花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「霞文様」について

2012-01-26 | 文様について

presented by hanamura ginza


いよいよ大寒ですね。
暦に合わせるように、
先週は東京都内でも初雪が観測されました。

暦の上では、この大寒が過ぎると立春となり、
厳しい寒さが少しずつ和らいできます。
寒さの峠を越えれば、春ももうすぐそこまでなのですね。

寒い季節の中で、
暖かな春を待つ人々の気持ちは、
今も昔も変わりません。
しかし、空調の効いた現代よりも厳しい寒さに対峙して
農耕生活をしていた昔の人々にとっては、
厳寒の冬は生死にかかわり、
春への思いも現在より切実なものだったことでしょう。

そのため、自然のわずかな変化から
敏感に春の兆しを感じ取り、それを励みにして
寒い冬を乗り越えていたのでしょう。

春の兆しが感じられる自然現象といえば、
花の開花や雲、太陽の光などさまざまにありますが、
その中のひとつに、「霞(かすみ)」があります。

お着物の意匠のなかでも霞は多く文様化されています。

今日はその「霞文様」について、
お話ししましょう。

霞とは、地表や水面の近くで、
水蒸気が固まって水滴となり、浮遊したもので、
湿気を含んだ暖かな空気が、冷たい地面などに冷やされることで発生します。
そのため、春が近づき空気が暖かくなると、
山裾などで霞がたなびいている様がみられます。

霧も霞も、同じ理由で起こる自然現象ですが、
平安時代に、春に見られるものを「霞」、
秋に見られるものを「霧」と区別してよぶようになりました。

平安時代の頃につくられた歌の中には、
霞を見て春の到来を喜んだものを多くみることができます。

また、当時つくられた「源氏物語絵巻」などの
「大和絵(やまとえ)」のなかにも霞は描かれ、
春の景色をあらわすこと以外にも、
過去と現在をへだてたり、
遠近感をだす効果のために用いられました。

平安時代のお着物の意匠にも霞は用いられていますが、
当時の霞文様は、ぼんやりとした様子をそのままあらわしたものだったようです。

鎌倉時代になると、
霞は文様化が進み、輪郭がしっかりとつけられたものが登場しました。

楕円形で横に長くあらわされた霞文様や、
片仮名の「エ」という文字のようにあらわされた
「エ霞(えかすみ)」などの霞文様が考案され、
能装束などに用いられました。

また、このころの霞は春をあらわす文様としてだけではなく、
抽象的に空間性や遠近感をあらわす文様としても使われ、
四季を通して用いられるようになりました。

江戸時代には、霞文様のなかに吉祥文様が配された意匠のお着物もつくられ、
お祝いごとの席に使用されるようになりました。

ちなみに俳句の季語では
「霞」といえばもちろん「春」をあらわします。
「霞」という言葉のみであらわすときもありますが、
1 月~2 月中旬ぐらいのまだまだ寒さが厳しい時季に見られる霞は「冬霞」、
3月上旬~4月中旬ぐらいの寒さがだいぶ緩んできた時期に見られる霞は
「春霞」と区別してよびます。



上の写真の名古屋帯は、
明治時代の帯地からお仕立てしたものです。
冬霞のはざまに、梅がのぞいていますね。
空を飛ぶ鳥は、春の兆しをいちはやく感じて喜んでいるようです。

それにしても、本来はかたちのない自然現象を文様化した感性は、
やはり日本独自のものといえるでしょう。
それほど、霞に対しての感じ入るものがあったのではないでしょうか。
この意匠を眺めていると、春を思うことで冬を乗り越えてきた人々の
心持ちが伝わってくるようです。

「冬きたりなば春遠からじ」なのですね。

上の写真の「冬霞に梅と鳥の図 名古屋帯」は花邑銀座店でご紹介している商品です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は2月2日(木)予定です。

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「雪文様」について

2012-01-18 | 文様について

presented by hanamura ginza


大寒が近づき、1年で一番寒い時季となりました。
ここ東京でも、氷のような風の冷たさに、
身を震わせるような寒い日が続いています。

北国では雪が大量に積もり、
札幌では、まもなく雪祭りが開催されます。

東京都内では、まだ初雪は観測されていませんが、
先週の土日には、有楽町駅の前にある広場に、
本物の雪を用いて、大きなかまくらが作られていました。
そのかまくらは、秋田県で積もった雪を運んで作られたもののようです。
明りが灯されたかまくらは、たいへん幻想的で、
寒さのために家路を急ぐ人々も、
しばし足を止め、その景色を眺めていました。

雪と聞くと、寒い、冷たいというイメージもありますが、
真っ白な雪に覆われた雪景色を眺めると、
幽玄で神秘的な美しさも感じられます。

遠い昔の人々も、雪を畏怖しながらも
その美しさに惹きつけられ、雪を崇めてきました。

今日は、この雪をモチーフにした文様について、
お話ししましょう。

平安時代、雪は豊年の前兆とされていました。
初雪が降った日には、多くの臣下が朝廷を訪れ、
天皇から贈り物を賜ったようです。

また、当時の貴族たちは、
雪の鑑賞も楽しみ、
雪景色の様子を和歌などにも詠んで、
その美しさを称えました。

雪が意匠のモチーフとして文様化されたのは、
室町時代の頃です。

笹や柳、松などに降り積もった雪の様子を意匠化した
「雪持文様(ゆきもちもんよう)」が考案され、
雪を被った枝葉の名前と合わせて、
「雪持笹」「雪持柳」「雪持松」などとよばれました。

