花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「木賊(とくさ)文様」について

2012-07-26 | 文様について

presented by hanamura ginza


まもなく 8 月ですね。
暦の上では大暑を迎え、1 年でもっとも暑さが厳しい時季となります。
今年の 7 月は例年に比べると、
涼しい日が多かったのですが、
ここ数日間は真夏日となる日が多く、
道を歩いていると、どこからともなく蝉の声が聞こえてきます。

蝉を筆頭にさまざまな生物が謳歌するこの時季は、
多くの植物も花を咲かせます。
この季節に咲く花といえば、ヒマワリやアサガオ、ハイビスカス、ユリ、
ナデシコなどの華やかな花を思い浮かべますが、
木陰でひっそりと咲く花も多いですね。

今日お話しする木賊も、
この時季になると一見すると咲いているのかも分からない、
小さな土筆のようなかわいい花を咲かせます。

木賊は、シダ植物の一種で、
その特徴といえば、地面から直立してすっと生えた細長い茎です。
茎にはくっきりとした節があり、
その姿は竹をとても細く、小さくしたように見えます。

生息地はおもに山間などの湿地帯ですが、
丈夫で長持ちするので、
人家の庭先などでも見ることができ、
なじみ深い植物といえるでしょう。

細長い木賊の茎には、微細な突起があり、
その突起がヤスリのような役目を果たすようで、
細工物を作る職人たちに重宝され、
細工物を磨く際に用いられることもあります。
また、以前は木賊で歯を磨くこともあったようです。
木賊の名前そのものも、
もともと「研ぐ草」とよばれたことに由来しています。
また、乾燥させた木賊は、
生薬として腸出血などを抑える薬にもなります。

このように、昔は木賊が生活の中で
さまざまに利用されていたようで、
この木賊を刈ることで生計をたてていた人もいました。

能謡では、室町時代に世阿弥が書いたとされる
「木賊」という名前の演目がありますが、
その物語の中には、我が子をさらわれた木賊刈りの老翁が
信濃の里でひとり木賊を刈っている場面が登場します。

まもなく終了する京の祇園祭では、
お囃子を奏でつつ市内を練り歩く
多様な山鉾の巡行が有名ですが、
その山鉾のひとつに、
その能謡の「木賊」を題材にしたものがあります。
山鉾の上に乗せられた御神体人形は右手に鎌を持ち、
左手に木賊を持った老翁の姿をあらわしたもので、
寂しげな表情が印象的な木彫りの老翁は、
桃山時代に仏師の手によりつくられたとされています。

昔は、木賊狩りが秋に行われていたようで、
木賊刈りといえば、秋をあらわすものとして、
俳句の季語にもなっています。
文様においても、同じく秋の風物詩をあらわす月に兎とともに、
この木賊をあらわしたものが多く見受けられます。



上の写真は、昭和初期頃につくられた藍染めの木綿地からお仕立て替えした名古屋帯です。
たて縞に草の文様が型染めであらわされています。
シンプルながら和の風情が漂う意匠ですが、
草の文様をよく眺めると、節のようなものが見受けられます。
おそらくこの草文様は、木賊をあらわしたものかと思われます。
すっと伸びた佇まいからは、
華やかな花にはない詫び錆びが感じられますね。

