花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「猿文様」について

2011-11-30 | 文様について

presented by hanamura ginza


いよいよ12月ですね。

年末年始に向け、忙しくされている方も
多くいらっしゃることでしょう。

クリスマスや忘年会、スペシャルイベントなど、
行事の多いこの時期は、
お着物をお召しになる機会も増えますね。

花邑銀座店では、12月3日(土)~11日(日)まで、
“動物”がモチーフとなった帯を数多く揃え、
「動物の帯展」を開催します。

おもしろみのある色柄で、
思わず微笑んでしまう
愛らしさのある動物の帯は、
年末年始の行事などで
他の方の目も楽しませ、、
きっと活躍してくれることでしょう。

皆さまのご来店をお待ちしております。

※ウェブショップでも 12 月 3 日早朝に
全商品をご紹介させていただきますので、
よろしければ、ご覧くださいませ。

今日は、その「動物の帯展」にてご紹介する帯の
モチーフとなっている動物のなかから猿を取り上げ、
「猿文様」についてお話ししましょう。

みなさんもご存じのように、
猿は私たち人間と同じ霊長類に属し、
人間にもっとも近い動物とされています。

そのためか、古来より猿を擬人化してあらわした絵や物語が、
世界各地でつくられてきました。

「猿」と聞くと、
日光東照宮の本殿に彫られた
「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿を思い浮かべる方が
多いのではないでしょうか。
こちらも猿を擬人化してあらわしたもののひとつですが、
三匹の猿をモチーフにしたものは、
日本以外にも世界各地でみられ、
古代エジプトの壁画にも三猿の図が描かれています。

意味合いは各国で微妙に違うものの、
そのどれもが三匹の猿に教訓を込めたものになっています。

日光東照宮にみられる三猿は、
古代エジプトから中国を経て、
日本に伝えられたとされています。

中国では、古くから猿は神の使いとされて崇められていました。
また、猿は馬を守るともいわれ、馬の守護神として
厩舎(きゅうしゃ)には猿も飼育されていました。
そういった猿の神聖な力を縁起の良いものとして、
お正月や魔除けの儀式のために、
「猿回し」が考案されました。

猿回しとは、太鼓の音や猿使いのおしゃべりに合わせて、
猿が踊りなどを披露するもので、
日本には、奈良時代に中国から伝えられました。
この猿回しは、現代でも
年末年始にテレビなどで見ることがありますね。
猿と猿使いとの息の合ったやりとりや、
まるで人間のような猿の仕草など、
愛嬌たっぷりの猿の様子は、
大人から子どもまで楽しめるものですね。

日本でも、中国の思想に影響を受け、
古くから猿を縁起の良いものとして神聖化してきました。

奈良時代に創建されたと伝えられている、
滋賀県大津の「日吉神社」では、
猿を神の使いとしています。

皆さんのなかで、「さるぼぼ」という人形を
目にされたことがある方もいらっしゃるでしょう。
「さるぼぼ」は猿の赤ちゃんという意味合いがあり、
このかたちをしたお人形は、
災いが去る(猿)、家内円(猿)満になるとされ、
安産などのお守りともされて
神社や郷土土産店などで販売されています。

一方、猿は、その賢さからも
昔から物語や絵画などで取り上げられてきました。
室町時代につくられた「さるかに合戦」では、
正直者の蟹を騙す猿のずる賢い様子も描かれています。

桃山時代には「えんこう捕月(えんこうほげつ)」とよばれる
猿の絵がつくられました。
「えんこう捕月」とは、
水面に映った月を取ろうとして手を伸ばす猿の様子を描いたもので、
仏典の中で、高望みをいさめるいった意味合いがあります。

このように、猿は古い時代から日本の文化に取り入られていましたが、
意外なことに猿を文様にしたものは数が少なく、
着物や帯の意匠でも比較的めずらしいものです。



上の写真は
岩に腰をかける猿の様子を手描き染めであらわした
塩瀬地の名古屋帯です。
シンプルなお色目が愛嬌のある猿の様子を
引き立てています。

猿の絵といえば、江戸時代の画家である
森狙仙(もり そせん)が挙げられます。
森狙仙は、秀逸な猿の絵をいくつも残し、
写実を重視しながらも巧妙に擬人化し、、
猿の表情や仕草などを
生き生きと、ユーモラスにあらわした画風が
高い評価を得ています。

