花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「船文様」について-その2-

2010-06-29 | 文様について

presented by hanamura


梅雨本番ですね。
ここ東京では、毎日雨雲が広がっています。
お着物でのお出かけには少しためらいがありますね。
梅雨明けが待ち遠しいですね。

梅雨があけるとまもなく、
夏の大きなイベントといえる
花火大会が各地で開催されますね。

川沿いや海辺での花火大会のときには、
船から花火を眺める方も多いようで、
屋形船は大忙しのようです。

さて、今回は前回に引き続き、
船文様についてお話ししましょう。

船は、昔の人々にとって大切な交通手段であったと同時に、
漁業などの生活を糧を得るためにも
欠かせない乗り物でした。

また、川や湖の多い日本では、
船は日常的な交通手段でもあり、
日用品を運ぶ乗り物でもありました。
もちろん、自然の風景を眺めるなどの
遊興にも用いられていました。

そのためか、
船文様の中には、船とともに、
人々の生活までも垣間見えるようなものが多くあります。

柴舟(しばふね)文様もその中のひとつです。
「柴舟」とは、薪(たきぎ)になる柴をのせる舟のことです。
現代のように、科学技術がすすんでいなかった昔は、
「火」をおこすための柴は必要不可欠の日常品です。

野山で刈り取った柴は、
舟に乗せられ、川を通り人々が住む里山に運ばれます。
柴舟文様は、そういった日常の光景をあらわした文様なのです。

また、葦と舟を組み合わせて意匠化した
「葦舟(あしふね)文様」もあります。

葦は、古くから日本の川や沼などに自生している背の高い植物で、
日本神話には、この葦でつくった舟が登場します。
葦舟文様は岸辺に居る人間が生い茂る葦の間から、
舟を覗いた様子があらわされています。

港や船着場など舟がつなぎとめられている様子を
「舫(もや)われている」といいます。
そのような舟がつながれて休んでいる情景をあらわした文様に
にで、舟と舟とが繋がれている様子は
舫船(もやいぶね)文様があります。
また、綱を付けて陸に舟を引き揚げている様子をあらわした
「曳舟(ひきぶね)文様」というものもあります。

船に四季折々の花をのせて意匠化した
「花舟(はなふね)文様」では、
流水に浮かぶ船に美しい花々が乗せられ
その組み合わせはたいへん華麗で、
情緒豊かなものです。

昔は、ゆっくりと海や川を過ぎ行く舟がそこかしこで見られたことでしょう。
舟文様は、そうしたおだやかに流れていた
昔の時間までもあらわしているようです。





※写真の名古屋帯は花邑銀座店にて取り扱っています。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は7月6日(火)予定です。


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「船文様」について-その1-

2010-06-22 | 文様について

presented by hanamura


6月も半ばを過ぎました。
空気もだいぶ蒸してきて、
夏本番ももうまもなくという雰囲気ですね。
そろそろ、夏季休暇の予定をあれこれと考えている方も
いらっしゃるでしょう。

夏の休暇にはご旅行される方も多いですね。
毎年、高速道路で自動車が渋滞している様子や
新幹線と飛行機が満席になっている状況を
ニュースで目にします。

さて、現代のような車や電車、飛行機などが
発明されていなかった時代では、
目的地にたどり着くことは、
とてもたいへんなことでした。

昔の交通手段といえば、
徒歩や駕籠(かご)、あるいは船
という選択しかありませんでした。
とくに周りを海に囲まれた日本において
船は昔からなくてはならないものでした。

日本の伝統文様にも、
船をモチーフにしたものが数多くあります。
そこで今日は、その船の文様についてお話ししましょう。

船は、太古の昔から世界各国で使用されていました。
紀元前4,000年前の古代のエジプトでは、
帆の付いた帆走船(はんそうせん)が
すでに使われていたようです。

その後西洋では、太い背骨を中心にして、
肋骨のように骨組みをつくり、
そこに板を張る構造の船体が作られるようになりました。

日本では、先史時代の遺跡から
多くの丸木船が発掘されています。
ただ丸木をくり抜いただけの簡素なつくりですが、
やはり古くから船は存在していました。

桃山時代から江戸時代には
ポルトガルやオランダといった西洋から
多くの船が日本に来航するようになります。
こうした船は「南蛮船」とよばれ、
文様のモチーフにもなりました。

