花邑の帯あそび
1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…
 




presented by hanamura ginza


まもなく立春ですね。
梅のつぼみも少しずつ大きくなり、
気がつくと、日が暮れるのも遅くなりました。

それでも、氷のように冷たい北風に身を縮めることも多く、
天気予報では雪マークが付いている地域もあり、
冬将軍はまだまだ健在のご様子です。

1 月に入ってからは、東京でも雪が積もる日がありました。
そういったときには、
慣れない雪の道を滑って転ばないように
気をつけて歩かなくてはいかないのですが、
普段は見慣れない雪景色をみると、
なぜかすこし楽しい気持ちになり、
「雪やこんこ、霰やこんこ」と思わず口ずさんでしまいそうになります。

この童謡「雪」の歌詞にある「こんこ」を「こんこん」と読み、
雪が降る音として解釈したものもあるようですが、
本来は「来む(降れ)」という意味合いをもつ
「こんこ」が正解のようです。

実際に、仕事などで出かけなくてはならない時には、
雪を眺めて「こんこ」という気持ちにはなかなかなれないものですが、
リズム感の良さと、楽しい歌詞の中にも雪の情緒が感じられ、
ついつい歌いたくなってしまうようです。

歌詞では、タイトルの「雪」だけではなく、
「霰(あられ)」も「こんこ」と歌われていますが、
空から舞い落ち、音をたてて地面の上ではじける霰は、
この歌のもつリズムとも、よく合っているように思えます。

霰はこの歌だけではなく、
さまざまなものの名前にも用いられていて、
日本の伝統文様にも「霰(あられ」と名づけられた文様があります。

現代では市松文様として知られる格子柄は、
もともと「霰(あられ)文様」とよばれていました。
また、現代では「水玉文様」ともよばれることがある
細かな丸の玉が散らされた文様も、
古来より「霰(あられ)文様」とよばれています。

その中でも、大小の丸い玉を散らした「大小あられ文」は、
江戸時代に薩摩の島津藩が定め紋としました。
そのため、現代では江戸小紋の中で「鮫(さめ)文」と「行儀(ぎょうぎ)文」と
「通し(とおし)文」といった江戸小紋三役の次に格のあるものとされ、
「万筋(まんすじ)文」と「大小あられ文」を加えたものを江戸小紋五役と呼びます。



上の写真は
昭和初期につくられた絹布からお仕立て替えした名古屋帯です。
小さな捻じ梅の文様と茶道具にくわえ、霰文様が全体に散らされています。
和の情緒のなかにもかわいらしさが感じられる意匠は、
とても魅力的な雰囲気です。

さて、霰はお菓子の名称にも用いられていますね。
お餅をくだいたものを炒ってつくられたお菓子も霰とよばれ、
平安時代には「あられ餅」「玉あられ」という
名前が付けられました。

ひなまつりで食される「ひなあられ」も、
このあられ餅に由来しています。

ひなまつりで飾られる雛人形は、
平安時代におこなわれていた
「ひな遊び」とよばれるお人形遊びがその由来とされています。
このお人形は、持ち運びができるもので、
春になると、お人形に野山を見せてあげようと、
お人形を外に連れ出す風習がありました。
この風習は「雛の国見せ」とよばれ、
その際にご馳走とともに持っていったあられ菓子が
のちにひなあられとよばれるようになったようです。

このあられ菓子は、菱餅を携帯用に砕いて炒ったもので、
雪の大地をあらわす白、
木々の芽吹きや若葉をあらわす緑、
桃の花をあらわした桃色という 3 色に色づけされていて、
自然の力を授かり、女の子が健やかに育つようにとの
願いが込められています。

上の写真の帯は抹茶色の地に、桃色、白色で色付けがされていて、
このひなまつりの色合いが用いられています。

ちなみに、関東のひなあられと、関西のひなあられは違ったもののようです。
ひなあられが大量につくられるようになったのは、
江戸時代のころですが、
当時の江戸では、乾燥したお米から作られた「爆米(はぜ)」というお菓子が人気となり、
この爆米を砂糖で味付けをしたものがひなあられとして食されました。

