花邑の帯あそび
1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…
 




presented by hanamura


まもなく 6 月ですね。
東京では梅雨の走りのような
雨の降る日が多くなってきました。

5 月も、もう残りわずかですが、
みなさんは、今年の初鰹はもうお召し上がりになられたでしょうか?
現在では養殖や輸入により、1年中目にすることのできる魚ですが、
やはり、旬のものが一番おいしく、
とても贅沢な心持ちでいただけますね。

鰹は、日本の太平洋沿岸に生息し、
夏になると北上し、秋になると南下します。
日本では古来から、若葉茂る季節に水揚げされる鰹を、
夏の到来を告げるものとして、珍重してきました。

「目に青葉 山ほととぎす 初がつを」という有名な俳句は、
豊かな四季をもつ日本ならではの情緒が感じられる句ですね。

さて、本日はこの鰹にちなんだ伝統文様の
「鰹縞(かつおじま)」文様について、
お話ししましょう。

鰹縞とは、濃い藍色から白色まで、
ぼかしをつけてあらわされた縞文様のことです。
その縞柄が鰹の体色を思わせることから、
「鰹縞」という名前が付けられました。
そこからは江戸っ子のお茶目で粋な感性が感じられます。

「縞」は、現在では見かける機会が多い文様ですが、
古来の日本では、たいへんめずらしい文様でした。
もともとは、南蛮貿易などで異国からもたらされた
縦縞の木綿のことを「島」からもたらされた「物」という意味合いで、
「島物」とよんでいたのです。

その島物に現代のような「縞」の字が当てられたのは、
江戸時代の中ごろです。
町民文化が花開き、
粋でいなせな「江戸っ子」という概念が広められた当時、
単純で明快な縞の柄は粋な文様として大流行し、
さまざまな縞柄が誕生しました。
鰹縞はその中で、考案された文様です。



上の写真の名古屋帯は、紗綾型文様に鰹縞を配した
粋な久留米絣からお仕立てしたものです。
すっきりとした鰹縞が爽やかです。

一方「鰹」自体は、古来より縁起の良いものとして、
珍重されてきました。
日本人が鰹を食べはじめたのは縄文時代にまで遡ります。
飛鳥時代の頃にはすでに鰹の干物、
つまり現在の鰹節などもつくられ、
朝廷に献納されたりもしていました。

その後、鰹節は神社などのお供え物にもなり、
戦国時代には、武人が縁起をかついで
「勝男武士」という漢字を当てたりもしたようです。

江戸時代になると、
初物を食すことが粋とされ、
なかでも鰹の初物は食すると750日も長生きできるとも言われました。
当時は「女房子供を質に出してでも食え」と言われたほど、
初鰹の人気は過熱し、高値で販売されたようです。

美食家で知られる北大路魯山人は、
鰹についてのエピソードで当時の江戸の様子を想像し、
「冬から春にかけて、しびまぐろに飽きはてた江戸人、
酒の肴に不向きなまぐろで辛抱してきたであろう江戸人……、
肉のいたみやすいめじまぐろに飽きはてた江戸人が、
目に生新な青葉を見て爽快となり、なにがなと望むところへ、
さっと外題を取り換え、いなせな縞の衣をつけた軽快な味の持ち主、
初がつお君が打って出たからたまらない。
なにはおいても……と、なったのではなかろうか。」
と言っています。

鰹も縞も江戸っ子の粋がふんだんに込められた文様なのですね。

ちなみに、同じく北大路魯山人は、
「昔は春先の初がつおを、やかましくいったが、
今日では夏から秋にかけてのかつおが一番美味い。
これは輸送、冷凍、冷蔵の便が発達したことによるものと思われる。
大きさは五百匁(もんめ)から一貫匁ぐらいまでを上々とする。」
とも言っています。

北大路魯山人の言うように
秋のもどり鰹もあぶらが乗っておいしいものですよね。
梅雨の走りにも勝るスピードで
まだ夏になりきってもいないのに
思わず秋の味覚にまで思いが先走りしてしまいました。