文様としてあらわされる南蛮船は
大きい船体に、何本もマストが張られ、
マストの先端に旗が揺らめいたもので、
異国趣味の武将などに好まれたようです。

一方、日本の船はというと、
「和船」とよばれる船が
幕末まで用いられていたようです。
和船は西洋の船の構造とは異なり、
丸木船を発展させた箱船のような日本独自の船です。

和船に付けられた帆が
上がったものは「帆掛け船」または「帆船」とよばれました。




上の写真の船文様は、絵皿にその帆掛け船を配したものです。

船文様は、船単体で描かれるほかに
波のような水をあらわす文様をともなったり、
岸辺の風景とともに遠近感を持って描かれていたりするものも
多くみられます。

日本の岸辺というと、松ですね。
松の間から覗く帆掛け舟を
意匠化したものは
「松帆(まつほ)」文様と呼ばれ、
松原を波に見立ててあらわされます。

当時の船は、天候の影響を受けやすく、遭難も多かったようです。
とくに、和船は嵐に遭遇すると壊れやすく、
船に乗って遠くに向かうということは、命がけでした。

しかし、困難であればあるほど
異国への憧憬は沸き立ったようです。
万葉集にも船を詠んだ歌が多く見受けられます。
昔から船は単なる乗りものとしてだけではなく、
ロマンスや情緒をも感じさせるものでもあったのです。

一方、船は旅行だけではなく、
漁業など生活の糧を得るために日常的にも
使用されてきました。

次回はそういった日常の中の船を意匠化した
文様についてお話ししましょう。

※写真の名古屋帯は花邑銀座店にて取り扱っています。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は6月29日(火)予定です。


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「蛇籠(じゃかご、じゃこ)文様」について

2010-06-15 | 文様について

presented by hanamura


いよいよここ東京も梅雨入りです。
お天気の週間予報には、
傘マークがずらりと並んでいますね。

雨は、私たち人間や農作物にとって、
恵みの水です。

そこで今回は水にちなんだ文様、
「蛇籠(じゃかご・じゃこ)」文様について
お話ししましょう。

蛇籠とは、竹や藤の蔓などで編んだ籠に
石を詰めた筒状の道具です。
この蛇籠を川の中に入れることで、
堤防を補強したり、水の流れを抑えました。

雨は恵みの水でもあると同時に、
時として水害をひきおこすこともあります。

山が多く平らな土地が少なく、
海に囲まれた日本列島では、
山に降った雨は
川を通ってすぐに海へと流れていきます。

そのため、雨が多く降ると
川の水は一気に増えて急流となり
川が氾濫してしまうことがあるのです。

川の近くで生活を営む人々にとって、
こういった水害は、
古来より悩みの種でした。

そして、川の氾濫から
身を守るために
堤防をつくるなどのさまざまな治水対策が
なされてきました。

蛇籠は、そういった水害から
生活や命を守るために
用いられていたのです。

蛇籠という名前は、
長い筒状の姿が蛇に似ていたことと、
水の神様とされていた蛇になぞらえたという
由来があるようです。

蛇籠が用いられはじめたのは
紀元前200~300年頃の古代中国のようです。
日本でも「古事記」に蛇籠と思われる器物の記述が
見受けられます。

蛇籠は、川だけではなく、
農業用の水路である堰(せき)にも用いられました。
昔の人々にとって
蛇籠はとても身近なものだったようです。

やがて蛇籠は水辺をあらわすものとして、
日本の伝統文様となり、
着物や陶芸品などの意匠に
用いられるようになりました。

文様となった蛇籠は、
中に詰められた石はあらわされません。
外の籠の網目のみがあらわされ、
筒状ではなく、籠が伏せたかたちになっています。
また、多くの蛇籠文様は、
流水などの水を表す文様とともに用いられることで、
凉を呼ぶ文様の代表格となっています。