一方、関西では平安時代から食されてきた
餅を砕いて炒ったあられがひなあられとして定着し、
また味も醤油味や塩味などさまざまのものがあるようです。

こういったところにも、
文化の違いが垣間見えておもしろいものですね。
現代では、東京でも関西風のひなあられが販売されているので、
今年はぜひ食してみたいところです。

上の写真の「梅に茶道具文様 型染め 名古屋帯」は花邑 銀座店でご紹介している商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 2 月 12 日(火)予定です。

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大寒を迎え、東京でも暦どおりの寒い日がつづいています。
先週降り積もった雪も、日陰では溶けずに残っているところもあり、
吹く風も凍てつくような冷たさとなっています。

それでも、大寒を過ぎれば立春ということで、
春を先取りしようとばかりに、
各地では、ひな人形の展示イベントが催されています。

そういったイベントでは、
新しくつくられた現代的なひな人形だけではなく、
名家に伝わる由緒あるひな人形や、
その地方ならではのめずらしいひな人形も展示されています。

ひな飾りは、お雛さまやお内裏さまなどのお顔はもちろん、
雅な衣装や繊細につくられた小道具の数々にも
作り手のこだわりが感じられ、見ごたえがあるものです。

その小道具のなかで、忘れてはならないもののひとつに
「雪洞(ぼんぼり)」があります。
童謡のひなまつりにも「あかりをつけましょ。ぼんぼりに。。」という
フレーズがでてきますね。
「雪洞」とは、雪かまくらの中から見えるような、
ほのかな灯りのことを呼ぶそうで、
ひな飾りの際には、両脇に行灯や手燭を置きます。

この「雪洞」の由来は、江戸時代の結婚式にあります。
もともと、ひな人形は結婚式の様子を模したものとされていますが、
ひな人形が広まった江戸時代の結婚式は、
夜 9 時から 11 時の間におこなわれていたため、
実際にも「雪洞」のような灯りが用いられていたのです。

結婚式が夜遅くに行われていた理由には、
陰陽道との関係性があるようですが、
暗いなかでほのかな灯りに照らされたお嫁さんは、
神秘的で美しかったことでしょう。

この雪洞のように、江戸時代の照明といえば
ほかにも行灯や蝋燭、提灯が思い浮かびます。
現代のように外灯がなかった当時、
江戸では、日が暮れたら提灯をもって外出することが義務付けられていて、
提灯を持たずに歩くと怪しい者とされ、「御用」となりました。
時代劇などでは、こういった照明が、
その時代を反映する小道具としても効果的に使われていますね。

行灯や提灯は、江戸時代に広く普及したとされています。
それまでは、蝋燭を灯台に立てて、灯りをつけるというものでした。
それでも、蝋燭の原料である油はとても高価なもので、
贅沢に蝋燭を使用することは、
結婚式などの特別な行事以外にはなかったようです。

江戸時代になり、旅行がブームになると、
持ち運びに便利な提灯が、人気を博すようになり、
「提灯おばけ」のような怪談でも提灯がモチーフとなりました。

明治時代になり、
西洋からガス灯やランプなどの技術がもたらされると、
そういった提灯や行灯は姿を消していきました。



上の写真は
、大正から昭和初期につくられた絹布からお仕立て替えした名古屋帯です。
銀糸で織りだされたランプの文様は、光の加減で鈍く光り輝き、
ランプの灯りの輝きをあらわしているかのようです。

行灯や提灯などのほのかな灯りとは異なり、
煌々とした明かりは、文明開化を象徴する灯火として、
好意的に受けいられていったようです。

やがて、昭和初期には白熱灯が普及し、
ランプやガス灯も少なくなっていきました。
そのため、この布がつくられた昭和初期頃には、
すでにランプは懐かしいものだったのかもしれません。
そのためか、このランプの文様には、
どことなくノスタルジックな雰囲気があり、
古き時代を懐かしむような作り手のぬくもりが感じられます。

