花邑の帯あそび
1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…
 




presented by hanamura


8 月も終わり、季節は夏から秋へと移っていきます。
台風が近づいているせいで、
不安定な天気の日が続いていますが、
晴れた日の夜には、
虫の声が聞こえてくることもありますね。

花邑銀座店では、これからの季節の装いに向けて、
毎年ご好評いただいている
「更紗の帯展」を 9 月 1 日から開催します。

18 世紀のインドでつくられた希少な印度更紗や、
江戸時代後期~現代ものの和更紗やヨーロッパ更紗など、
洒脱なお色柄の更紗を厳選してお仕立てしました。

花邑銀座店のウェブショップでも
9 月 1 日に新着の秋冬のお着物と合わせて
全商品をご紹介します。
ロマンの香り漂う更紗布の魅力が、
少しでもお伝えできれば幸いに存じます。

そこで今日は、「更紗の帯展」にちなみ、
更紗の発祥地であるインドでつくられている
印度更紗についてお話ししましょう。

「更紗」というと、広義では
文様があらわされた木綿布を指します。

インドではすでに紀元前 3000 年頃には綿花が栽培されていて、
更紗の素材となる綿織物がつくられていました。
この綿織物に手書きでさまざまな意匠を染めたものが
当初の更紗です。

やがて、染色技術が進むにつれ、
インド茜などを染料とした鮮やかな色彩の更紗が誕生します。

インダス文明の古代都市であるモヘンジョ・ダロの遺跡では、
紀元前 2000 年前の地層から、
茜染めの木綿布が発掘されています。

印度更紗独自の茜色は、
インドで自生するインド茜を染料として、
媒染剤に用いられるみょうばんに
鉄分を混ぜ、染め上げられます。

この茜色に染められた更紗は、
紀元後まもなくには地中海広域にも伝えられました。
当時、その色の美しさは女性の持つ
崇高な美しさに例えられたようです。

また、インドではこの茜色が神聖な色とされ、
お祝い事の席などに茜色の更紗が用いられました。

7世紀には、防染による染色方法が考案され、
木版をつかった型染めや
カラムと呼ばれる鉄や竹のペンを用いて
蝋染めを施した更紗がつくられるようになりました。

ちなみに、印度更紗のこの技法は、
現在でもさほど変わらず、継承されているようです。

染色技術が発明され、使用されるのに従い、
印度ではさまざまな更紗がつくられるようになります。

広大な土地をもつ印度では、
さまざまな民族が移り住み、
その地域により信仰する宗教も異なりました。
そのため、更紗もその地域の宗教色が強く反映された
柄行きのものがつくられました。

イスラム教の影響を受けた北部では、
ペルシャ調の流麗な文様があらわされた更紗がつくられ、
ヒンドゥー教の影響を受けた南部では、
ヒンドゥー教の神々や人物、動植物があらわされた更紗がつくられました。

やがて16世紀になると、南部を除くインド全域を支配したムガル王朝が誕生します。
このムガル王朝は染織や工芸品に重きを置いて
職人を手厚く保護したため、
インドの染織技術は最高の水準に達しました。
また、ムガル王朝はイスラム教を信仰したため、
イスラム文化の影響を受けたペルシャ調の華麗な更紗が多くつくられ、
最高級のものは、王や貴族などが使用しました。

大航海時代になると、こうした最高級の更紗が
インドから世界各地にもたらされました。



上の写真は 18 世紀にインドでつくられた希少な鬼手の印度更紗です。
古来より人々を魅了してきた茜色の深い色合いが美しく、
木版染めによる素朴な花文様が可愛らしさを添えています。

次回はさまざまな国にもたらされた印度更紗のお話しです。


上の写真の印度更紗は「更紗の帯展」でご紹介している
お染名古屋帯です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は9月7日(水)予定です。

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お盆が過ぎて、暑さも一段落したようで、
秋の訪れを思わせるような
涼しい日が多くなりました。

八百屋さんやスーパーなどに並べられている果物も、
西瓜やメロンといった夏の味覚から、
葡萄や梨のような秋の味覚へと衣替えされ、
季節の移ろいを感じさせてくれます。
秋は、さまざまな果物や穀物が収穫を迎える季節ですね。

