花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「橋文様」について

2011-10-27 | 文様について

presented by hanamura ginza


まもなく11月ですね。
気がつけば日が暮れるのもすっかり早くなり、
夕方に空を眺めると、
茜色に染まった空を眺めることができます。

この季節は、空気が澄んでいるため、
夕焼けが一層美しく感じられますね。
清少納言も「枕草子」の中で、
「秋は夕暮れ」と記しています。

この夕陽が美しく眺められる名所 100 か所が「夕陽百選」として
NPO 法人「日本列島夕陽と朝日の郷づくり協会」
という団体によって選定されているのですが、
そこでは日本全国 200 か所の候補のなかから
北海道から熊本県までの選りすぐりの夕陽の名所が
現在 68 か所ほど選ばれています。

そのなかには、海岸や丘などから眺める夕陽が多いのですが、
詩情が感じられる光景として人気があるのは、
橋から眺めた夕陽のようです。
橋から眺めるだけではなく、橋を背景にして眺める夕陽も
たいへん美しく、絵になるようです。

とくに熊本県松島町の「天草五橋」から眺められる
秋の夕陽が描く絶景は
ロマンに浸れるスポットとして評判です。

秋という季節も、夏と冬を結ぶ中間となる、
いわば「橋」のような役割りがありますね。

今日はその「橋」の文様についてお話ししましょう。

橋がはじめてつくられた時期は、
定かではありませんが、
紀元前何千年も前から、人々は丸太などを用いて、
橋によって隔てられた岸と岸を繋ぎ、行き来をしてきました。

向こう側とこちら側を結ぶ橋は、
こちらの世界とあちらの世界を結ぶ象徴として、
遠い昔から世界各地の神話に登場しています。

日本においても、古事記に「天の浮き橋」という橋が登場し、
この橋を通り、天に住む神々が
天と地を行き来したと記されています。

日本ではじめて建造物として橋が建築されたのは、
飛鳥時代の頃です。
京都の宇治川に架かる「宇治橋」は、
その時代のもので、
日本では最も古い橋のひとつとされています。

日本三大名橋のひとつといわれている
滋賀県の瀬田川の「瀬田の唐橋」もこの時代につくられました。
昔、この「瀬田の唐橋」は、
西と東を結ぶ橋とされ、
戦国時代には数々の決戦の重要な拠点となり、
「唐橋を制する者は天下を制する」ともいわれました。

橋はこのように、戦の要所ともなってきましたが、
その一方で、情感のある風物として
古くからさまざまな詩や絵、物語などに登場してきました。

「伊勢物語」や「源氏物語」などでは、
たとえば都と東国、現世と黄泉、男と女というような
「こちら」と「あちら」という二つの世界を隔てる象徴とされています。

室町時代になり、
庭園造りが盛んに行われるようになると、
庭園に流れる小川に、小さな橋が設置されるようになりました。
小川を渡るためという意味合いもありますが、
橋のある景色が風情のあるものとして、好まれたのです。

やがて、こういった橋のある風景は、
江戸時代の頃に着物や帯の意匠となりました。
当時、友禅染めの技術が開発され
意匠を写実的にあらわすことができるようになると、
茶屋辻や水辺の景色などを俯瞰図のように捉えた意匠が流行し、
そこには橋が多く描かれました。

また、旅行が一般的になり、
各地の名所が意匠化されるようになると、
瀬田の夕陽や五条大橋といった橋もモチーフとなりました。

意匠化された橋の形はさまざまで、
半径に反り返ったような太鼓橋や石造りの石橋、
伊勢物語に登場する八つ橋などがあります。
橋の意匠は、単体であらわされることはほとんどなく、
意匠の中では、奥行きをだすものとして用いられます。

江戸時代の頃、江戸は水の都とよばれたほど、
あちらこちらに川が流れていて、
橋の数も500近くもありました。
江戸に住む人々にとって、
橋は日常的な光景でもあったのです。

当時活躍した浮世絵師の歌川広重は、
「名所江戸百景」のなかで、
日本橋浜町から深川六間堀に架けられた大橋を題材に、
「大はしあたけの夕立」を描き、
その当時の人々の生活を情感豊かにあらわしています。

雨の中、橋を渡る人々の姿を巧みに描いたこの作品は、
海外でも高く評価され、オランダの画家ヴァン・ゴッホは、
この絵に大きな影響を受けたとされています。

このように、橋は人々の生活と文化ととくに結びつきが強く、
旅情、慕情、人情、さまざまな想いを
長い歴史のなかで内包してきたのです。

数ある夕陽の絶景のなかで
橋から眺めた夕陽がとくに人気が高いのは
寂寥感が漂う「夕陽」にくわえ、
心を揺さぶる「橋」との組み合わせが
万感迫る雰囲気を醸すからなのでしょう。





上の写真の名古屋帯は、おそらく江戸時代の浮世絵をモチーフにして、
旅する人々の姿をあらわしたものですが、
こちらにも橋が描かれていますね。
素材となったこちらの絹布は、もともと着物に用いられたもので、
状態の良い部分を選んでお仕立て直しをしました。

