花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「雷さま」について

2010-04-27 | 文様について

presented by hanamura


もう少しでゴールデンウィークですね。
ご旅行などを予定されていらっしゃる方も多いでしょう。

雨が多いこの頃ですが、
せっかくの休みの日ですから
すかっと晴れてほしいですね。

現代の都会的な生活の中では、
雨は敬遠されがちです。
しかし、この季節に降る「春雨」は、
お米などの穀物にとって恵みの雨でもあります。

農耕生活が長く続いた
日本では昔、農作物の出来を左右する雨は、
大切な自然からの贈り物でもありました。

そのためか、日本の民間信仰には、
お天気を司る神様を祀ったものが多くみられます。

今日は、お天気の神様の中でも、
人々に親しまれている「雷さま」について
お話ししましょう。

「ごろごろ」という低い地鳴りを響かせて
稲妻を放つ雷。
稲妻に当たると人間はもちろん、
建物までも破壊されてしまいます。

雷は、昔から「地震、雷、火事、オヤジ」と言われてきたように、
自然災害の中でも怖いものの代名詞でもあります。

科学技術が進んだ現代では、
雷のメカニズムの解明が進み、
雷に当たらないような対策も立てられいます。

しかし科学技術が進んでいなかった昔は、
雷は大変恐れられていたことでしょう。

一方で、雷は穀物にとって欠かせない
雨の予兆ともされていました。
もともと雷には「神鳴り」という意味合いがあるように、
雷は神様が鳴らす畏怖すべきものとされ、
雷さまは「雷神」ともよばれました。

しかし、有名な俵屋宗達の風神雷神図の雷神のように、
絵や文様に表される雷神は、
どこか愛嬌があります。

本来ならば、怖いはずの雷さまですが、
日本の民俗信仰では、
何故かとても愛嬌たっぷりに描かれている
場合が多いようです。



上の写真の雷さま文様の帯は、
愛嬌たっぷりの雷さまを意匠化したもので、
現在銀座花邑にて展示中です。
ご来店のお客さま皆さま一様に
「かわいらしいわねぇ」
「素敵ねぇ」
などとおっしゃいます。

帯地になった絹布は、
大正時代につくられたものです。

ちなみに、当時人気を博した「大津絵」という風刺画には、
雷さまが、落としてしまった太鼓を雲の上から釣り上げている
ユーモラスな姿が描かれています。

ゴールデンウィークが終わると、
いよいよ季節は夏へ近づきます。
雷さまが空の上で太鼓を鳴らすことも多くなるでしょう。
くれぐれもおへそを出さずに、
気をつけたいですね。

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次回の更新は移転工事のため5月11日(火)予定です。


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「薔薇(ばら)文様」について

2010-04-20 | 文様について

presented by hanamura


ようやく暖かくなったと思ったら、
また寒くなってしまう不安定な日々が続いています。

近年では今年ほど、
春の到来を待ちわびている年はないでしょう。

この季節に咲く花たちや、
その花の蜜を吸う鳥や虫たちも、
春の訪れをじっと待っているようです。

春を謳歌するように咲く
色彩豊かな花たちの姿は、
昔から人々を魅了してきました。

そうした花々は文様のモチーフとしても
数多く登場します。

今日は、その花の中でも
最もポピュラーな花といってもよい
薔薇(ばら)の文様についてお話ししましょう。

薔薇は結婚式や誕生日などの祝い事に
贈られる花として最も人気があり、
現在では誰もが知っている花ですね。

その華麗な姿は、
古代から人々を魅了してきました。
古代のギリシャでは
薔薇は「花の女王」とされ、
ギリシャ神話の中では
愛と美の女神ヴィーナスに捧げられたりもします。
また、クレオパトラはとても薔薇を愛し、
寝室には薔薇の花びらを散りばめていたようです。