そこで今日は、豊かな実りをあらわす「葡萄文様」について
お話ししましょう。

葡萄は世界各地で栽培されている果物で、
その品種は 10,000 種以上もあります。
葡萄の歴史はたいへん古く、
紀元前 4,000~3,000 年も昔から栽培がされていました。

葡萄からつくられるワインも同様に歴史が古く、
紀元前 4,000 年のメソポタミア遺跡では、
ワインを入れる壺の封印が発掘されています。

葡萄の発祥地は、
現在のロシアのカフカース地方から地中海沿岸といわれ、
そこから古代エジプトや古代ギリシャに伝えられたようです。

古代エジプトや古代ギリシャにおいて、
葡萄は豊饒と祝祭を意味し、聖なる果物とされました。

古代エジプトの壁画には、葡萄が栽培されている様子が描かれ、
古代ギリシャの壁画にも、葡萄の蔦を唐草のように意匠化した葡萄唐草文様が見られます。
そのいずれも神殿などにあらわされ、聖なる果物の文様とされていたようです。

紀元前4世紀には、
古代ギリシャのアレクサンドロス大王の東方遠征により、
ヘレニズム文化が古代ペルシャにもたらされ、
やがて、葡萄唐草文様は仏教美術と結びつき、
1 世紀~5 世紀にはガンダーラの仏教彫刻に
その文様があらわされるようになります。

その後、仏教が中国に伝えられると、
仏教美術とともに、葡萄唐草文様も中国にもたらされ、
5 世紀末には葡萄唐草が刻まれた仏像がつくられるようになりました。

中国では、実を多く付ける葡萄が
子孫繁栄を象徴する吉祥文様とされました。
ちなみに「葡萄」という名前は、
古代ペルシャで葡萄が「ブーダウ」とよばれていたことに由来しています。
中国語でも漢字で「葡萄」と書かれ、発音も日本語とほぼ同じです。

日本に葡萄文様が伝えられたのは奈良時代の頃です。
当時、中国では鏡の装飾に葡萄唐草文様が多く用いられ、
奈良の正倉院にもそうした鏡が残されています。

西方からもたらされた葡萄唐草文様は、
異国の文様として珍重され、
日本の仏教美術においても豊饒をあらわす吉祥文様とされました。
しかし、平安時代になると、
国風文化が盛んになり、
葡萄文様は、見られなくなりましたが、
一方で、この頃に葡萄自体の栽培が、
甲州地方ではじめられました。

葡萄の文様が再び見られるようになったのは
室町時代の頃です。
室町時代から江戸時代にかけてつくられた、
蒔絵や陶磁器、能装束などには葡萄唐草文様のほかに、
葡萄とリスを組み合わせた葡萄栗鼠(ぶどうりす)文様があらわされるようになりました。
この葡萄栗鼠文様は、
日本独自の文様として西欧で人気が高く、
南蛮貿易の品にも多くあらわされました。

やがて、明治時代の文明開化とともに、
西欧の文化が広められると、
葡萄文様は異国をあらわす「フルーツ」の文様として
着物や帯などに意匠化され、人気を博すようになりました。



上の写真の袋帯は、焼箔により
葡萄唐草を織り出したしたものです。
銀糸を焼くことで錆びた色となる焼箔であらわされた葡萄唐草文様は、
古の昔に遠い異国からシルクロードを経てもたらされた
葡萄唐草文様の深遠なロマンと瀟洒な趣きを現在に伝えているようです。

花邑 銀座店では、9月1日から「更紗の帯展」を開催します。
こちらも悠久のロマンが感じられるお品が数多く取り揃えております。
秋冬のお着物も多数ご紹介いたしますので、
お時間がありましたら、ご覧ください。

※写真は花邑 銀座店にてご紹介している袋帯です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は8月31日(水)予定です。

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初秋を迎えたのにもかからわず、
夜になっても蝉の声が聞こえてくる
蒸し暑い日が続いています。