あまりにも猿を観察していたからでしょうか。
森狙仙の容姿は猿そっくりだったといわれています。

現在この森狙仙の展示会が上野美術館で12月11まで開催しています。

猿好きの方なら上野動物園の猿山と
森狙仙の猿の絵の両方を見にいくというのも、
また興があるかもしれませんね。

今年一年、日本は災いに見舞われてしまいましたが、
もうすぐこの一年も猿(去る)年となり、
新しい一年がはじまります。
新しい年には災いが猿(去る)ことを
心より祈念したいと思います。


※上の写真の「犬文様 手描き染め 名古屋帯」は12月3日(土)から花邑銀座店で
開催する「動物の帯展」でご紹介予定の商品です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は12月6日(水)予定です。

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犬筥(いぬばこ)について

2011-11-23 | 文様について

presented by hanamura ginza


11月も半ばを過ぎ、
朝晩の冷え込みが一層厳しくなってきました。
日が暮れるのも早いため、
お日さまの陽射しが恋しくなりますね。

そのお日さまの温もりを気持ちよさそうに受けて、
軒下などで猫がひなたぼっこをしている姿をみかけると、
冬の訪れを感じます。

そういった猫や人間の姿に比べ、
犬は寒さの中でも元気いっぱいにはしゃぎ、
寒さに身を縮めた飼い主を引っ張るように
散歩しています。

「犬はよろこび庭駆け回り、
猫はこたつで丸くなる」
という童謡の歌詞のように、
猫に比べ、犬は比較的寒さに強いようです。

犬は、猫と同じように昔から人間のそばで生活してきた動物ですが、
かわいいだけではなく、
飼い主に従順で素直なことや、
寒さの中でも元気で丈夫な様子が縁起が良いとされ、
着物の文様や調度品、玩具などのモチーフとして
昔から変わらぬ人気があります。

今日、お話しする犬筥(いぬばこ)も
犬をモチーフにしたもののひとつです。

犬筥とは、犬の形をした張り子の置き物です。
幼い子供の顔を模した顔に、
犬の寝そべったり、伏せたときの
体が付いています。
この体の部分には松竹梅や鶴亀などの吉祥文様が彩色され、
上下に分かれる箱の形になっています。

平安時代の頃、宮中では災いから身を守るお守りとして、
狛犬の像が置かれていました。
犬筥は、室町時代の頃にこの狛犬がもとになって考案されたようです。
そのため犬筥にも、狛犬と同じように
雄雌の対があります。
雄には守り札を収め、
雌には白粉などの化粧道具を入れました。

貴族たちは犬筥を産室に飾り、
安産でたくさんの子どもを産む犬の姿にあやかりました。
また、子どもが誕生したあとも、
子どもを災いから守り、
犬のようにたくましく育つようにとの願いを込めて
子どもの枕元には犬筥が置かれました。

やがて、江戸時代になると
上流階級では、
犬筥はお雛様の飾り物にもなり、
嫁入り道具のひとつともなりました。

そして、犬筥をもとにして、
犬張子がつくられるようになりました。
この犬張子は庶民の間で大人気となり、
犬筥同様に子どものお守りとして用いられました。

華やかな彩色に、可愛らしいお顔のつけた犬筥は、
飾り物として、コレクションされている方も多いようです。

また現在でも、皇室では出産のときに、
犬筥を送る習慣が残されているそうです。



上の写真の名古屋帯は、
犬筥をモチーフにした絹布からお仕立て替えしたものです。
平安時代の雅な文化を思わせる扇子などの道具に、
犬筥が配されためずらしい意匠です。
和の情緒が犬筥のかわいらしいさを引き立てています。

さまざまな技術の発達で目まぐるしい昨今の状況を
犬の成長の早さにたとえて
「ドッグイヤー」などといったりしますね。
日本のことわざにも「犬の一年は三日」というものがあります。

あっという間に、今年も残すところ 1 か月あまりです。
元気な犬の姿にあやかって、
寒さに負けず冬を乗り越えたいですね。

※上の写真の「犬筥文様 型染め 名古屋帯」は12月3日(土)から花邑銀座店で
開催する「動物の帯展」でご紹介予定の商品です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は11月30日(水)予定です。

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「丸文様」について

2011-11-16 | 文様について

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11月も半ばを過ぎ、
今日は各地で、今年一番の寒さとなったようです。

