花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「孔雀文様」について

2010-12-28 | 文様について

presented by hanamura


もう新年まであとわずかになりました。
数日前まで、クリスマスのイルミネーションで彩られていた街は、
門松やしめ縄などが飾られ、
お正月を迎える準備で活気づいています。

さて、今回はお正月などのハレの日にふさわしい
華やかな孔雀の文様についてお話ししましょう。

孔雀と聞くと、鮮やかで長い尾羽を
扇状に大きく広げている姿を想像しますね。
これは、雄が雌に求愛するときの姿ということは
ご存じの方も多いのではないでしょうか。

孔雀の雄は、尾羽の綺麗さを示すことで、
自身が健康で強い遺伝子の持ち主ということを
雌にアピールしているようです。

そのため、雌の孔雀は強い子孫を残すために、
真剣に尾羽を広げた雄の姿を観察し、相手を決めます。

孔雀にとっては、まさに子孫繁栄に関わることですが、
華麗で迫力のあるその姿は、古来より人々を魅了してきました。

孔雀は、中国から東南アジア、南アジア、アフリカなどの
熱帯雨林に多く棲息しています。

美しい姿が人々を魅了してきたのはもちろんですが、
サソリや毒蛇などの害虫を好んで補食することから、
益鳥としても尊ばれてきました。

そうしたことから、仏教では邪気を払う象徴として神格化され、
「孔雀明王(くじゃくみょうおう)」という
孔雀の神様が誕生しました。

また、古代の中国では、
九徳(※)を生まれながらにして備えた瑞鳥として崇められ、
百花の王とされた牡丹とともに
広く工芸品などに意匠化されました。



上の写真の名古屋帯は、大正から昭和初期につくられた
丸帯からお仕立て替えしたものです。

華やかなでオリエンタルな孔雀の姿が、
美しい色彩で織りあらわされています。
一緒に意匠化された花は抽象的ですが、
やはり牡丹の花と思われます。

日本に中国から孔雀が伝えられたのは
奈良時代の頃です。
正倉院に残されている工芸品には、
孔雀をモチーフとしたものが多く残されています。

また、奈良時代に建設された西大寺(さいだいじ)には、
「孔雀明王(くじゃくみょうおう)」の彫像が
置かれていたようです。

孔雀の文様は、日本でも吉祥の文様として、
工芸品のモチーフとなり、
江戸時代の頃に着物や帯の意匠として
多く用いられるようになりました。

孔雀文様には、尾羽を広げて求愛する
雄の姿を意匠化したものが多いのですが、
中には孔雀の羽だけが散らされたものも見られます。

華麗な孔雀の文様は、
婚礼衣装など、お祝いごとの席にまとう着物や帯のほかにも、
舞台衣装のモチーフなどに用いられることも多いので、
年末年始のテレビなどで「孔雀」の姿を
見かける機会もあるでしょう。

さて、今年の「花邑の帯あそび」は、今日で最後になりました。
今年も一年、拙い文章にお付き合いただき、
ありがとうございました。
心より厚く御礼申し上げます。

来年も「帯のアトリエ 花邑 」ともども
どうぞよろしくお願い申し上げます。
良いお年をお迎えくださいませ。


※九徳とは、仏陀が備えた九つの徳とされ、以下の9つがあります。
1. 阿羅漢(あらかん)~一切の煩悩を滅し、神々、人間の尊敬、供養を受けるに値する者
2. 正自覚者(せいじかくじゃ)~完全な悟りを最初に開いて、その悟りへの道を他者に教えられる者
3. 明行具足者(みょうぎょうぐそくしゃ)~8種の智恵と15種の行「性格に関する徳」を備えた者
4. 善逝(ぜんせい)~正しく涅槃に到達し、善く修行を完成し、正しく善い言葉を語る者
5. 世間解(せけんげ)~宇宙、衆生、諸行という3つの世界を知りつくした者
6. 無上の調御丈夫(むじょうのじょうごじょうぶ)~人々を指導するにあたっては無上の能力を持つ者
7. 天人師(てんにんし)~人間および神々などの一切衆生の唯一の師
8. 覚者(かくじゃ)~真理に目覚めた者
9. 世尊(せそん)~すべての福徳を備えた者


※上の写真は花邑 銀座店にてご紹介している名古屋帯の文様です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は2011年1月11日(火)予定です。


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「象文様」について

2010-12-21 | 文様について

presented by hanamura


日ごとに寒さも増して、
いよいよ年末まであとわずかとなりましたね。
お子さまが冬休みともなれば
幼稚園や保育園への送り迎え、
学校へと送り出す日常とも
しばらくお別れという方も
なかにはいらっしゃるでしょう。

そういえば、先日あるテレビ番組で見たことなのですが、
学校の通学路を動物園の協力で動物園内に指定したところ、
子供たちが大喜び、みんな早起きして楽しく通学しているという
エピソードがありました。

