花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「糸巻き文様」について

2012-11-01 | 文様について

presented by hanamura ginza


今日から 11 月ですね。
日が暮れるのもすっかり早くなり、
朝晩の冷え込みも厳しくなってきています。

まもなく七五三ということで、
晴れやかな衣装を身にまとった
おすまし顔の子供の姿を見る機会も増えそうですね。

七五三のお着物の意匠には、
子供の健やかな成長を願った
鶴亀や松竹梅などの吉祥文様が多くみられます。

吉祥文様というと重厚感がありますが、
子供用のお着物では、そういった伝統文様が
かわいらしくアレンジされていたり、
鈴や手鞠の文様など
子供が親しみやすいモチーフを取り入れられたりなど、
大人の着物とは一味違った趣きがあり、
眺めているだけでも楽しいものです。

今日お話しする「糸巻き文様」も、
そのかたちのかわいらしさから
七五三のお着物で用いられることの多い文様のひとつです。

糸巻きは、糸を巻きつける道具として、
遠い昔から世界各地で用いられてきました。

日本でも、糸巻きの歴史は古く、
釣り糸や凧揚げの糸、楽器の糸など
使用する糸の用途によって、さまざまな種類の糸巻きが作られてきました。

その中でも、布を織る際に用いる
「苧環(おだまき)」とよばれる四角い枠状の糸巻きは、
とくに古来より人々の間で親しまれてきました。
和歌などでもその名をみることができます。

平安時代のはじめには、在原業平の書いた「伊勢物語」のなかに
「苧環のようにくるりとまわってよりを戻したいものだ」という
意味合いで用いられています。

また、鎌倉時代には、
源義経の愛妾だった静御膳が、
義経の敵となった源頼朝の前で、
「しづやしづ賤のをだまき繰り返し 昔を今になすよしもがな」

-静や、静やと、苧環のように何度も繰り返し、名前を呼んで頂いたあの時へ、
苧環がくるりくるりと廻るように、くるりと戻るすべは、もうないのでしょうか。-

と義経を想い、詠ったと伝えられています。

ちなみに、山野で春に咲く苧環(おだまき)とよばれる可憐な花は、
この糸巻きの苧環と形が似ていることから、
その名前がつけられました。

一方、古代の日本では、糸巻き全般を千切(ちきり)ともよんでいました。
千切は2つのものを結ぶという役目から、
人と人との仲を結んだり、愛を交わす「契り」にも
通じるということで、縁起が良いとされました。

そのため、糸巻きの文様は平安時代の頃より
吉祥の文様として用いられ、
江戸時代には津田一族の家紋にも用いられました。
その文様の種類も多く、
柄が付いていて凧揚げなどに用いられる枠糸巻き、
苧環、重ね糸巻き、陰重ね糸巻き、また丸の中に糸巻を描いた丸に三つ重ね糸巻き
などがあります。



江戸時代の頃には、長い糸に長寿や子孫繁栄の願いを込め、
お嫁に行くときに、糸巻き文様の着物や帯をもたせたようです。
また、当時の女性にとって織物は重要な仕事でもあり、
糸巻きは大切な道具でした。
そういったことから糸巻き文様には、
手仕事が上手にできるようにとの願いも込められていたようです。

上の写真は、色柄の異なるさまざまな苧環を配した型染めの絹縮緬です。
やさしい色使いは、糸巻きのかたちのかわいらしさを引き立て、
優美な雰囲気を醸しています。

※上の写真の「糸巻き尽くし文様 型染め 名古屋帯」 11 月 2 日(金)に花邑銀座店でご紹介予定の商品です。

花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 11 月 8 日(木)予定です。

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