このように「薔薇」というと、
西洋の花というイメージが強いのですが、
原産地は現在の中国とミャンマーなどの中近東です。
そこから、世界各国に伝えられました。

薔薇は日本にも古くから伝わり、
平安時代に編纂された「万葉集」や「古今和歌集」にも
詠まれています。

また、日本は昔から薔薇が多く自生する国でもあります。

しかし、昔は梅や桜のように
文様のモチーフとなることは
少なかったようです。

侘び寂びを好み、潔さを尊しとした
武士の社会が長く続いた日本では、
華麗で豪華な薔薇は、
敬遠されたのかもしれません。

しかし、明治維新を迎え、
西洋の文化が日本に多く伝えられるようになると、
日本でも薔薇が多く栽培されるようになりました。
そして、着物や帯の意匠として
文様化されました。



上の写真の薔薇文様の名古屋帯は、
大正~昭和初期頃につくられた着物をお仕立て替えしたものです。
当時作成された薔薇文様の中では、シックな色合いと意匠で作られています。

大正時代には、
西洋文化への憧れや浸透とともに
華やかな「大正ロマン」が流行し、
薔薇文様は西洋を象徴する花としてたいへん人気を博しました。

この時代につくられた薔薇文様の着物や帯には、
鮮烈で斬新な意匠のものが多くみられます。

日本において、
薔薇の華麗な姿は春を告げるとともに、
新しい時代の到来をも告げる象徴となったようです。

※写真の名古屋帯は花邑銀座店にて取り扱っています。

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次回の更新は4月27日(火)予定です。


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「茶屋辻文様」について

2010-04-13 | 文様について

presented by hanamura


雨や曇りの日が多く、すっきりとしない日が多いです。
まだ寒かったり、異様に暑かったりという
くり返しが続くようですね。
それでも晴れた日にはうれしくなって、
足取りも軽やかになり、
ついつい寄り道をしてしまいます。

よく見ると道端にはたんぽぽが
春を謳歌するように咲き並んでいて、
この季節を鮮やかに彩っています。

この時期は、美しい自然とふれ合うために、
ちょっと足をのばしてという方も
多いのではないでしょうか。

日本の伝統文様には、
美しい自然と豊かな四季を題材にしたものが
数多くあります。

今日はその中から「茶屋辻文様」について
お話ししましよう。

茶屋辻文様といっても、
ピンとはこない方が多いと思います。

茶屋辻文様とは、
涼やかな水辺の風景を意匠化した文様です。
その風景に配されるのは、
流水に、楼閣、
そして四季折々の草花などです。

貴族の庭園を思わせるような、
典雅な風景は、
空から眺めたように意匠化され、
見るものの心を魅了します。



上の写真の茶屋辻文様の着物には、
流水と楼閣、四季の草花文様に小鳥も配されています。

こうした風景文様の原型が考案されたのは、
江戸時代の始めごろです。

当初は、裕福な町民たちが着用した、
帷子(かたびら)とよばれる
夏の麻着物にこうした風景文様が、
「浸染め(ひたしぞめ)」により
白地に藍色であらわされていました。

「浸染め」は、「絞り染め」の一種で、
文様部分を糸や紐などで括り、
布を染液に浸す染色方法です。

その後元禄時代に
徳川家の御用達商人であった
「茶屋四朗次郎」によって
文様の際に糊を置いて染色する
「糊防染」の技法が発明され、
より精細な文様表現ができるようになり、
風景もより細かにあらわされるようになりました。
そして、この技法は「茶屋染」とよばれ、
人気を博しました。



上の写真の茶屋辻文様の名古屋帯も、
白地に染められていて、涼やかです。

当時、帷子は
「辻」ともよばれていました。

つまり、茶屋辻文様の茶屋辻というよび名は、
「茶屋染めの辻」ということに由来するのです。
後に茶屋染めの技法は、
友禅染めを誕生させます。

江戸時代の中ごろになると、
友禅染めの技法は広く知られるようになり、
色鮮やかな着物が数多くつくられました。
それによって町民の間では、
色数の少ない茶屋染めの着物の人気は
しだいに低迷していきます。

一方、武家の婦人たちの間では、
華美な友禅染めに対して、
渋く粋な茶屋染めの意匠が好まれたようで、
町民の間での人気に反して、
大奥での夏の衣服として重用されるようにもなりました。