この雪持文様は、雪景色の情感をあらわす文様として、
当時つくられた能装束の意匠に多く登場します。

江戸時代には、
雪景色の美しさはもちろんのこと、
雪の結晶の美しさも注目され、
「雪輪文様」とよばれる文様が考案されました。

雪輪文様は、雪の結晶の六角形の輪郭を花びらに見立て、
円形にあらわしたものです。
優美でかわいらしい雪輪文様は大流行し、
雪輪の中に四季折々の草花を配した文様や、
雪輪の輪郭を抽象的に用いたものなど、
さまざまな雪輪文様が生まれました。

柄行きによっては冬以外に、
春夏秋にも楽しめるものもあり、
夏の着物(帷子)には、
暑い夏に涼をもたらす文様として用いられました。



上の写真の名古屋帯は、
昭和初期につくられた帯をお仕立て直ししたものですが、
雪輪の中に、手描き染めで梅に桔梗、萩があらわされ、
秋冬とお召しいただける柄行きになっています。

江戸時代の後期になると、
はじめて顕微鏡を用いて、雪の結晶が細かく観察されました。
雪の結晶のかたちは、人々を魅了し、
微細にあらわした結晶のかたちを集めた
「雪華(せっか)図説」という書物も出版されました。

この本に紹介されたさまざまな雪の結晶の姿も、
すぐに文様のモチーフとなり、
雪華文様とよばれ、雪輪文様とともに、
たいへんな人気となったようです。

雪をモチーフとした文様は、
現代でもたいへん高い人気がありますね。
四季折々の美しい自然の景色をあらわした
「雪月花(せつげつか、せつげっか)」という言葉に残されているように、
雪は、古来より日本人の美意識を揺さぶってきました。
しんしんと心に染み入る美しさが雪にはあるのでしょう。

「山寺や雪の底なる鐘の声」小林一茶


※上の写真の雪輪に草花文 手描き染め 名古屋帯は1月20日(金)に、
花邑銀座店でご紹介予定の商品です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は1月26日(木)予定です。

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「紅梅色(こうばいいろ)」について

2012-01-11 | 和の伝統色について

presented by hanamura ginza


新年はじめてのブログになります。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

まだまだ真冬の寒さが続きますが、
暦の上では初春を迎えました。
つい最近まで、お正月の華やかな飾りに彩られていた街も、
春らしい、やさしげな色を取り入れた飾りへと衣替えしています。

不思議なもので、街を歩いていても、
淡い春色の装いが目にとまるようになってきました。

春夏秋冬と、四季折々の変化に富む日本では、
古代より四季の移ろいを敏感に感じとり、
衣服などにそういった四季をあらわす工夫をしてきました。

その中でも、和の装いであるお着物は、
もっとも四季が反映されたものといえるでしょう。
日本では、四季の風物はもちろんのこと、
自然が織りなす色彩をも着物に写し取り、
身にまとってきました。

こうしたお着物の意匠に用いられる色には、
日本独自のものがあり、「和の伝統色」とよばれています。

伝統色には、身近にある草木や生き物などからとられた名前が付けられ、
名前を聞くだけでも、日本ならではの繊細な美意識に触れるようです。

今日は、その伝統色のうちのひとつである
春らしくやさしい色目の「紅梅色(こうばいいろ)」についてお話しましょう。

紅梅色とは、文字通り紅梅の花弁の色に似た色で、
わずかに紫色を含んだ紅色のことを指します。
染色では、この紅梅色を出すために
まず淡い藍色で染めたあとに、
紅花の色素を用いて紅色に染めます。

紅梅色という名前がつく色は
「濃紅梅色(こきこうばいいろ)」「中紅梅色(なかこうばいいろ)」「淡紅梅色(うすこうばいいろ)」
の 3 つがあり、紅色の濃さによって区別します。

名前の由来となった梅は、古来より親しまれてきました。
日本には奈良時代より前に中国からもたらされ、
当時の貴族たちは、競うように自分の屋敷の庭に植えて
その姿形を愛でました。

また梅はほかの花よりも先駆けて咲くことから吉祥の花ともよばれ、
とても縁起の良いものともされていました。
そのため紅梅色は、平安時代の貴族たちにとって、
たいへん人気の高い色でした。

とくに濃紅梅色は当時「今様色(いまよういろ)」ともよばれましたが、
この「今様」とは「今」「流行」という意味合いで、
つまり濃紅梅色=流行色だったということがわかります。

「源氏物語」や「枕草子」などの当時あらわされた物語には、
紅梅色がたびたび登場し、平安時代の雅な文化をあらわす色ともなっています。

「淡紅梅色(うすこうばいいろ)」は、
清少納言が枕草子で中宮さまの差し出した手の美しさを、
淡紅梅色のようだと称えています。



上の写真のお着物は、薄紅梅色に染められた紬地に
異国風の草花があらわされたお着物です。
やさしく、清楚な女性らしい色合いに
草花の意匠が品の良い華やかさを添えています。

清少納言は紅梅色について、
女性が身にまとう表の着物の色として薦めていますが、
その一方、見飽きする色だとも記しています。
当時の紅梅色の人気が窺えますね。

紅梅色は、早春(12月~2月)の着物の色とされています。
春を告げるように咲く梅の美しい色合いを身にまとい、
新春の慶びをあらわしたいものですね。

※上の写真の淡紅梅色地に花文様の染め紬 袷は花邑銀座店でご紹介している商品です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は1月19日(木)予定です。

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