花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「鶉(うずら)文様」について

2013-09-12 | 文様について

presented by hanamura ginza


9 月もまもなく半ばということで、
吹く風がようやく涼しくなってきました。

朝晩には、肌寒さを感じる日も多く、
道を歩いていても、
大きくなった栗の実や、柿の実、
風に揺れるススキの穂などの
「小さな秋」を見つける機会が増えました。

暑い夏が終わり、秋を迎えるこの時期は、
ほっとする気持ちとともに、
生命力溢れる季節が去っていく
寂しさも感じられます。

昔から、秋を詠んだ詩や俳句は多いのですが、
この季節は「もののあはれ」という観念を、
とくに感じさせるのでしょう。

日が暮れて、コオロギや鈴虫などの鳴き声が響きはじめると、
妙にしんみりとした気持ちになってしまうのは、
こうした観念を受け継いでいるからなのかもしれませんね。

さて、現在では鳴き声で秋を感じるものといえば、
虫の音が思い浮かびますが、
古来は野山から聞こえる鹿の声や、
野辺にいる鶉の鳴き声からも、秋の気配を感じていました。

鶉は近年ではあまりみかけられなくなってしまいましたが、
昔は、多くの家で飼われ、親しまれてきた鳥のようで、
秋の季語にも用いられています。

今日は、この「鶉(うずら)」についてお話ししましょう。

鶉は、尾が短く、身体がまるいキジ科の一種です。
日本では、多くの鶉が夏季には東北や北海道で棲息し、
秋から冬にかけて関西や九州などに移動し、冬を越すとされています。

古来より世界各地で棲息し、紀元前 3000 年ごろのエジプトの遺跡には、
網を使って鶉を捕獲している様子が彫刻で刻まれています。
また、象形文字にも鶉が用いられていたようです。

日本においても、鶉は古くから親しみ深い鳥のひとつで、
万葉集にも鶉を詠んだ詩がいくつか見受けられます。

秋に渡来し、草原や、稲田などの平地に群れをなして棲む鶉は、
秋の情景をあらわすものとされ、
「鶉鳴く」は、「古りにし里」にかかる枕詞として、
用いられていました。

そのため、鶉をモチーフとした意匠では、
穂が実った粟や、菊の花などの秋の植物と
組み合わせてあらわされたものが多くあります。

鶉は室町時代のころから武家や大名のあいだで、
飼われはじめたようです。
かわいらしい姿はもちろんのこと、
その鳴き声が「御吉兆(ゴキッチョー)」と聞こえることから、
たいへん縁起が良い鳥とされ、
戦国時代には出陣前の縁起担ぎに用いられたようです。

江戸時代の頃には、
鶉の飼育が庶民の間にも流行し、
鶉籠(うずらかご)とよばれる鶉を入れる籠も多くつくられ、
金細工が施された凝ったものまで登場しました。

また、武家を中心に、
鶉の鳴き声を競う「鶉合わせ」も流行しました。

当時、鶉は鳴き声だけではなく、
姿かたちの良いものは高額で取引されていました。
時には賄賂としても用いられたようで、
鶉の飼育は、大正時代頃まで盛んに行われていたようです。



上の写真の名古屋帯は、大正~昭和初期ごろにつくられた絹縮緬から
お仕立て替えしたものです。
野辺にひっそりと咲いたような小菊とともに、鶉の絵図があらわされています。
シンプルながら空間性が感じられる意匠で、
秋の風情とともに、鶉の愛らしさが感じられます。

「夕されば 野辺の秋風身にしみて うづら鳴くなり ふか草の里」藤原俊成

※上の写真の名古屋帯は 9 月 13 日(金)に
花邑 銀座店でご紹介予定の商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 9 月 26 日(木)予定です。
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