楽曲を記すために、
多くの楽譜がつくられました。
しかしながら、当時つくられていた楽譜は、
リズム表記があいまいなことから、
曲のリズムを巡って現在ではさまざまな意見がでているようです。

西洋において、現代のような音符記号が用いられはじめたのは
13 世紀以降ですが、
楽譜の譜線の数は 4 本だったり 6 本だったりと
定まっていなかったようです。
やがて、17 世紀になると現代でも多く用いられている
5 本の線を基にした五線譜が主流になっていきました。

西洋でつくられた楽譜の多くは、
鎖国が終わり、西洋化が進んだ日本に多くもたらされるようになりました。
また、ピアノやバイオリンなども用いられるようになり、
学校の音楽の授業でも西洋の楽譜が使用されました。

大正時代には、西洋音楽による童謡の普及や、
竹久夢二が表紙を担当した音楽冊子などもつくられ、
西洋の楽譜は日本に広く浸透していったようです。




上の写真は、大正~昭和初期頃につくられた帯をお仕立て直ししたものです。
絽の地や縞文様を譜線に見立てたような図案に、
音符が所々に配されています。

当時の人々にとって、
音符は西洋の文化をあらわす記号でもあったのでしょう。

※上の写真の上の写真の
「音符文様 型染め 絽 名古屋帯 」
は 花邑銀座店でご紹介している商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 6 月 27 日(木)予定です。
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6 月もまもなく半ばですね。
東京ではここ何日か、雨雲の広がる日がつづいています。
今年は、梅雨入り宣言がだされてからも雨が降らず、
水不足が心配されていましたが、
ようやく「梅雨らしい」お天気となっています。

梅雨が過ぎれば夏本番ということで、
お着物のお色目や柄行きも自然と涼やかなものに
目が行くようになりました。

絽や紗などの透け感のある素材と、
すっきりとした印象のお色柄など、
これからの季節のお着物には、
「涼」を演出するためのアイデアがたくさん盛り込まれていますね。

柄行きといえば、秋の涼風が感じられるような虫籠や秋草など、
秋の風物をモチーフにしたものが多いのも、特徴のひとつです。

今日は、その秋草のひとつ、
藤袴(ふじばかま)文様についてお話ししましょう。

藤袴は、キク科の多年草で、
8 月ぐらいから 10 月にかけて
河原や野原などに淡い藤色の小さな花をつけます。
逆三角状になった花の姿が
遠目からみると逆さまにした袴のようにみえることから、
「藤袴(ふじばかま)」という名前がつけられたようです。

乾燥させた藤袴は、桜餅の葉のような甘い香りがします。
この香りは防虫剤としての効能もあり、
原産国の中国では、古来より邪気払いとして女の子のかんざしにしたり、
香り袋として身につけていたようです。

日本にこの藤袴が中国からもたらされたのは、
古墳時代のころです。
日本書紀には、藤袴が庭に植えられている場面が登場します。
当初は香料としていくつか輸入したものが、
しだいに野生化したとされています。

奈良時代につくられた万葉集の中には、
山上憶良が詠んだ「秋の七草」に藤袴のことが記されています。
また、山上憶良の他にも藤袴を詠んだ詩がいくつか残されていますが、
その多くが藤袴の香りについて触れています。

乾燥した藤袴を香袋に入れて十二単に忍ばせたり、
藤袴を入れた水で髪を洗ったようで、
香水蘭という華麗な名前も付けられていました。

平安時代につくられた古今和歌集の中には、
歌人の紀貫之(きのつらゆき)が詠んだ詩が残されています。

やどりせし 人のかたみか 藤袴 わすられがたき 香ににほいつつ 
 (我が家に泊まっていった人の残した形見か、藤袴よ。
忘れがたい香にしきり匂って…)

源氏物語にも、「藤袴」という章があります。
そこでは、光源氏の長男の夕霧が玉鬘に思いを伝えようと
御簾の下から藤袴を差し出すという情景が書かれています。

藤袴は、着物や調度品の意匠にも、
秋の七草の1つとして古来よりあらわされてきました。



上の写真は、縦縞に秋草文様があらわされた絹絽から
お仕立て替えした名古屋帯です。
モダンな雰囲気の縦縞が、
野に咲く藤袴などの可憐な秋草の絵図を引き立てています。