茶屋染めが大奥で用いられるようになると
その意匠である茶屋辻文様は、
さらに微細にあらわされるようになり、
その美しさが競われました。

やがて、江戸時代が終わると、
茶屋辻文様は、大奥で重用されたことから
「格調のある文様」として
庶民たちの間にも広まっていきました。

そしてその文様は「茶屋辻文様」とよばれ、
麻の着物だけではなく、
絹の着物の意匠にも用いられるようになったのです。

自然が織り成す美の姿を捉えた茶屋辻文様には、
今も昔も変わらない自然を楽しみ、
愛しむ気持ちがあらわされているのです。

※写真の着物と名古屋帯は花邑銀座店にて取り扱っています。

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次回の更新は4月20日(火)予定です。


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「矢文様」について

2010-04-06 | 文様について

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暖かくなったり、
寒くなったりと安定しない日々が続いています。

ここ東京では、桜がやっと満開なりましたが、
雨の日が多く早くも散りはじめてしまっています。
しかし、桜の花は散る姿も美しいですね。
桜吹雪が舞う下を通り過ぎるときは、
とても気分が良いものです。

気が付くともう4月。
5月5日の端午の節句を迎えるために
早くも鯉のぼりをあげるお家も見かけます。
家の中に五月人形を飾る方もいるでしょう。

五月人形を飾るのは、
子供の健やかな成長を願い、
禍から守るためですね。

五月人形はもともと、
古代の武士たちが身の安全を願い、
神社に兜や鎧を奉納したことが始まりです。

五月人形に欠かせない
兜、鎧、刀、矢などの装飾品は、
武士にとっても欠かせなかった武具です。

これらの武具は、武士の精神を表すものとして、
実用性はもちろんのこと、
大変凝ったつくりのものが数多くあり、
現代では芸術品としても扱われ、
日本だけではなく、世界中にコレクターがいます。

着物や帯の意匠の中心となる文様にも、
そうした武具を意匠化したものが数多くあります。

今日はその中から、
矢文様についてお話ししましょう。

いわゆる「矢」という道具が
使われはじめたのは縄文時代の頃ですが、
「矢文様」の意匠に用いられる「矢」は、
長い棒の端に鷲や鷹の羽がついたものです。



上の写真の和更紗は、
兜や刀、矢などの武具を意匠化したものです。

「矢」は、古代から本来の目的の武具として用いられたほか、
家の鬼を祓う魔よけ(破魔天(はまや))として、
新年には家内安全を願って飾られました。

文様においても
縁起ものとしての意味を持つものが多いようです。
的に当たった矢の文様は
「的矢(まとや)」と呼ばれ、
「当たる」ということから、
商店の看板や家紋などにも用いられています。

また、現在でも人気の高い矢絣文様も
縁起物としての意味合いがあります。

矢絣文様は矢羽の形を連続的にあしらったものですが、
その文様が絣によってあらわされていたため、
そうよばれるようになりました。
もともとは弓の弦に接する矢の一方の末端部分を
「矢筈」とよんでいたことから、
「矢筈文様」とよばれていたようです。

ちなみに現在では小紋などの
「染め」で表されたものも、
「矢絣」とよんでいます。

「射た矢は戻ってこない」ということで
江戸時代ではこの矢絣文様の着物を
嫁ぐ娘に持たせたりしていたようです。

また、明治時代~大正時代には
矢絣があらわされたお召しと袴の組み合わせが
当時の女学生の間でファッションとして大流行したりもしました。

現在でも矢絣の着物は大学の卒業式のときに
着られたりしていますね。

もともと戦いの道具であった「矢」が
女学生の間でファッションアイテムとして
人気を博すことになるとは、
たいへん興味深いように感じられますが、
昨今の女子高生たちの間で、
武将や時代劇がブームということもあるので、
女性の深層心理のなかにも
武具や武人にロマンを感じる何かがあるのかもしれませんね。

どちらの時代も女性の自立と社会進出が目覚ましくなってきた感がある時期で、
それが時代の空気にも少なからずあらわれたのではないでしょうか。
そう考えてみると、文様というのはたいへん奥深いものだと
あらためて感じてしまいますね。

※写真の名古屋帯は花邑銀座店にて取り扱っています。

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次回の更新は4月13日(火)予定です。


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