花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「刈安(かりやす)」について

2012-10-25 | 和の伝統色について

presented by hanamura ginza


まもなく 11 月ですね。
朝晩の冷え込みが、しだいに厳しくなってきました。

朝方に、肌寒さを感じながらうつらうつらとしていると、
どこからか「ピーヨピーヨ」という
ヒヨドリの鳴き声が聞こえてくるようになりました。
暖かい場所を好むヒヨドリが、山からおりて、
柿の実などの食料を目当てに、人家のそばまでやってきているようです。

そういった鳥の鳴き声にも、
この季節ならではの郷愁が感じられますね。

菊が見頃を迎え、各地では「菊まつり」が開催されているようですが、
秋ならではの風情が感じられる植物といえば、
やはり「ススキ」でしょう。
すっと伸びたススキの穂が風に揺れている姿には、
侘び寂びが漂い、詩情が感じられます。

さて、このススキに姿が良く似たものに、
「刈安(かりやす)」とよばれるイネ科の植物があります。
ススキと同じように晩夏から初冬にかけて穂をつけ、
ススキに比べ、穂の数が少なく、少し丈が低いのが特徴です。

この刈安は、黄色系の色調をあらわす染料として、
古来より重宝され、着物文化にもたいへん縁の深い植物です。

今日は、この刈安についてお話ししましょう。



刈安の産地は、日本列島の中部と近畿地方です。
その中でも、琵琶湖近くに位置する伊吹山(いぶきやま)で収穫されるものは
とくに「近江刈安」とよばれ、
「正倉院文書」にもその名前が残っています。

正倉院に伝えられた宝物の織物のうち、
黄色系に染められたものの多くは、
この刈安が染料になっています。

また、平安時代に記された「延喜式」には、
刈安を用いた染色方法が記されています。

刈安を用いた染色では、
穂が出る前に刈り取った刈安を乾燥させ、
乾燥させたものを熱湯で煮だして染液とします。
刈安は黄色系だけではなく、
藍と併用することで、
緑系の色を染める染料としても用いられます。

この刈安という名前の由来には、
「刈りやすい草」という意味合いがあり、
他の染料に比べ、染色が容易だったことから、
庶民が着る衣服の染料として、広まりました。

刈安は染料のほか、薬草としても用いられました。
江戸時代の頃には、消化を助けたり、腫れ物の消毒する医薬品として、
各地で栽培されていました。

八丈島には、刈安と同じイネ科の「こぶな草」が多く自生していますが、
こちらも黄色系の染料として用いられ、
「八丈刈安」とも呼ばれています。
この「八丈刈安」で染めた糸を用いて織られた紬は
黄八丈と呼ばれ、江戸時代の頃に粋な着物として、
人気を博しました。

明治時代以降になり、化学染料が用いられるようになると、
刈安の栽培は少なくなり、
現在では、特定の地域で栽培されるのみとなりました。

しかしながら、「八丈刈安」で染めた刈安色の黄八丈は、
現代でも人気が高い紬のひとつです。



上の写真のお着物は、2枚ともその「八丈刈安」を染料とした黄八丈です。
同じ染料ですが、媒染の方法や織り方、意匠によって色調が異なりますね。
しかしながら、どちらも秋の陽射しに照らされて輝く
ススキのような美しさと、気品が感じられる刈安色となっています。

あたたかみのあるお色目は、
深まる秋にシンクロして
これからの季節により美しくうつることでしょう。

※上の写真の
「黄八丈綾織りまるまなこ 袷」
「本場黄八丈紬 格子文 袷」 は花邑銀座店でご紹介している商品です。

花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 11 月 1 日(木)予定です。

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「ドングリ」について

2012-10-18 | 和の伝統色について

presented by hanamura ginza


はやいもので、10 月も半ばを過ぎました。
秋は駆け足で進むといいますが、
残暑が長かった今年は、
とくに急ぎ足で過ぎていくように感じられます。
北海道では、例年より 2 週間ばかり遅く初雪が観測されたようですが、
紅葉は今が見頃ということで、
北海道に行くと、紅葉と雪の景色の両方を楽しめるかもしれません。

さて、先日「おみやげに」と、
ドングリの実をいただきました。
小さなベレー帽を頭に被ったようにみえる愛らしいその姿は、
秋の深まりを教えてくれました。



かわいらしいドングリは、
独楽の材料にもなり
子どもたちの遊び友達といえますね。
「どんぐりころころ どんぐりこ...」
という童謡を 1 度ならず歌ったことがあるのではないでしょうか。
また、宮沢賢治の「どんぐりと山猫」も有名ですね。
ドングリと聞くと、そのようなほのぼのとした思い出を
思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

日本全国でとれるドングリは、日本の文化にも縁が深く、
着物文化でも、重要な役割をしています。
今日は、この「ドングリ」についてお話ししましょう。

ドングリは、ブナ科に属するナラ、カシ、マテバシイ、ブナなどの実で、
秋から冬にかけてなります。
デンプン質に富んだ実は、
リスやネズミ、クマなど森に住む動物たちの貴重な食料にもなっています。

また、太古の昔から人々の身近にあり、
縄文時代の頃には、人々もドングリを主食としていました。
現在ではドングリを食することはほとんどなくなりましたが、
戦前までは食べられていたようで、
現在でも、ドングリを材料に使ったドングリパンが販売されています。