古来より親しまわれてきた藤袴ですが、
残念なことに、昨今では野生のものはほとんど
姿を消してしまったようです。
それでも、その風情のある花姿を好む方も多く、
現在では、藤袴と良く似たヒヨドリバナ(鵯花)や、
ヨツバヒヨドリ(四葉鵯)、サワヒヨドリ(澤鵯)などが
「藤袴」と呼ばれて園芸店で販売されています。

藤袴 着て脱ぎかけし 主やたれ 問へどこたへず 野辺の秋風 -源実朝-

※上の写真の上の写真の「縦縞に秋草文様 絽 名古屋帯」は 6 月 14 日(金)に花邑銀座店でご紹介予定の商品です。

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紫陽花が町を彩る季節になりました。
生い茂りはじめた木々の葉も風に揺れ、
さわさわと音をたてています。

暦の上では、梅雨入り前のこの時期を
「芒種(ぼうしゅ)」と呼びます。

「芒種」は、稲や麦のような、
穂先に芒(のぎ)のある穀物の種蒔きをする頃だとされています。
現在では、種蒔きをするのはもう少し前のようですが、
芒種を過ぎれば、夏本番まであとわずかといったところでしょう。

さて、麦を原料とした食材は多くありますが、
夏に食すことの多い素麺もそのひとつです。
蕎麦猪口を持ち、冷たくした素麺をすすると、
今年も夏がやってきたという実感が湧きます。

蕎麦猪口の形をした器は、
もともとは、惣菜を入れるためのものでした。
江戸時代になり、庶民の間にも麺類が広まると、
つけ汁用の器として定着していったようです。
また、蕎麦だけではなく、
湯呑みやお酒などさまざまな用途に使用されていたようで、
当時つくられた器には、この形のものを多く見ることができます。

蕎麦猪口の絵柄は唐草や草花など、
さりげなく粋なものが多いのですが、
その中でも粋といえば、
「麦わら」と呼ばれる縦縞のデザインでしょう。

「麦わら」とは、磁器に筆で線を描くときに、
筆の継ぎにより、線の途中に繋ぎ目のような節が入ったものです。
この節を麦わらの節に見立て、
そのような名前が付けられたのだとされています。

シンプルな意匠にアクセントを加えるために、
縞文様にあえて継ぎを入れる場合もあるようです。

この「麦わら」という名前もそうですが、
縞文様には、
鰹縞によろけ縞、親子縞や孝行縞(子持縞)、やたら縞など、
気の利いた名前が多く付けられています。
現代ではいたるところで見ることができる縞文様は、
江戸時代に入って庶民の間で人気が高まり、
粋な江戸っ子たちに好んで用いられた文様です。

日本には遠い昔から伝えられていましたが、
雅な文化がが花開いた平安時代には好まれず、
長い間、階級の低い庶民が着るものでした。

その縞文様が、注目を集めたのは、
室町時代の中頃です。

南蛮貿易が盛んに行われたこの時代、
日本には印度やオランダなどの国々から、
さまざまな縞柄の布地が輸入されました。
それまで、縞は「筋」と呼ばれていましたが、
異国の島からもたらされた縞柄は、
異国を象徴するものとして、「島もの」と呼ばれるようになり、
それが「縞」へと変化していったようです。

「縞」文様は、
そのシンプルで素朴な絵柄が
茶人たちによって愛され、茶道具の仕覆などに用いられるようになりました。



上の写真は、よろけ縞文様の八寸帯です。
「よろけ縞」とは、波状にあらわされた縦縞文様のことを指します。
縞柄がよろけるようにあらわされたことから、
この名前が付けられたようです。
よろけるという言葉からは、
女性のもつ艶が感じられますね。

粋な江戸の文化が育んだ縞文様を身につけて、
冷えた素麺やざるそばをさらりと食したいものですね。

※上の写真の上の写真の「よろけ縞文 織り 綿麻 八寸帯 」は花邑銀座店でご紹介している商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 6 月 12 日(水)予定です。
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