上の写真の「ランプ文様 縫取り縮緬 名古屋帯 」は花邑 銀座店でご紹介している商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 2 月 5 日(火)予定です。

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今年はじめてのブログになります。
旧年中はお引き立ていただき、まことにありがとうございました。
本年も変わらぬご愛顧のほど、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

あっという間にお正月も過ぎ、
はやいもので 1 月も半ばとなりました。

街の装いも、お正月の飾りから節分や雛祭りへと変わり、
梅の木には、小さなつぼみがみられるようになりました。
昨日は、東京でも大雪となり、
あいかわらずの寒さがつづいていますが、
こうした風物からも、少しずつ小さな春の訪れを感じることができます。

季節が移り変われば、私たちも装いをあらたにしますが、
今年の干支である巳(蛇)も、
生きている間に何回も脱皮をすることが知られています。
この蛇の脱皮は、古くから生命力の象徴とされてきました。

また、蛇は水辺の近くに住み、
実った稲を食べてしまう鼠を捕食することでも知られています。
そのため、古くから水を守る水神としても崇められていました。

水は、普段の生活にはもちろんのこと、
農耕の出来を左右する大切な資源です。
そのため、田んぼや水源地のそばに祠を建て、
蛇などの水神を祀ることが行われていましたが、
こうした祠のなかには、のちに神社となっているものもあり、
その神紋には、蛇を意味する鱗文様が使われる場合も多いようです。

日本には、こうした農耕生活に縁の深い水神がいる一方で、
漁業も同じように海神がいて、その社も多く建てられています。
こうした神社には、海の果てから渡来するとされるえびすなどの海神が祀られ、
その神紋には、波があらわされたものが多く用いられています。

波の文様は、神紋の他にも家紋などに使用されたり、
着物の意匠としても、頻繁に用いられています。

今日は、この「波」の文様について、お話ししましょう。

波の文様は古来より世界各地であらわされてきました。
日本では流水などの水文様は
古くから銅鐸などにあらわされてきましたが、
「波」の文様が多くあらわされるようになったのは平安時代のようです。

当時、貴族たちの間で詠まれた和歌の中には、
寄せては返す波を恋愛に例えたものが多くあり、
そういった和歌の情景をあらわすために波の文様が描かれました。

源氏物語のなかで光源氏が身にまとったとされる青海波(せいがいは)文様も波文様のひとつとされ、穏やかな海をあらわしています。

その一方、波には海神が宿るとも考えられていました。
戦国時代になると、その海神の力にあやかるために、
武将たちが家紋に波の文様を好んで用いるようになったようです。
波の文様は縁起が良いだけではなく、
波の満ち引きが兵法の妙にも通じるということで、
斉藤道三や山内一豊が立波をあらわした家紋を用いました。

波の文様は青海波や立波以外にも種類が多く、
波頭をあらわして波の躍動感を表現したものや、
波を巴状にあらわした波巴文、
おだやかなさざなみの風景をあらわした小波(さざなみ)文、
波を円状にあらわした波丸文様などがあります。

江戸時代には、絵師の尾形光琳が波をダイナミックにあらわし、
好評を博しました。
その波の文様は、のちに光琳大波と呼ばれるようになりました。

また、波に飛ぶ兎を描いて、能曲「竹生島(ちくぶしま)」をあらわした
「波兎」など、波に動物を合わせた文様も人気があります。






上の写真は、波が地紋に織り出された地の上に、
円状になって飛ぶ千鳥が型染めされた綸子縮緬から
お仕立て替えした名古屋帯です。
荒々しくあらわされた波の図と対照的ともいえる
千鳥たちのほのぼのとした表情がなんとも愛らしく、
印象的な雰囲気です。

波に千鳥を組み合わせた「波に千鳥」の文様は、
波を世間に例え、その上を越えていけるようにとの願いが込められた吉祥文様ともされています。

今年もさまざまな波をこの千鳥たちのように乗り越えていきたいところです。


上の写真の「波の地紋に千鳥文様 型染め 名古屋帯 」は花邑 銀座店でご紹介している商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 1 月 22 日(火)予定です。

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