最近でこそレッサーパンダなどの
小さな動物たちが注目されますが、
やはり動物園といえば、
象やキリンなどの大きな動物たちも
相変わらず人気があるようです。

毎回こちらのブログ「花邑の帯あそび」をご覧の方なら
もうお察しかもしれませんね。
はい、そのとおりです。
今日は、「象」をモチーフにした「象文様」について
お話ししましょう。

大きな身体にとても長ーい鼻と、
優しげな瞳をもつ象。
子どものときに覚えた
「♪ぞーうさん、ぞーうさん」というフレーズの
童謡でもおなじみで、
現代ではとても親しみのある動物です。

しかし、古来の人々にとって、
象はなかなか目にすることのできない、
たいへんめずらしい動物でした。
もちろん、現代でもそこかしこにいるような動物ではないので、
めずらしいといえばめずらしいのですけれども。

日本人が象の存在をはじめて知ることになったのは、
奈良時代といわれています。
インドを経て、中国から日本へともたらされた
陶器や彫像の意匠には、
象があらわされたものがいくつもあり、
それらは現在でも正倉院に納められています。

インドは、象の棲息地であったためか、
古くから象を祀ってきました。
象は世界を支えるものとされ、
象の頭をもつ「ガネーシャ」という神様が
古くから崇められてきました。

こういったインドの象信仰が
やがて仏教の伝来とともに中国に
もたらされたようです。

やがて、中国でも象は聖獣となり、
象が背中に宝瓶を載せている図は
「太平有象(たいへいゆうぞう」とよばれ、
幸せを招き寄せるとされました。

そうした象文様は、
仏教の信仰とともに伝えられたため、
日本においても吉祥文様となりました。

本物の象が、日本にはじめてやってきたのは、室町時代です。
時の将軍であった足利義持への献上品として
東南アジア方面の異国からもたらされたようです。
そののちにも豊臣秀吉、徳川家康など、
時の権力者への献上品となっていました。

徳川吉宗は象を自ら呼び寄せました。
その象は、長崎から東海道五十三次を通り、
京都に到って天皇と謁見したのち、
江戸にもたらされました。

この長い行脚により、象の存在は
瞬く間に庶民の間で評判となり、
日本中が象ブームとなったようです。

歌舞伎では「象引き」という
象を引っ張り合って力比べをするといった内容の
演目がありますが、
こちらも当時つくられたもののようです。

やがて、明治時代になると、
日本ではじめてつくられた動物園に象がよばれ、
動物園の人気者となりました。



上の写真は、象の文様が意匠化された
大正から昭和初期に作られた絹布から
お仕立て替えした名古屋帯です。
象といえば異国の動物という印象のためか、
エキゾチックな意匠になっていて、
現代見ても斬新です。

ちなみに先ほどお話した、
象の頭をもつ神様「ガネーシャ」が描かれている図では、
「象の鼻の“先”が下を向いていると縁起が良くない、
上を向いているものが縁起良い」
とされるそうです。

上の写真の象の鼻の先はどうでしょう。
安心しました。
ちゃんと上を向いていますね。
こちらの帯も縁起が良さそうです。
また、象の鼻をなでれば、
秘めた願いが叶うそうです。

※上の写真は花邑 銀座店にてご紹介している名古屋帯の文様です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は12月28日(火)予定です。


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「海老文様」について

2010-12-14 | 文様について

presented by hanamura


12月も半ばとなり、
冬本番の寒さとなってきました。

ここ東京では、紅葉していた木の葉が
いつの間にか地面に散り、
北風に舞っています。

まもなく年末年始ということで、
スーパーやデパートの食品売り場では、
クリスマス用のオードブルや
お正月用のおせち料理の豪華な
サンプル品がずらりと並び、
にぎやかです。

昨今では、共働きのご夫婦が増え、
少人数の家族が多いこともあり、
手間のかかるオードブルやおせち料理を
お店でご予約される方が多いようです。

その品揃えも豊富で、
三つ星の高級ホテルのものや
老舗の日本料理屋さんのもの、
洋風から中華までさまざまです。

オードブルやおせち料理に
欠かせない主役といえば、
やはり「海老」ですよね。
とくに大きな伊勢エビは、
お正月などのハレの席には欠かせません。

真っ赤に熱せられた海老が
どーんと入っていると見た目も華やかで、
とても豪華にみえます。

今日はその「海老」の文様についてお話ししましょう。



長い髭のような触角を頭につけ、
腰を丸めて「ぴょーん」と勢いよく飛び跳ねる海老は、
古くから腰が曲がっても元気な老人の姿に例えられ、
不老長寿をあらわすものとされてきました。

「海老」という名前も、
「海の翁(おきな)」「海の老人」
という意味合いからきているのです。

そのため、古来から、お祝いの席に並べられたり、
贈答品とされたりすることも多かったようです。

海老は「蝦」、「鰕」や「蛯」と書くこともありますが、
厳密にいうと、「蝦」、「鰕」は小さくて泳ぐ種類、
「蛯」と「海老」は大きくて歩く種類のエビを指します。
この漢字の種類の多さだけでも、
古くから海老が食材として重用されてきたことが
よくわかりますね。