まもなく12月ということで、
街では、クリスマスやお正月に向けて、
色鮮やかなイルミネーションが飾られています。

寒空の下で、こういった華やかな飾り物をみると、
いよいよ年の瀬も間近なのだという実感が湧いてきますね。

最近では、クリスマスの飾り付けをするお家も多く、
街のイルミネーションに負けじと
豪華な飾り物をしたお家をみかけることもあります。

こういった飾り物は、華やかなだけではなく、
災いから身を守るともされています。

クリスマスのときに飾られる
可愛らしいクリスマスリースにも、
魔除けの効果があるといわれています。

このクリスマスリースの丸形は、
永遠の環を意味しているのですが、
丸形の飾り物は、輪飾り(締め飾り)や鏡餅など、
日本のお正月のお飾りにも見られます。

輪飾りも災いを払うとされ、
鏡餅は、その丸い形を満月に見立て、
満月の力をもらうという意味合いがあるようです。

このように丸形は世界各地で縁起がよい形とされて、
お祝いごとの席に多く用いられます。

着物や帯の意匠にも丸形はとてもよく用いられ、
やはり吉祥の文様とされています。

今日は、この丸文様についてお話ししましょう。

古来より、丸形は世界各地で
太陽や月をあらわすものとされ、
神秘的な力を宿す形として、
信仰の象徴に用いられてきました。

古代エジプトの太陽神は丸い太陽がそのままあらわされ、
キリスト教ではイエス・キリストの後ろに丸い円形が配されています。
仏教では、曼荼羅の丸い絵図が有名ですね。
このように、宗教において丸形の図案や意匠は多く見られます。

丸が意味するものは、
完全と統一、無限の発展など、
多くの神秘的な意味合いを含んでいます。

このような丸文様が、
日本で着物や調度品などの文様として、
用いられはじめたのは、平安時代の頃です。

平安時代には、有職文様※に大形の円文を配した浮線稜(ふせんりょう)文様や
梅や菊、藤などの四季の枝花を円状にあらわした花丸文様が
考案され、用いられるようになりました。

桃山時代には、小袖に丸文様があらわされていましたが、
刺繍や金箔が施され、たいへん豪奢なものだったようです。
また、能装束に花丸文様が多く用いられました。



上の写真は、梅や菊、藤などの花丸文様が
金彩友禅と日本刺繍であらわされた名古屋帯です。
煌びやかな金彩に、手刺繍による花々が可愛らしさを添えています。

丸文様がもっとも流行したのは
江戸時代の頃です。

とくに流行したのが丸尽くし文様と呼ばれるもので、
いくつもの丸が総身にあらわされたものです。
女性の間で小袖の文様として人気が高まり、
また、それによって花丸文なども多く用いられるようになりました。

このような丸文様の人気は、
「秋の野のにしきの露や丸づくし」という歌が詠まれたほどです。

現代でも、丸文様は円(縁)がつながるとされ、
たいへん縁起の良い文様とされ、
やはり人気が高い文様のひとつです。

円=縁というだけでなく、
円=輪=和でもあるので、
「和をもって尊しとなす」ことを美徳とし、
そもそも国旗も「日の“丸”」である
日本人ならではの美意識も
そこには深く投影されているのではないでしょうか。

そのような意味でも丸文様は
「和」の装いであるお着物の文様としては
もっともぴったりな意匠ともいえそうですね。

※上の写真の「花丸文様 名古屋帯」は11月18日(金)に
花邑銀座店でご紹介予定の商品です。

花邑のブログ、「花邑

の帯あそび」次回の更新は11月23日(水)予定です。


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「だるま文様」について

2011-11-09 | 文様について

presented by hanamura ginza


いよいよ立冬。
暦に合わせるように、
北国からは雪の便りが続々と届いています。
ここ東京でも空気がひんやりとして、
身を縮ませる日も多くなりました。
この時期になると、
もうすぐ一年もおわりなのだという
焦燥感にも似た気持ちが沸いてきますね。
道を行く人々の足も、心なしかせわしなくなっているようです。

