花邑の帯あそび
1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…
 




presented by hanamura ginza


はやいもので、まもなく 10 月ですね。
気がつけば、空気もだいぶひんやりとして、
日に日に秋が深まっているのが感じられます。
青空の下、道を歩くのも快適な季節になりましたね。

これからの季節には、紅葉などを眺めに遠出をするのも良いのですが、
家の近所を歩いていても、
秋の気配を随所に感じることができ、楽しいものです。

お庭やベランダなどに四季折々の植物を植えられているお家も多く、
庭に植えられた柿の実が色づいてきたなとか、
こっちの家では、コスモスがきれいだなとか、
目を楽しませてくれます。

こうした家庭で楽しめる園芸は、
盆栽ブームやガーデニングブームなどもあり、
最近では、品種改良された植物や外国の植物など、
はじめて見るようなものも多く出回っていますね。

家庭での園芸が、日本ではじめられたのは平安時代の頃です。
当時の貴族たちは、自分の庭に梅や椿、桜などを植えて、鑑賞しました。
やがて江戸時代になると、こうした園芸は庶民にも広まり、
大流行となりました。

とくに、椿は二代将軍の徳川秀忠が好んだことから、
品種改良が進み、100 品種もが誕生しました。
品種改良の技術は、世界の中でもトップレベルで、
園芸は武士のたしなみとしても人気が広がりました。

その中でも、当時人気を博したのは、
ヤブコウジ科の「十両」、「百両」、「万両」、
また、センリョウ科の「千両」とよばれる植物です。

これらの植物は、実の数や葉の形は異なるものの、
どれも緑色の葉に小さな実をつけ、
秋から冬にかけてその実が赤く熟します。
この赤い実は、古来よりお正月の縁起物とされ、
お正月飾りなどにも用いられてきました。

「十両」、「百両」、「千両」、「万両」は、
一見すると特徴が似ているため、
単体でみると見分けがつにくいのですが、
並べてみると、その違いは一目瞭然です。
その中でも、一番実の数が少なく、小ぶりなものは「十両」で、
こちらは「ヤブコウジ」とよばれることがあります。

次に大きなものは「百両」で、
こちらは古来には「カラタチバナ」とも呼ばれていました。
江戸時代の頃、この「カラタチバナ」が百両以上で販売されていたことから、
「百両金」とも呼ばれていたようです。
この「百両」より大きく、
実が葉の上に付いているものは「千両」と呼ばれています。
そして、「万両」は一番大きく、
葉の下にたくさんの実をたわわに実らせています。

これらの植物は、江戸時代になると品種改良が進み、
葉の形や色などが異なるさまざまな種類が誕生し、
その流行は明治時代のころまでつづきました。




上の写真は
昭和初期ごろにつくられた銘仙絣からお仕立て替えした名古屋帯です。
抽象的ではありますが、
葉の形や、実の付き方から、
おそらく万両をあらわしたもののようです。

「万両」のように、江戸時代に品種改良がされた品種は
その他にもカエデやフクジュソウなどがあり、
これらは「古典園芸植物」ともよばれ、
現在でもよく見かけることができます。

冬に近づくと、お家の玄関や庭先で緑色の葉の陰から
ちらりとのぞく赤い実がみえることがあり、
そのかわいらしさに思わず立ち止まってしまうことがあります。
こうした愛らしい姿をみると、
昔の人々がこれらの植物に「千両」「万両」という縁起の良い名前をつけて、
愛でていた気持ちがよくわかります。

上の写真の「横縞に植物文様 絣織り 名古屋帯 」は 花邑 銀座店でご紹介中の商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 10 月 10 日(木)予定です。
帯のアトリエ 花邑-hanamura- 銀座店ホームページへ
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presented by hanamura ginza


9 月もまもなく半ばということで、
吹く風がようやく涼しくなってきました。

朝晩には、肌寒さを感じる日も多く、
道を歩いていても、
大きくなった栗の実や、柿の実、
風に揺れるススキの穂などの
「小さな秋」を見つける機会が増えました。

暑い夏が終わり、秋を迎えるこの時期は、
ほっとする気持ちとともに、
生命力溢れる季節が去っていく
寂しさも感じられます。

昔から、秋を詠んだ詩や俳句は多いのですが、
この季節は「もののあはれ」という観念を、
とくに感じさせるのでしょう。

日が暮れて、コオロギや鈴虫などの鳴き声が響きはじめると、
妙にしんみりとした気持ちになってしまうのは、
こうした観念を受け継いでいるからなのかもしれませんね。

さて、現在では鳴き声で秋を感じるものといえば、
虫の音が思い浮かびますが、
古来は野山から聞こえる鹿の声や、
野辺にいる鶉の鳴き声からも、秋の気配を感じていました。

鶉は近年ではあまりみかけられなくなってしまいましたが、
昔は、多くの家で飼われ、親しまれてきた鳥のようで、
秋の季語にも用いられています。

今日は、この「鶉(うずら)」についてお話ししましょう。

鶉は、尾が短く、身体がまるいキジ科の一種です。
日本では、多くの鶉が夏季には東北や北海道で棲息し、
秋から冬にかけて関西や九州などに移動し、冬を越すとされています。

古来より世界各地で棲息し、紀元前 3000 年ごろのエジプトの遺跡には、
網を使って鶉を捕獲している様子が彫刻で刻まれています。
また、象形文字にも鶉が用いられていたようです。

日本においても、鶉は古くから親しみ深い鳥のひとつで、
万葉集にも鶉を詠んだ詩がいくつか見受けられます。

秋に渡来し、草原や、稲田などの平地に群れをなして棲む鶉は、
秋の情景をあらわすものとされ、
「鶉鳴く」は、「古りにし里」にかかる枕詞として、
用いられていました。

そのため、鶉をモチーフとした意匠では、
穂が実った粟や、菊の花などの秋の植物と
組み合わせてあらわされたものが多くあります。

鶉は室町時代のころから武家や大名のあいだで、
飼われはじめたようです。
かわいらしい姿はもちろんのこと、
その鳴き声が「御吉兆(ゴキッチョー)」と聞こえることから、
たいへん縁起が良い鳥とされ、
戦国時代には出陣前の縁起担ぎに用いられたようです。

江戸時代の頃には、
鶉の飼育が庶民の間にも流行し、
鶉籠(うずらかご)とよばれる鶉を入れる籠も多くつくられ、
金細工が施された凝ったものまで登場しました。

また、武家を中心に、
鶉の鳴き声を競う「鶉合わせ」も流行しました。

当時、鶉は鳴き声だけではなく、
姿かたちの良いものは高額で取引されていました。
時には賄賂としても用いられたようで、
鶉の飼育は、大正時代頃まで盛んに行われていたようです。



上の写真の名古屋帯は、大正~昭和初期ごろにつくられた絹縮緬から
お仕立て替えしたものです。
野辺にひっそりと咲いたような小菊とともに、鶉の絵図があらわされています。
シンプルながら空間性が感じられる意匠で、
秋の風情とともに、鶉の愛らしさが感じられます。

「夕されば 野辺の秋風身にしみて うづら鳴くなり ふか草の里」藤原俊成

※上の写真の名古屋帯は 9 月 13 日(金)に
花邑 銀座店でご紹介予定の商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 9 月 26 日(木)予定です。
帯のアトリエ 花邑-hanamura- 銀座店ホームページへ
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