※写真は花邑 銀座店にてご紹介している名古屋帯です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は6月1日(水)予定です。

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5月も中旬を過ぎました。
沖縄では早くも梅雨入りということで、
季節はもう夏へと向かっているようです。

ここ東京では、晴れた日の昼間には半袖で歩けるぐらいに、
暑い日が多くなってきました。

さて今日は、暑い季節の最中に
涼をもたらしてくれる文様である「氷割れ(ひわれ)文様」について
お話ししてみたいと思います。

氷割れ文様とは、大小不規則な三角形や四角形、五角形といった
幾何学的な図形が連なった文様です。
氷に亀裂ができ、一面にひびが入った様子に似ていることから
そのように名づけられたようで、
実際に氷に入ったひびを模して考案されたわけではないようです。
「氷割れ」という名前からはもちろん、
ひび以外の白地が多いことからも
涼やかさが感じられる文様です。

この「氷割れ文様」は
「氷裂(ひょうれつ)文様」ともよばれ、
中国で考案され、おもに陶器の文様として用いられていました。
中国では、南宋時代に陶器の生産が盛んになりますが、
当時宮廷御用品を受注していた郊壇官窯(こうだんかかんよう)がつくった
青磁の表面にはこうした氷裂文様が多く見られます。
こうした氷裂文様は釉薬(ゆうやく)のひびによってあらわされていました。

その後清時代になると、
「五彩」とよばれる色鮮やかな陶器が焼かれるようになります。
氷裂文様は、このときに流行しました。

日本にその氷裂文様が伝えられたのは
江戸時代のはじめごろです。

中国からもたらされた氷裂文様は、
日本でも陶磁器の意匠に用いられ、
さらには襖絵などにも使われるようになりました。

江戸時代中ごろには、着物や帯の文様としても、
多く用いられました。
ちなみに、着物や帯の意匠では、
「氷割れ文様」とよばれることが多いようです。

氷割れ文様は、着物や帯の意匠においては、
多くの場合に主役の文様を引き立てる脇役として用いられます。



上の写真の名古屋帯は、昭和初期につくられた絹布から
お仕立て替えしたものです。

船文様の背景に配された氷割れ文様は、
意匠全体に奥行きをもたらしています。
本来は割れた氷から冷気が漂うかのような氷割文様ですが、
こちらのお品では、氷のひびというよりも
波面に太陽の光が乱反射しているかのような雰囲気です。
いずれにしても水の持つ涼を誘う情感が込められた意匠は、
これからの季節にぴったりでしょう。

梅雨が明けてもう少し暑くなったら、
氷割文様が配された陶製の杯で冷酒をキュッと、
というのもいいかもしれませんね。

※写真は花邑 銀座店にてご紹介している名古屋帯です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は5月25日(水)予定です。

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立夏を迎え、やや蒸す日もあれば、
雨が続いて梅雨が近いことも感じられる日もあり、
体調に気を配らなければならない不安定な日が続いています。

それでもやはり気温は上がっているようで、
飲み物は温かいものより、
自然と冷たいものを選ぶようになっています。

先日、果物屋さんで販売されていたオレンジやグレープフルーツが
みるからに瑞々しく、、思わず手にとってしまいました。
皆さんもフルーツは大好きですよね。

今日は、そんな誰もが好むフルーツ、
果物の文様についてお話します。

現在日常的に目にして、食べている果物の多くは、
明治時代以降に全国に広められたものです。
柿や桃といった果物は古くからあり、
それまでも親しまれ、好まれてきましたが、
それ以外の果物の種類はそう多くありませんでした。

現在当たり前のように目にしている果物の多く、
たとえばリンゴやバナナ、パイナップル、グレープフルーツ、メロンなどは
明治時代以前でも南蛮船などによって日本にもたらされてはいたものの、
庶民では到底目にすることも食べることもできない稀少なものでした。