この時期、東京ではいたるところで盆踊りが催されているため、
団扇を手にした浴衣姿の人たちを多く見かけます。

浴衣や団扇などに用いられる文様は、
流行を取り入れた華やかなものが多いのですが、
定番の伝統文様も変わらずに好まれているようです。
今日は、その伝統文様の中でも人気の高い
「麻の葉文様」について、お話しましょう。

麻の葉文様は、
「麻」=大麻の葉を意匠化したものです。
六角形を基礎とした幾何学的な文様は、
現在見てもモダンで、
普段お着物をお召しにならない人たちにも人気があります。
着物や帯以外にも手ぬぐいや、バックなどの意匠にもなっていますね。

下の写真の大島紬は、一元(ひともと)絣で
麻の葉文様が織りあらわされたものです。
幾何学的な文様が泥染めの深い茶色の地に美しく映えています。



麻の葉文様の素材となった麻は、世界各地で自生する植物で、
古来では、食べ物や衣類をつくるための大切な原料として
欠かすことができないものでした。
そのため、古くから麻の栽培がされていました。

日本でもすでに紀元前には麻が栽培されていて、
『魏志倭人伝』にその記述が見られます。

古来の日本では、絹はたいへん高価なもので、
また、木綿は戦国時代まで栽培されていなかったため、
衣類や紐、袋などの原料にはすべて麻が用いられました。
麻は生活を支える植物として、
神聖なものとされていたのです。

そのような古来の名残りは現在でも見ることができ、
神社の鈴縄(すずなわ)や注連縄(しめなわ)、
相撲の際に横綱が締める注連縄など、
神事に用いられる神聖な縄は麻を素材としています。

麻は、4月頃に種が蒔かれるとすくすく伸びて成長し、
7月中旬~8月中旬のお盆のころには刈り取られます。

万葉集には、麻を詠んだ作品が多く残されていますが、
その中で、「夏麻引く(なつそびく)」という言い回しがあります。
「夏麻引く」とは、麻を刈り取るという意味で、
夏の青空の下で緑色の麻が刈り取られる清々しい情景を想像させ、
現代でも夏の季語となっています。

このように、麻は常に人々の身近にあって親しまれていたため、
平安時代の頃には文様化されました。
当時つくられた仏像の装飾には、
麻の葉文様があらわされています。

また、鎌倉~室町時代には、
刺繍で仏像や仏教的主題をあらわした繍仏(しゅうぶつ)
に麻の葉文様が配されています。

神聖なものとされていた麻と同様に、
麻の葉文様じたいにも邪気を祓う力があるとされ、
麻の葉文様は魔除けの文様とされていました。

昔の子供の産着などに
麻の葉文様が多くあらわされているのもこのためです。
悪いものから子供を守るとともに、
麻のようにまっすぐ、すくすくと育つようにとの願いが
込められているのです。

ちなみに、忍者の子供が麻の種を蒔き、
一日一日育っていく麻を毎日飛び越えることで
跳躍力を身につけていたというお話は
耳にされたことがある方も多いでしょう。
この逸話もすくすくと伸びる麻の特性をよくあらわしています。

江戸時代には、歌舞伎役者の岩井半四郎などが
舞台で麻の葉文様の衣装を身に着けたことで、
麻の葉文様が庶民の間にも広まり、大流行しました。
また、鹿の子絞りの麻の葉文様と黒繻子を組み合わせた昼夜帯は、
町娘役の衣装の文様として用いられていたため、
麻の葉文様は若い娘たちにもたいへん人気がありました。

当時活躍した浮世絵師の歌川国貞が描いた美人画には、
麻の葉絞りの襦袢を着た遊女の姿もあらわされています。

このように昔から人気の高い麻の葉文様には、
多くのバリエーションがあり、
そのことからも麻の葉文様の人気の高さがうかがえます。

七宝繋ぎにも見える輪違い麻の葉、
麻の葉を松皮菱(まつかわびし)と組み合わせた松皮麻の葉、
網代文様と組み合わせた網代麻の葉
麻の葉の中心がねじれた捻じ麻の葉、
麻の葉の所々が抜けている破れ麻の葉など、
多くの変化形があり、
麻の葉がベースでありながらも
それぞれが独創的な意匠でおもしろみがあります。