ちなみに、「エビ」の語源は、
身体の色が葡萄(えび)の色に似ていることに由来しています。
現在では語源となった葡萄を「えび」ではなく、
「ぶどう」と発音していることを考えると、面白いですね。
現在でも日本の伝統的な色名では
「葡萄色」のことを「えびいろ」と発音します。

海老は、平安時代の文献にも
食材として登場します。
しかし、昔の人々にとって、
海老は一部の貴族や裕福な人々の間でのみ食される
特別なものでした。

室町時代には海老が文様として用いられはじめ、
吉祥文様として、家紋のモチーフとなりました。
武家社会では、硬い殻に覆われた海老の姿を
甲冑を身に付けた勇ましい武将の象徴としたようです。

その後、江戸時代になると歌舞伎の衣装や、
浴衣、陶器の文様などにも多く用いられ、
縁起を担ぐ意味合いから
大漁半纏のモチーフにもなりました。



上の写真の海老文様の名古屋帯は、
昭和初期頃につくられた絹布から
お仕立て替えしたものです。
勢いよく飛び跳ねた海老の様子がよくあらわされた
躍動感とおもしろみのある意匠です。

不老長寿の象徴とされてきた海老ですが、
最近の研究により、
実際にメタボリックシンドロームの予防などに
効果が高いことがわかってきました。

海老の殻に含まれている
「キチン」という不溶性食物繊維は
コレステロールの吸収を抑えたり、
免疫力を高めたりする効果があるのです。

さらに、身の部分には
強力な抗酸化作用の働きがあり、
がんの予防に良いとされる
「アスタキサンチン」も含まれています。

まさに「不老長寿」の象徴の
面目躍如といったところでしょうか。

年末年始のお食事では、
名実ともに縁起の良い海老をたっぷり食べて
新たな一年の活力としたいですね。

※上の写真は花邑 銀座店にてご紹介している名古屋帯の文様です。

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次回の更新は12月21日(火)予定です。


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「梟(ふくろう)文様」について

2010-12-07 | 文様について

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師走になり、今年も残すところ 1 か月を切りました。
街では、いたる所でクリスマスソングが流れ、
年末の街を賑やかに盛り上げています。

ただいま花邑 銀座店では「動物の帯展」を開催しています。
イベントの多い年末年始にお使いいただけるような
愛らしい動物をモチーフにした帯を数多く揃えて、
皆さまのご来店をお待ちしております。

今回は、その「動物の帯展」でご紹介している帯の中から、
縁起の良い「梟(ふくろう)」の文様について
お話ししましょう。

ムクムクとした羽根に包まれた大きな身体に
丸くてくりっとした大きな目。
梟は、その愛らしい姿から人々の間で親しまれています。
人の100倍も感度があるという目を持ち、
漆黒の闇の中でも活動するため、
世界各地で神秘的な鳥としても扱われてきました。

とくに古代のギリシャでは、
聖戦と芸術と知恵を司る女神アテナの使いとされ、
森の賢者として崇められてきました。
アイヌの人々にとっては、
古くから猟を守ってくれる神さまとされていました。

しかし、日本においては、
梟は時には不吉な鳥、
また時には吉祥の鳥ともなる
二面性をもつ動物でした。

梟について記された日本の書物のうち、
最も古いものは、天平時代に編纂された「日本書紀」です。
この時代では梟は吉祥の鳥とされていたようで、
このなかで梟の鳴き声は「吉兆」とされています。

しかし平安時代になると、
梟を闇の中を飛び回る不気味なものとしていたようで、
当時つくられた「源氏物語」には、
梟が気色の悪い鳥として登場します。

一方で室町時代には、
仏教において、梟が296(フクロウ)=2×9×6=108で
人間の108の煩悩を象徴する鳥であったことから、
その仏教観に基づき、
邪気を追い払う神秘的なものとされていました。

江戸時代には、翌日の天気によって、
梟の鳴き声が異なることから、
庶民の間では天気を予報する鳥ともいわれ、
親しまれていたようです。
梟が着物や帯の文様となったのもこの頃のようです。

現代ではネガティブなイメージはまったくなく、
「福郎」や「福来郎」、「不苦労」とも当て字され、
梟は縁起の良い動物としてとくに人気があります。
数々の置き物や人形を集めている
梟コレクターの方も多くいらっしゃり、
よくテレビなどでリポートされたりしていますね。



上の写真の和更紗は、大正時代につくられたものですが、
目が大きく、可愛らしい梟の姿が意匠化されています。
当時の日本は、西洋の文化が多くもたらされていたため、
意匠化された梟には、どこかメルヘンな趣きがあります。
こちらの梟も今年の煩悩や邪気を払って、
福をよんでくれる、
「福郎」君かもしれませんね。

※上の2枚目の写真は「動物の帯展」でご紹介している名古屋帯の文様です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は12月14日(火)予定です。


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