私も、大切に保管されてきた昔のものと
現代との橋渡しができたらと考え、
日々帯つくりに励んでいます。


上の写真の「里山に旅人文様名古屋帯」は花邑銀座店でご紹介している商品です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は11月2日(水)予定です。

帯のアトリエ 花邑-hanamura- 銀座店ホームページへ      ↓

「楓文様」について

2011-10-12 | 文様について

presented by hanamura ginza


10月も半ばを迎え、日中はまだまだ汗ばんでしまう日もありますが、
少しずつ朝晩の冷え込みも感じられるようになっています。

秋祭りが行われているところも多く、
虫の音とともに、遠くから祭囃子が聞こえる夜には、
秋の訪れがひときわ強く感じられます。

このあいだまで緑色だった木の葉も、少しずつ色づきはじめています。
北海道や東北では、すでに紅葉が見ごろの地域もあるようで、
これからの季節には、秋景色を眺めに遠出される方も多いことでしょう。

紅葉する木の葉には、楠(くすのき)、銀杏(いちょう)、
唐松(からまつ)など、さまざまな種類の樹木がありますが、
紅葉と聞いて思い浮かべるのは、やはり楓ですね。

この楓の中でも葉の切れ込みが深く、
きれいな形のものは「紅葉(もみじ)」ともよばれます。
世界の中でも日本は、
この紅葉(もみじ)が多く自生する国です。

着物や帯の意匠には、
紅葉(もみじ)=楓を文様として取り入れたものが、
数多くあります。

今日はその楓文様についてお話しましょう。

楓は、古来よりその色や形が愛でられてきましたが、
紅く染まった楓が紅葉の代表となったのは、
平安時代の頃です。

奈良時代の頃までは、
「こうよう」は黄葉とも書き、
こうようと言えば、黄色に染まった葉を指すことも多かったようです。
平安時代になり、「こうよう」が「紅葉」と書かれるようになり、
紅葉といえば、楓をあらわすようになりました。

平安時代以降につくられた衣装や調度品には、
秋をあらわすものとして、
楓を配したものが多く見受けられます。
当時つくられた絵巻物「信貴山縁起(しぎさんえんぎ)」には、
楓文様の服を着た庶民の姿があらわされています。

当時の人々にとって、
鮮やかに紅く染まり、枯れて散る紅葉は
これから冬に向かう季節の移り変わりを思わせ、
世の無常さを感じさせるものでもありました。

当時つくられた紅葉を題材とした歌や絵には、
そうした情感をあらわしたものが多く残されています。

「源氏物語」の第 7 帖である「紅葉賀(もみじのが)」では、
初恋の相手である藤壷の前で、
光源氏が紅葉の中で舞を舞う場面が登場します。
適わぬ恋を象徴する場面で、
散りゆく紅葉が効果的に描かれています。

鎌倉時代には、
当時つくられた小倉百人一首の歌のひとつ、
「おく山に紅葉ふみわけ鳴(なく)しかの 聲(こえ)きくときそ秋はかなしき」
という歌にちなんで、
楓と鹿と組み合わせた楓鹿(ふうろく)文様が登場します。

桃山時代以降になると、
屏風や着物、工芸品などに多くあらわされ、
楓は秋の代表的な図柄となりました。

江戸時代になると、さまざまな楓文様が考案されました。
紅葉する前の緑色の楓を意匠化した文様は、
初夏をあらわし、
古来より紅葉の名所として知られた
奈良斑鳩(いかるが)の竜田川の情景を意匠化し、
流水に楓を配した※「竜田川文様」は、
秋の景色を映しました。

また、楓と桜を組み合わせた、
「桜楓(おうふう)文様」という文様も
この時代に考案されました。
桜楓文様は、春の代表である桜と、
秋の代表である楓を組み合わせたもので、
季節が問われないモチーフとして重宝されました。



上の写真は、
昭和初期につくられた絹縮緬からお仕立て替えした名古屋帯です。
桜楓に菊を配した意匠は艶やかな色使いが美しく、
桜と楓、菊が幻想的にあらわされています。

江戸時代中期には、庶民の間でも旅行が人気となり、
「都名勝図会」と呼ばれる名所の案内本がつくられましたが、
当時、この「都名勝図会」において紅葉の名所とされた場所には、
たくさんの人が訪れたようです。

この「都名勝図会」と同じ版元が出版した、
小袖の見本帳「友禅雛形(ゆうぜんひいながた)」という本では、
こうした紅葉の名所を意匠化したものが紹介されました。
富裕層の女性たちは、紅葉の名所を意匠化した小袖を身にまとい、
各地の紅葉を眺めに出かけたようです。



上の写真は、現在でも紅葉の名所として人気の高い
清水寺を意匠化した和更紗の名古屋帯です。

清水寺を覆うような楓の葉は、
時代を経た布の深みのある風合いとあいまって、
枯れた美しさが感じられます。

清水寺をはじめとして、
京都には紅葉の名所が多くあります。
京都の紅葉の見頃は 11 月上旬から中旬ぐらいのようなので、
古の時代に人々が眺めた紅葉の情景に想いを馳せながら、
京都を散策するというのも、秋ならではの愉しみですね。