もうしばらくすると、
縁日などの市には、
お正月用のお飾りや食材が並べられ、
1年で一番の賑わいをみせることでしょう。

そうした縁日などで見かけることが多いのが、
大小さまざまの「だるま」です。

丸い胴体に、大きな顔に描かれた愛嬌のある表情、
どこか不格好ながら、
転がしても転がしても起き上がるだるまの姿。

年の瀬の雰囲気をさらに盛り上げている
真っ赤に塗られただるまを見ると
思わず手が出てしまいます。

皆さんもよくご存知のように、
だるまは転んでも起き上がるその様子から、
七転び八起きを象徴する
縁起の良い置き物として、昔から親しまれてきました。

このだるまは、着物や帯の文様ともなっていて、
やはり縁起の良い文様とされています。
今日は、このだるまの文様についてお話しましょう。

だるまという名前は、
禅宗の開祖とされている達磨大師に由来しています。
達磨大師は印度で出生し、
のちに中国に渡り、山腹にある洞窟に9年もの長い間
壁に向かい座禅し、悟りをひらいて禅を広めました。

禅は日本にも鎌倉時代に伝えられ、
室町時代になると幕府の庇護を受けて発展し、
その開祖である達磨の存在は、
市中に広く知られることになりました。

中国との貿易が盛んに行われていた当時、
中国から日本に伝えられたものは、
この禅のほかにも陶磁器や書籍、香料、書画など、
さまざまなものがあります。
そのなかに「不倒翁(ふとうおう)」とよばれる置物がありますが、
この不倒翁は、紙の張り子の置物で、
粘土などを用いて重心を下に置き、
倒れてもすぐに起き上がるような工夫がされていました。

これが現在の「起き上がり小坊師(こぼし)」の原型です。
不倒翁は倒れても起き上がるその姿から
中国では不老長寿の縁起物とされていましたが、
日本ではどちらかというとその姿と動きが評判になり、
不倒翁の仕組みを模したひょうたん型の「起き上がり小坊師」が
江戸時代になってつくられました。

やがてこの「起き上がり小坊師」に
達磨大師が座禅をしている姿が描かれるようになり、
現在のようないわゆる「だるま」となったのです。
「だるま」には、最高位の僧侶がまとう僧衣の赤色を胴体に塗り、
さらにその上に金色で模様を描き、袈裟をあらわしました。

このひょうたん型の「だるま」は、
その形が繭にも似ていたことから、
とくに養蚕農家で祀られていたようです。

ひょうたん型の「だるま」が現在のように丸型になったのは、
大飢饉のときに、農民を救済するため、
ある村の和尚が農家の人々にだるまをつくらせ、
その際に形がつくりやすい丸型にしたことがはじまりでした。

「だるま」は、江戸時代後期になると、
全国に広まりました。
疱瘡で命を落とす子供たちが多かった当時、
疱瘡の神が「だるま」の赤い色を嫌うといわれ、
疱瘡(ほうそう)から身を守るとされたのです。

また、何度倒れても起き上がるその姿から、
七転び八起きの象徴として、
縁起を担ぐ商人などにも広まりました。



上の写真の名古屋帯は、昭和初期頃につくられた紬地の絹布から
お仕立て替えしたものですが、
冊子にあらわされただるまの
愛嬌がある表情がかわいらしく、
思わず微笑んでしまうような魅力が感じられます。

さて、現在ではだるまは赤く、丸い形のものが一番よく知られていますが、
上の写真のだるまのように、鼻や耳が付けられているものもあり、
各地で作られるだるまにはそれぞれ特徴があります。

例えば新潟県でつくられるだるまは、
頭が尖って、三角形の形をしています。
宮城県のだるまは、青色で豪華な彩色が施されています。
愛媛県や大分県では、女性の外見をした
「姫だるま」とよばれるだるまがつくられています。
また、木炭を素材にしたものもあるようです。
そのどれもに愛嬌があり、
民芸品として多くの人々に愛されています。

遠い昔から、廃れることなく親しまれてきただるまを眺めていると、
転んでも転んでも起き上がるだるまの姿に学び、
励まされながら生きてきた人々の営みが伝わってくるようです。
かわいらしくも威厳のあるだるまの表情が
年の瀬に一年を振り返らせ、
また、おごそかな気持ちにもさせてくれるのです。


※上の写真の「冊子にだるま文様 型染め 名古屋帯」は11月11日(金)に
花邑銀座店でご紹介予定の商品です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は11月16日(水)予定です。