上の写真は、流水に蛇籠と草花が散らされた型染めです。

人間が作った器物である蛇籠の網目は、
流水や草花という自然をモチーフとした文様の中で、
ほどよい「味」となり、趣きをもたらします。

ちなみに江戸時代に活躍した
陶芸家、絵師の尾形乾山(おがた けんざん)は
この蛇籠のモチーフを好み、作品に多く用いました。

本来は水を堰き止める身近な「器物」を「美」と捉え、
文様にしてしまうというのは、
日本ならではの美意識でしょう。

現代では、コンクリートの堰堤が多く、
こういった蛇籠が川の中にある風景は
見ることも少なくなってしまいました。

しかし、蛇籠はコンクリートに比べ、
その網目の構造が水をほどよく通します。
また、その場の状況に合わせて
繋いだり形を変化させることもできるという
とても優れたものなのです。

そのため、現在ではまたその機能性が
注目され始めているようです。

かたちの美は用の美でもあるんですね。

※写真の名古屋帯は花邑銀座店にて取り扱っています。

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次回の更新は6月22日(火)予定です。


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「紫陽花文様について」

2010-06-08 | 文様について

presented by hanamura


今日、ここ東京は
パラパラと小雨が降りました。
東京もいよいよ梅雨入りのようです。

しかし曇りでも空が明るいためでしょうか。
この季節の雨は暗いどんよりとしたイメージより、
夏に向かう明るいイメージがありますね。

梅雨というと、
かたつむりや、蛙、てんとう虫などの
小さな生きものたちが
喜んで遊んでいる姿が目に浮かびます。

そして、この季節を彩る花と言えば、
やはり紫陽花ですね。

鮮やかな青や紫の花を咲かせる紫陽花は、
晴れた空より雨空の下の方が
一際美しく映え、
のんびり眺めていると
日本の情緒を感じさせてくれます。

東京でも、紫陽花の花が白から青や紫などに
色付きはじめました。
そこで、今日は紫陽花の文様について
お話ししましょう。

紫陽花は日本を原産地とし、
古くから、人々の間で愛でられてきた花です。
奈良時代につくられた「万葉集」や
平安時代の和歌には
紫陽花を詠んだものが多く残されています。

鎌倉時代には
観賞用として育てられるようになり、
満開に大きく咲く姿から、
「多事を成す」とされ、
武将たちの間で吉祥の花とされるようにもなりました。



上の写真は、紫陽花文様の紅型の名古屋帯です。
昭和初期頃につくられた紅型ですが、
紫陽花をモチーフにした紅型は
たいへんめずらしいものです。

江戸時代になると、
紫陽花は夏を先取りする花として
俳句や小袖、浮世絵や陶磁器の
モチーフにも用いられました。

それでも、紫陽花は咲く季節が短いためか、
その人気に比べ、文様は種類もなく、
意匠として現存しているものも少ないのです。

しかしその「はかなさ」ゆえに
四季の移ろいを感じさせる点が
紫陽花の魅力にもなっているのでしょう。

江戸時代に日本に滞在し、
蘭学を広めたドイツ人シーボルトは、
この紫陽花を「オタクサ」と名付けました。

この「オタクサ」は、当時日本での
シーボルトの愛妾であった
「お滝さん」の名前から付けられたようです。

シーボルトにしてみると、
雨の中に鮮やかに咲く紫陽花が、
愛妾のお滝さんと同じくらいに
艶めいて見えたのでしょう。

※写真の名古屋帯は花邑銀座店にて取り扱っています。

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次回の更新は6月15日(火)予定です。


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お休みのお知らせ

2010-06-01 | 花邑日記

presented by hanamura


6月1日(火)更新予定の「花邑の帯あそび」は、
お楽しみにお待ちいただいていた方には、
申し訳ございませんが、
急きょ遠方に仕入れに行くことになり、次週6月8日(火)になります。

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次回の更新は6月8日(火)予定です。


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