眩しい夏の光を避けて木陰にいくと、
背筋をのばしてひっそりと花を咲かせた木賊の姿を
みかけることができるかもしれません。

上の写真の「縦縞に草文 型染め 名古屋帯」は、花邑銀座店でご紹介している商品です。

花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 8 月 8 日(木)予定です。

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「紅型展」に行って来ました。

2012-07-19 | 「紅型展」に行って来ました。

presented by hanamura ginza


早いもので、7月も半ばを過ぎました。
東京では梅雨明け宣言が出され、
太陽が照りつける暑い日が続いています。

ただいま、神社やお寺などでは、
朝顔市やほおずき市などが開催されていて、
この季節ならではの風物詩を楽しみに、
大勢の人々が訪れているようです。

この季節に咲く花々は、
夏の陽射しの下で眺めると、
より美しく見えるものですね。

日本の最南端に位置する沖縄で咲く
ブーケンビリアやハイビスカスなどの花々も、
沖縄の青く澄んだ空の下でみると、
夏の光を乱反射するような美しさが感じられます。

その沖縄の伝統的な染色品といえば
「紅型」が最も有名ですね。
紅型の持つ豊かな色彩は、
沖縄に咲く極彩色の花々を
写し取ったようにも思えるほどです。

その紅型のうち、古美術品と称されるほどに
永きに渡って収蔵、保管されてきた逸品の数々が
ただいま、乃木坂にあるサントリー美術館にて
「紅型展」として展示されています。

梅雨明け間近の真夏日となった先週、
その紅型展へ足を運びました。

今回の紅型展では、
おもに18世紀から19世紀に琉球王朝で実際に用いられた
尚家伝来のものが多数展示され、
その中には、今年で復帰40年となる沖縄を記念して
80年ぶりに一般公開された貴重な紅型もあります。

「紅型展」には若い人からご年配の方まで、
多くの人たちが訪れていて、
紅型の人気の高さが窺えました。

その展示会場に入り、
まず圧倒されたのは、
紅型ならではの鮮やな色彩じたいはもちろんのこと、
素朴で大胆なタッチであらわされていながらも
その配色美には緻密な計算が窺えます。

型紙や染め付けの作業に見られる丹念な手仕事は、
鮮やかで、おおらかな意匠に優美な趣きをもたらし、
思わず見入ってしまうような
美しさが感じられました。

会場に展示された紅型の多くは、
琉球王朝の貴族たちが使用したものです。
こうした紅型は当時の琉球王朝が
手厚く庇護した選りすぐりの職人が作りあげたもので、
一般の庶民には身につけることができませんでした。

染料には、沖縄で自生している福木や琉球藍などの他にも、
中国から輸入した高級染料の石黄などが用いられ、
型紙には、日本で作られた伊勢の型紙が使用されているなど、
たいへん手が込んでいます。

意匠のモチーフには、鶴や松、梅など、
沖縄には存在しない日本の草木や動物が多く登場し、
能装束のような見栄えがして格式が高いものが多いのも特徴です。

当時つくられた紅型を見ると、
日本や中国、インドネシアなどの
さまざまな国の文化をたくみに取り入れた
琉球王朝の高い技術力と、豊かな文化が感じられます。

このような紅型を沖縄の青い空の下で
身にまとった貴族たちの出で立ちは、
ブーゲンビリアやハイビスカスのように
とても華やかなものだったことでしょう。

紅型は、明治時代に廃藩置県が行われ、
王朝が解体されるとともに衰退していき、
多くの紅型職人たちも職をなくしてしまいます。

しかし、昭和初期に沖縄の高等女学校に赴任した鎌倉芳太郎氏が
紅型のすばらしさに驚嘆し、紅型の技法を調べあげ、
資料に書き記しました。
東京に戻った鎌倉氏はその資料によって
紅型とともにその文化を育んだ沖縄の生活様式などを
東京の知識人に広めることに成功し、
多くの人々が沖縄に対して興味を抱くようになりました。

鎌倉氏の著した資料は、
現在ではたいへん貴重なものとなっているようです。
ちなみに、今回の紅型展には
鎌倉氏が収集した多くの型紙も展示されています。

鎌倉氏の資料の影響もあって、
紅型はその後も多くの作家に影響を与え、
同じく紅型に魅了された人間国宝の芹沢けいすけ氏は、
紅型の技法にヒントを得て型絵染という技法を生み出しました。