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「結び文文様」について

2011-11-02 | 文様について

presented by hanamura ginza


まもなく立冬。
柿の実が色づく季節となりました。
橙色の柿の実を見かけると、
もうすぐ冬がやってくるのだという実感が湧いてきます。

明日の文化の日には、
晩秋の景色を眺めにお出かけ
というのもよいかもしれませんね。

七五三も間近ということで、
神社に行くと、お宮参りに来た華やかな衣装を身にまとった子供の姿も
見ることができそうです。

お宮参りをはじめ、初詣に成人式と、
これからの季節は、神社やお寺に行く機会が多くなります。

お参りも、もちろんですが、
初詣のときには、おみくじを引かれる
という方も多いのではないでしょうか。

神社やお寺にある木や縄には、
細く折りたたんだおみくじが
結ばれている光景をよく目にします。
木や縄に結ばれた幾つものおみくじの白い紙は、
遠くから眺めると、真っ白な花が咲いているようにも見え、
渋い色合いの境内の景観とのコントラストが美しく、
和の趣きが感じられる一場面ともなっています。

このようにおみくじを折りたたんで、木や縄に結ぶのは、
神社の木や縄には神が宿るとされ、
おみくじを結ぶと、その人の願いが結ばれるとされているからのようです。

おみくじに代表されるように、
日本人は、古来より結ぶということに、さまざまな意味や願いを込めてきました。

昔は、伝言を記した手紙もおみくじのように結び、
相手に渡していました。
この場合も、相手に気持ちが伝わり、
気持ちが結ばれるようにとの意味合いが込められていたようです。
この手紙は「結び文(ぶみ)」といわれています。

今日はこの「結び文」の文様について
お話ししましょう。

結び文がはじめて用いられたのは、
平安時代の頃です。
日本独自の文化を目指した「国風文化」が発展し、
かな文字やカタカナが考案されたこともあり、
当時の貴族たちは競うように歌や文章を紙に記しました。

また、恋文などの手紙のやりとりも、
頻繁に行われていました。

当時の手紙には、
横長の紙を用いて書いたものを細長く折って白い紙に包んだ「立て文」
あるいは「捻(ひね)り文」、
手紙を薄い紙で包んだ「包み文」、
そして「結び文」という形式がありました。
その中では立て文が一番正式な書面に用いられ、
その次に捻り文、包み文となります。
結び文は、立て文の略式とされ、
恋文のときによく用いられました。

恋文は、結婚するまで、相手の顔をみることもできなかった当時の人々にとって
自分の想いを伝え、相手を知ることができる唯一の方法でした。
そのため、結び文に書く内容はもちろん、
結び文に用いる紙の質や色、
紙に染み込ませた香の匂いにもこだわり、
自らの趣味や素養をアピールしたのです。

源氏物語にも、この結び文はたびたび登場しますが、
やはりここでも、結び文に記された文章だけではなく、
紙の質や色合い、香の薫りなども細かく記されていて、
送り主の趣向も描写されています。

やがて、江戸時代になるとこの結び文は
恋文だけではなく、儀礼などの普通の手紙にも用いられ、
封じ目には「〆」と墨が引かれるようになりました。

この時代に結び文をモチーフにした文様も考案され、
結び文が配された小袖などがつくられるようになりました。
平安時代の典雅な文化を想起させる文様として、
人々に注目されたようです。



上の写真の名古屋帯は
その結び文が散らされるように配された型染めの帯です。
小粋な意匠のなかに、雅な雰囲気も感じられます。

ちなみに、結び文やおみくじの他にも、
日本ではさまざまな場面で「結んだ」ものをみることができます。
お祝いの席やお悔やみのとき、お見舞いのときに渡す熨斗袋にも
水引きとよばれる紐が結ばれていますね。
この水引は、用いる場面によって色や結び方が異なり、
一度結んだら解けない「結び切り」には
「一度しかあってはいけないこと」という意味が込められ、
結婚式や弔辞などに用いられます。
一方、解けば何度でも繰り返し結ぶことができる「花結び(蝶結び)」には
「何度もくり返し起きてほしいこと」という意味が込められ、
出産や開店などのお祝いごとなどに用いられます。

そういえば、おでんの具に入っている昆布も、
結び文のように結ばれていますね。
おせちに入っている昆布も同様に、結ばれています。
もともと昆布は「よろこんぶ」という言葉を連想させるため、
縁起の良い食べ物とされていますが、
その昆布を結ぶことで、喜びを結ぶという意味合いをもたせているのです。

冬が近づくと、温かなおでんが一際おいしく思えますね。
晩秋の景色を眺めながら、おでんをつまみ、喜びを結ぶのも良いですね。

当ブログも今日はこのへんで結びとさせていただきます。

上の写真の「結び文(むすびぶみ)文様 型染め 名古屋帯」は花邑銀座店でご紹介している商品です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は11月9日(水)予定です。

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