また、ドングリはデンプンだけではなく、
色素のもとになるタンニン酸も含まれています。
このタンニン酸は、実が傷ついたときに
防菌のために傷の箇所に集まる成分で、
ドングリの場合では、木からポトリと落ちたときに切れた部分に集まり、
茶色い色素となります。

ドングリを染料とした布は、褪色しづらいともいわれています。
ドングリのことを古くは橡(つるばみ)とよんでいましたが、
万葉集には、この橡のことを詠んだ詩がいくつかあり、
褪色しづらい染料としての橡を色褪せない愛情に例えています。

橡を染料とした色は多く、
和の伝統色にも橡の名前が多くみられます。
白橡(しろつるばみ )、黒橡(くろつるばみ )、赤白(あかしろつるばみ )
などがあります。
そのなかでも、鉄媒染して染めた黒色は
黒橡(くろつるばみ )とよばれ、
平安時代のころには高官が着用する朝服の上衣の色となり、
やがて、法衣の色として定着していきました。

さて、昔から馴染み深いドングリですが、
着物などの意匠に用いられたものは少なく、
比較的最近のものが多いようです。
下の写真は、腹合わせ帯のお太鼓部分の絵柄になりますが、
木についたどんぐりの様子を手描き染めであらわしたもので、
こちらも最近のものです。
思わず微笑んでしまうかわいらしさがあり、
作り手のどんぐりに対する愛情が伝わってきますね。



「団栗の寝ん寝んころりころりかな」   小林一茶



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「青海波(せいがいは)文様」について

2012-10-11 | 文様について

presented by hanamura ginza


10月もはやいもので、
まもなく半ばとなります。
気がつくと秋も深まり、
空を見上げると、秋の澄んだ青空が広がっています。

日曜日に家の近所を歩いていると、
遠くから風に乗って「白組がんばれ、紅組がんばれ」と、
運動会のかけ声が聞こえてきました。
秋晴れのなか、赤や白の帽子をかぶって、
こどもたちが一生懸命走っている姿が、目に浮かびました。
運動会の時期が終われば、やっと訪れた秋も
駆け足で過ぎていってしまいます。

今年は残暑が厳しく、紅葉がはじまるのが例年より遅かったようですが、
すでに北海道や北陸では、見ごろを迎えたところも多くあり、
各地の名所に訪れる方も多いのではないでしょうか。

さまざまな木々の葉が、赤や黄色に色づいた光景は、
昔も今も変わらず、秋ならではの郷愁を帯びた風情を感じさせてくれます。
その美しい光景は、古来より詩や物語の中でも多く語られ、
ときに物語に叙情を醸す役割もしてきました。

平安時代に書きあらわされた「源氏物語」には、
「紅葉賀(もみじのが)」と名づけられた巻があります。
そのなかでは、紅葉の中で藤壺を想いながら、
「青海波(せいがいは)」という雅楽を舞う
若き光源氏の姿が書かれています。

雅楽「青海波」は、二人の踊り手が袖を振りながらゆったりと踊る
とても優美な舞ということで、
「紅葉賀」の場面では、その舞と紅葉の美しさが相まって、
光源氏の艶をさらに引き立てる役目を果たしているようです。

今日は、この雅楽「青海波」から名前をつけたともいわれている
「青海波文様」についてお話ししましょう。

青海波文様とは、鱗状の文様を上下左右に、連続的に配した文様です。
この青海波文様は、古代ペルシャで考案された文様で、
シルクロードを経て、中国に伝わり、
中国から日本へと伝えられた文様とされています。

中国から日本に伝えられた年代は定かではありませんが、
すでに、飛鳥時代につくられた埴輪には、
この青海波文様が描かれていました。

中国では、西方にあった青海国の山岳民族が
青海波文様を民族衣装に用いていたようです。
青海国からは、「青海波」とよばれる雅楽も伝えられましたが、
この「青海波」を舞うときに身に着けた衣装の文様に、
この文様があらわされていて、
いつしかその演目の「青海波」が文様の名前となり、
日本の古典文様として定着したのです。

やがて、日本ではこの青海波の文様が、
穏やかな海をあらわすものとされ、
海がもたらす恵をよび起こす縁起の良い文様とされ、
海が無限の広がりをあらわすことから、
「人々の幸せな暮らしがいつまでも続くように」という願いも込められています。


鎌倉時代になると、現在の愛知県瀬戸市でつくられた
「古瀬戸瓶子(こせとへいし)」とよばれる陶器に、
青海波文様が多くあらわされるようになりました。

元禄時代には、独特な技法と道具でこの青海波を意匠に多く用いた
勘七とよばれる漆工がいましたが、
青海波が人気となって陶器や染物などにも用いられるようになり、
その作品も有名になったために姓に青海と冠され
青海勘七ともよばれるほどだったようです。




上の写真は白色の地に墨色一色で、松青海波の文様が型染めによりあらわされた名古屋帯です。
和の趣きの中にも、優美な雰囲気が漂い、気品とモダンさが感じられます。
縁起が良いとされる青海波と松文様が組み合わされた意匠ですので、
吉祥文様が必須となる年末年始のお出かけの装いにも重宝いただけそうですね。

※上の写真松青海波(まつせいがいは)文様 型染め 名古屋帯は花邑銀座店でご紹介している商品です。

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