※上の写真の清水寺に楓文 和更紗 名古屋帯と、桜に菊と楓文様の名古屋帯は花邑銀座店でご紹介している商品です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は10月26日(水)予定です。(次週の10月19日(水)はお休みです。)

帯のアトリエ 花邑-hanamura- 銀座店ホームページへ

      ↓


「蘭文様」について

2011-10-05 | 文様について

presented by hanamura ginza


10 月になってから、日増しに秋が深まり、
肌寒さを感じる日も多くなってきました。

季節の変わり目で、
冷たい雨の日が降る日も多いのですが、
一方で天気の良い日には、
天高く鱗雲が広がり、
時折吹く秋風も良い心地です。

暑い夏から寒い冬へと移りゆく
この季節ならではの美しい情景は、
人々の心を捕らえ、
昔から俳句や絵などの題材に好んで用いられてきました。

秋といえば、野山の枯れたイメージが強いものですが、
秋を彩る草花は意外と数多く、季語としても多くあります。
たとえば、菊や桔梗、秋桜(コスモス)、紅葉(もみじ)、薄(すすき)
といったものが代表的でしょう。

ところで、蘭というといつの季節に咲く花でしょうか。
春に多く目にするような気もしますし、
秋に咲いているような印象もありますね。
もちろん品種によってまちまちで、
開花時期は一年中に渡ります。
しかし実は、蘭も秋の季語なのです。

そこで今日は、蘭の文様についてお話してみたいと思います。

蘭は、世界各地に生えている植物で、
その種類は 15,000 種もあり、
種子植物のなかで最も種類が多いとされています。

蘭というと、お花屋さんなどで鉢に入れられ、
観賞用に手入れがされた華麗な姿を想像する方も多いのではないでしょうか。
お花屋さんに並ぶ蘭は、
現在、そのほとんどが西洋を原産地としたものです。

しかし、日本にも野山などに300種の蘭が自生しています。
野山に咲いている蘭は、日本原産のものが多く、
西洋を原産地とする蘭に比べて清楚で控えめな姿をしています。

そのため、趣きの異なる西洋の蘭を「西洋蘭」とよび、
日本原産のものと中国原産の蘭をまとめて「東洋蘭」とよんで、
明確な区別がなされています。



上の写真は、蘭文様をろうけつ染めであらわした小紋のお着物です。
可憐で品の良い東洋蘭が意匠のモチーフとなっています。

伝統文様における蘭は、東洋蘭とされていて、
着物や帯の意匠としてもその東洋蘭をモチーフとしていることが
一般的には多いようです。

蘭は、昔から人々にその姿が愛でられ、
中国では、すでに10世紀の宋時代の頃には、
観賞用として栽培化がされていました。

中国では古来から、蘭が草木の中でも気品が高く、
君子のような風格をもつとされ、
梅、竹、菊とともに、四君子(しくんし)とよばれていました。

さらに中国では、この四君子にならって
当時の画家がモチーフとした蘭、菊、梅、蓮を四愛とよび、
吉祥の花として多くの工芸品や装飾に用いました。

そうした中国の影響を受けて、
日本でも平安時代の頃から
蘭を衣装の文様や絵のモチーフに用いていました。

当時は秋の七草のひとつとされた藤袴(ふじばかま)のことも
「蘭」とよんでいたようで、
そのことから蘭が秋の季語となったとされています。

ちなみに、春に咲く蘭は春蘭と呼ばれます。
吉祥文様の紗綾型(卍繋ぎ)の一部には、
この春蘭と菊を配したものがありますが、
とくにこれを本紋(本紗綾型)とよび、
格が高い文様として、現在でも訪問着などの地紋に用いています。
下の写真は、本紋が地紋として用いられている訪問着です。
紗綾型に春蘭と菊が配されると、華やかさが増しますね。



江戸時代の中頃には当時の将軍であった徳川家斉を筆頭に、
各地の大名など、時の権力者たちが競って蘭の栽培をはじめ、
江戸時代後期には庶民の間でも広く行われるようになりました。

一方、西洋では19世紀前半に蘭の栽培が広がりました。
とくに、イギリスでは蘭の栽培が貴族たちのステータスとして
人気を博しました。

こうした華麗な西洋の蘭は明治時代に入ってから日本にももたらされました。
そして、この西洋蘭が東洋蘭に取って代わり
着物や帯の意匠にも登場するようになったのです。

蘭は、このように昔から東西で栽培が盛んに行われ、
その美しさが競われてきましたが、
西洋蘭は、人工交配により新品種を生み出したものが多く、
東洋蘭は、人工交配をしたものではなく、
自然の中で自生した蘭の中から姿形の面白いものを選び、
育てられたものが多いようです。

蘭という花ひとつをとってみても、
無為自然の中に美意識を見出してきた日本人の精神性が
そこから窺えるのではないでしょうか。


※上の写真の蘭文様 ろうけつ染め 小紋と、綸子に桐文様の鹿の子絞り 訪問着は花邑銀座店でご紹介しているお着物です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は10月12日(水)予定です。

帯のアトリエ 花邑-hanamura- 銀座店ホームページへ