このようなバリエーションの多さは、
麻の葉文様の人気もさることながら
麻の葉文様じたいが幾何学的な形であり、
さまざまに変形しやすいことも要因なのでしょう。

※写真は花邑 銀座店にてご紹介しているお着物です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は8月24日(水)予定です。

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梅雨が明けたと思えば、もう8月ですね。
本来ならば夏本番で、暑さがもっとも厳しい時期ですが、
今年は涼しく過ごしやすい日が多いですね。

とても暑かった昨年の夏を思い返したり、
節電対策のことを考えると涼しい夏は
ありがたくもありますね。
しかしその一方で、秋に収穫を迎える農作物の
収穫や出来はどうなのかも気になるところです。

とくに、稲作にとって夏は、
茎の中から穂が出る「出穂(しゅっすい)」とよばれる
とても重要な時季で、
この時季の気候によって
収穫量や質が大きく変わってしまいます。

お米を主食としている日本人にとって、
この時期になると、お米の出来や収穫は、
現在でも、関心事のひとつです。

着物や帯の意匠には稲を文様化したものもあり、
出穂の時期から稲が収穫される時期までの
季節をあらわす装いとなっています。

今日は、その稲文様についてお話ししましょう。

古来の日本では、
稲は大切な食料としてだけではなく、
富の象徴や宝として崇められ、
稲には、神が宿ると信じられていました。

「日本書紀」や「古事記」には、
「稲霊(いなだま)」や「倉稲魂(うかのみたま)」、
「豊受媛神(とようけびめのかみ)」、といった
田の神が登場し、それらの神様を祀っていた様子が記されています。

日本にある神社も、稲と深い結びつきがあります。

三重県の伊勢神宮では 1400 年ほど前から 11 月 23 日に
新嘗祭(にいなめさい)という祭祀が行われていますが、
この祭礼は、五穀豊穣に感謝し、
収穫した稲穂を天照大神に捧げるものです。

また、全国に分祀されている稲荷神社には稲荷神が祀られていますが、
稲荷神は、もともと穀物と農業の神さまとされていて、
京都府伏見の稲荷神社の「束稲〈たばね〉」をはじめ、
稲荷神社の神紋には稲文様があらわされています。

和歌山県をはじめとした熊野神社に奉仕する神官や氏子の家紋にも、
稲文様が使用されました。

このように稲の文様は、古来より家紋や神紋に多く用いられましたが、
染織品に用いられることは少なかったようです。

江戸時代には、稲文様があらわされた小袖や能装束も
つくられるようになりました

稲の文様には、束ねた稲をあらわした「稲束文」、
「稲の丸文」、稲の穂が波打つ様を図案化した「稲波文」などがあります。

水田と大地は女性、
種まきと水やりは男性を象徴していて、
稲文様は五穀豊穣の他にも、
夫婦円満や子孫繁栄の文様としても扱われています。

ちなみに、日本と同じようにお米を主食としている東南アジアでは、
お米は天界に住む男女の神の子どもとされているので、
地域に隔たりがあっても、神の恵としてのお米の大切さは
ほとんど変わりがないようです。



上の写真の洒落袋帯は、稲に実が入りはじめたころの稲穂の様を
麻地にろうけつ染めであらわしたものです。
このような稲穂を意匠化したものは、
実はたいへんめずらしく、貴重と言えます。
稲がたわわに実った情景を描写しているものは比較的多く見られますが、
いままさに実りはじめた稲穂をモチーフとしている部分には
作家の相当のこだわりが感じられます。

実が少なくこれから実ろうとする稲穂だからこそ
太陽に向かって真っすぐに伸びることができるのですね。
まだまだ伸びしろが多く、
実りのある未来に向かって育つ稲穂には
子どもたちの希望のある将来が重なり、
日本や東南アジアの習わしに
「そういうことなんだ!」と
思わずポンと膝を打ってしまいます。

※写真は花邑 銀座店にてご紹介している名古屋帯です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は8月17日(水)予定です。

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