また、紅型で用いられた意匠を模倣したものも、
多く作られるようになりました。

下の写真は、昭和中期頃につくられた綿紅梅のお着物から
お仕立て替えした名古屋帯です。
やさしい色使いで
紅型の図柄があらわされています。



また、東京や京都で紅型の技法を取り入れてつくられた型染めもあり、
こうした紅型は江戸紅型や京紅型とよばれています。

「多彩で華やかな夢のような美しさ」
と評された紅型の魅力が感じられる
「紅型展」は7月22日(日)まで
開催されています。

暑いこの季節だからこそ
なおのこと南国の沖縄で生まれた紅型の魅力が
心深く堪能できそうです。

上の写真の「水辺文様 綿紅梅 名古屋帯 」は、花邑銀座店でご紹介している商品です。

花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 7 月 26 日(木)予定です。

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「虫籠文様」について

2012-07-05 | 文様について


presented by hanamura ginza


まもなく七夕ですね。
先日、九州では豪雨にみまわれ、
東京でも不安定な天候がつづいていますが、
七夕の夜には、晴れて天の川がみれると良いですね。

梅雨明けは今月の中旬から下旬となるところが多いようなので、
もう少し梅雨は続くようですが、
気温は少しずつ上がり、
晴れた日には、真夏を思わせる暑さになっています。

先日、夜道を歩いていると、
ジージーと鳴いている小さな虫の声が、
どこからともなく聞こえてきました。
雨上がりの肌寒い夜でしたが、
その虫の声は夏本番が間もなくやってくることを感じさせるものでした。

季節の移ろいを感じさせるものには、
さまざまなものがありますが、
虫の声も、そのなかのひとつですね。

日本人は、カエルの鳴き声やセミの声で夏の到来を
スズムシやコオロギの声で秋の訪れを
ごくあたりまえのように感じてきました。
しかし、こうした感性は世界中ではめずらしく、
日本や中国などの東アジアにかぎってのようです。

とくに日本人は、言語をつかさどる左脳で
虫の声を聞いているとのことで、
童謡の『虫のこえ』にあるような、
さまざまな虫の声の違いを聞き分ける感覚は、
日本人ならではのようです。

虫の声を楽しむという文化が、
いつ発生したのかは定かではありませんが、
奈良時代に編纂された『万葉集』には、
虫の声を詠んだ歌が多数見受けられ、
すでにこの時期には日本人の感性にあったようです。

平安時代には、
野山で捕らえた虫を庭に放して声を楽しむ「野放ち」や
野山に赴き、虫の鳴き声を楽しむ「虫聞き」も盛んでした。

また、虫の声を屋外で聞くだけではなく、
スズムシやコオロギを捕らえて、
装飾が施された虫籠に入れ、
屋内でその音色を楽しむ「虫あそび」も
貴族たちのあいだで流行しました。

こうした情景は、
『源氏物語』や『枕草子』にも
書きあらわされています。

江戸時代になると、
平安時代の貴族たちの間でおこなわれていた「虫あそび」が
庶民の間にも広まったことで、
さまざまな虫を売る「虫売り」も登場しました。
「虫売り」は、虫だけではなく、
さまざまな種類の虫籠も売り歩いていました。

そのような虫籠には、竹でつくられた素朴なものから
蒔絵を施した豪奢なものまで、
いろいろな素材、形状のものがあったようです。

虫籠は文様化もされ、
当時つくられた小袖や帷子などの意匠に配され、
それによって夏の風情があらわされました。



上の写真の名古屋帯は昭和初期頃につくられた
絽の小紋からお仕立て替えしたものです。
扇型の虫籠と団扇を配した意匠からは、
この季節ならではの和の情緒が感じられますね。

虫売りの光景は、
昭和の初期ごろまで多く見られたようですが、
戦後はカブトムシやクワガタなどの昆虫が人気となったこともあり、
しだいにその数が減っていきました。

ちなみに、日本の文化に造詣が深かった明治時代の文学者、
ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲は、
虫の声を愛でるという日本の文化にいたく感銘し、
「虫の音楽家」というエッセーを書いています。

その中には、当時の縁日で店を広げていた虫売りの様子や、
虫売りが登場した過程、
虫の声を詠んだ和歌などが記されていて、
虫の声を聞くという慣習を通して
日本文化の美しさが独特の観点で紹介されています。


花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 7 月 19 日(木)予定です。

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