そのため、明治維新は、日本の果物の歴史にとっても
まさに革命だったようです。
外国産の果物が数多く輸入され、
また日本国内においても栽培されるようになりました。
それでも、こうした外国産の果物は、
めったに庶民の口に入らない、高級で高額なものでした。

人々にとって海外からもたらされた果物は、
近代化の進んだ異国を感じさせる、
単に食べ物という意味合い以上のものがあったのかもしれません。
当時、着物や帯の文様にはこうした果物の文様があらわされ、
たいへん人気を博しました。



上の写真は大正~昭和初期につくられた羽織から
お仕立て替えした名古屋帯です。
当時流行した銘仙絣、なかでも印象派の西洋画を思わせることで人気の高い、
絵絣銘仙とよばれる布地を用いています。

この時代、西洋からさまざまな美術品や陶磁器なども輸入されましたが、
そのような陶磁器などにも果物の文様があらわされているものが多く見られます。
当時フルーツといえば、西洋が連想できる
ハイカラなイメージをもったものだったのでしょう。

ところで、日本の歌謡曲には、さくらんぼやリンゴなどの果物を
歌詞に取り入れたものが多くあります。
なかでも戦後大流行した「りんごの唄」は大ヒット曲ですので、
皆さんもよくご存じでしょう。
可憐な少女の思いを赤いリンゴに託して歌う歌詞は、
戦後の焼け跡の風景や戦時の重圧からの解放感といった世情をよく映し出し、
敗戦によって傷ついた国民の心を癒しました。

現代では、ルレクチェ、サワーソップ、ランサット、シュガーアップルなど、
南国産のめずらしい果物がいくつも輸入されるようになり、
多くの人々を魅了しています。
自然の恵みが詰まった果物はいつの時代も愛らしく、
人々の生活に豊かさと潤いを与えてくれるのですね。

※写真は花邑 銀座店にてご紹介している名古屋帯です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は5月18日(水)予定です。

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今日はこどもの日。
お家のベランダやお庭、学校の校庭などでは
鯉のぼりが風になびき、空を泳いでいます。

いつの間にか若葉もみるみるうちに広がり、
新緑が茂る季節になりました。

この季節は、色とりどりの花はもちろんですが、
いきいきとした緑色の葉も目に美しく映ります。
今日お話しする鈴蘭も、みずみずしい緑色の葉の影で
隠れるように花咲かせます。

鈴蘭は、北海道や東北などの高地に多く自生する花です。
その姿から別名「君影草(きみかげそう)」とも呼ばれています。

また、フランスでは花嫁に鈴蘭を贈る風習があり、
フィンランドでは国花とされているなど、
ヨーロッパでも古くから親しまれ、愛されてきた花です。

とても可憐な鈴蘭ですが、
意外なことに有毒をもつ花でもあり、
高原では牛や馬などに食べられず、
鈴蘭が群生している光景をみることもあります。

意匠のモチーフとしては、
梅や桜といった花のように古くから用いられてきたわけではありませんが、
大正~昭和初期にたいへん人気を博しました。

西洋文化がもたらされ、
和洋折衷の近代化がすすんだこの時代、
鈴蘭は薔薇と同じように、西洋を代表する花として人気があったのです。
当時のお洒落な女性たちは、
競うようにお着物の意匠に鈴蘭を取り入れていたようです。

ちなみに、花邑銀座店のある銀座には、
「すずらん通り」というよび名がつけられた通りがあります。
銀座以外にも、東京や北海道を中心に各地に
「すずらん通り」はあるようですが、
この名前の由来は、大正時代に東京の日本橋の道路に設置された街灯のかたちが
「すずらん」に似ていたことからのようです。
鈴蘭はここでも新しい時代の象徴だったのですね。



上の写真は、その鈴蘭を意匠化したものです。
大正~昭和初期につくられた羽織からお仕立て替えしたものですが、
まさに緑の葉の影に隠れるように、
ほのかに色づいた鈴蘭の意匠が趣き深く感じられるものです。

※写真は花邑 銀座店にてご紹介している名古屋帯です。

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