花邑の帯あそび
1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…
 




presented by hanamura


晴れたり雨が降ったり、
すっきりとしない天気が続いていますが、
雨が降るたびに気温が下がり、
秋が深まっていくようです。

さて、花邑では9月1日から「更紗の帯展」を開催しています。

この企画展にちなんで
こちらのブログ「花邑の帯あそび」では、
和更紗の文様についてお話しをしてきました。(※1)

和更紗の文様は、
製作された時代の影響を色濃く受けながら、
さまざまな特徴を持ち、変化してきました。

江戸時代の異国への憧憬が表現されたような文様、
明治時代の古い文化と新しい文化が融合した文様、
大正時代の文様は、細かで洗練された柄行きが粋な文様でした。

今回は、続けて大正時代後期から昭和初期頃の
文様についてお話しします。
第一次世界大戦が終わって好景気に沸いた後のこの時期は
第二次世界大戦の予兆も見えはじめますが、
科学技術が飛躍的に発展し、
新しいものが続々と発明され、
社会全体に活気が満ちあふれた時代です。

東京では日本初の地下鉄が走るようになり、
テレビやラジオなども世に出ました。
また、自動車も多く製造されるようになり、
自家用車を購入する人も徐々に増えていきました。

いままで見たこともない新しい技術や製品に、
当時の人々は驚きと興奮を覚えたことでしょう。
その驚きをあらわすように、
この時期につくられた和更紗には、
電車、自動車、テレビなどをモチーフにしたものが
数多く登場します。

一方、それまで和更紗の文様に用いられる文字というと、
和歌を詠んだ「かな文字」や「漢字」が多かったのですが、
この時期の和更紗には「カタカナ」が多く見られるようになります。

これは、当時の教科書や新聞に「カタカナ」が
多用されていた
ということもありますが、「カタカナ」を通して、
それまでとは異なる時代のニュアンスが
微妙に表現されているのでしょう。

外国人の方には「日本語=カタカナ=近未来SF=クール!」
と感じるという方も多いといいますね。



上の写真は、日本のおとぎ話を意匠化した和更紗です。
うさぎが手を添えているものは小舟です。
小舟の後尾には「タヌキ」と書かれていますね。
皆さんおわかりの通り、
おとぎ話の「カチカチ山」をモチーフにした意匠のようです。

たぬきの絵を意匠化するのではなく、
カタカナで「タヌキ」と書いて、
柄のアクセントにしている点がおもしろいですね。

この時代の和更紗には、
上の和更紗のような、日本の伝統文様を土台としながらも
新しい時代の文化を大胆に取り入れた、
たいへん変わっているものが増えてきます。
思わず微笑んでしまうようなものも
数多くありますね。

そこには、明治時代の和更紗にも見られるような
新しい時代への希望とともに、
まさに日本が西欧化、近代化をさらに深めていくうえでの
変革への意識といったものが潜在的に具象化されている気がします。

※写真の和更紗は「更紗の帯展」にて取り扱っています。

(※1)2009年8月25日更新のブログ「和更紗の文様について」を参照してください。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は9月22日(火)予定です。


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まだまだ残暑が続いていますが、
朝晩はだいぶ涼しくなりましたね。
夜には虫の音が聞こえてくるようになり、
秋の風情を感じさせてくれます。

花邑ではこの秋に向け、
ただいま「更紗の帯展」を開催しています。
今回もこれにちなみ、
「和更紗」の文様についてお話ししましょう。

前回までは、江戸から明治時代までの文様についてお話ししました。(※1)
異国への憧憬を感じる自由でのびやかな江戸時代の文様と
古い文化と新しい文化を融合した明治時代の文様をご紹介しました。

今回は大正時代の文様についてのお話しをしましょう。

大正時代は、第一次世界大戦が日本の勝利に終わったこともあり、
日本中が好景気に沸き、
西欧の文化がさまざまな形で日本へと流れ込んできた時代です。

街には着物にブーツを合わせた「ハイカラ」な装いの若者が増え、
東京・銀座では「モガ」や「モゴ」という
西欧風の装いをした若者が闊歩するようになりました。

また、着物の装いでは「大正ロマン」とよばれる、
華麗で大胆な色柄のものが人気になりました。

しかし、それらの華々しい文化に反して、
この時代の和更紗の文様には、
渋い色柄のものが多くつくられるようになりました。
細かく、淡々と連続された文様はまるで江戸小紋のようで、
色使いも派手ではなく、とてもシックなものが数多く見られます。



上の写真は、斜め横段に伝統文様が配された和更紗です。
ある種無機的な文様の連続ですが
宝尽くし、鱗文など、何種類もの文様が染められていて、
作り手の遊び心を感じさせてくれます。

こちらのほかにも、大正時代の和更紗には
花柄や星柄、ひょうたん柄など、
さまざまなものをモチーフにしたものがあります。

こうした細かな文様を型に彫り、
文様と文様をずれがないように繋ぎながら染め上げるためには
やはり江戸小紋などと同様に
高い技術と習熟度が必要になります。

同時代ながら大正ロマンのような華々しさはないものの、
洒落心と技を感じさせてくれる大正時代の和更紗は
粋で洗練された和更紗なのです。

※写真の和更紗は「更紗の帯展」にて取り扱っています。

(※1)2009年8月25日更新のブログ「和更紗の文様について」を参照してください。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は9月15日(火)予定です。


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台風が過ぎて、ここ東京では青空が広がりました。
まだもう少し暑い日は続くようですが、
空にはうっすらとうろこ雲が浮かんでいました。

今日から9月。
少しずつですが、確実に秋は近づいてきています。

現在花邑銀座店では、9月1日(火)から9月22日(火)まで、
これから訪れる季節に向けて「更紗の帯展」を開催しています。

その企画展にちなみ、前回に引き続き(※1)、
「和更紗」ついてお話しましょう。
今回は和更紗の「文様」についてです。

前回お話したように、
江戸時代につくられた和更紗の文様は、
異国からもたらされた更紗に影響を受け、
草花を意匠化したものが多くつくられました。
しかしそれは、長きに渡る鎖国政策によって、
異国の文化に接する機会が少なかった日本の職人たちが
その想像力で意匠化した“空想上”の文様でした。

その和更紗の文様も
鎖国が終わって明治時代に入ると、
時代を反映して少しずつ変化していきます。

明治時代の日本には、
江戸時代の庶民では空想するしかなかった異国の文化が流れこみ、
それにともなって異国の人々をも目にする機会が多くなりました。



そのためか、明治時代の和更紗には、
日本へやってきた異国人たちを意匠化したものが
それ以前にくらべてぐんと増えたのです。

上の写真は南蛮人を意匠化した和更紗です。

髪や皮膚、眼の色が日本人とはまったく異なる外国人たちを
はじめて目にした当時の人々の驚きが表されたような文様です。

また、下の写真のような
中国絵画から影響を受けた「唐子文様」とよばれる意匠も
広く人気があり、多くつくられました。



しかし、新しい文化が入ってくる一方で、
伝統的な日本の文化に対する想いも強く残っていました。
その想いは、和更紗の文様にも現れています。

この時代には「器物文様」という文様が
多くつくられるようになります。
器物文様とは、扇や能面、鞠、刀の鍔(つば)、宝物など、
古くから日本に伝わってきた、
生活の道具や縁起物を意匠化したものです。



これらは、江戸時代の和更紗にはない
日本独自の文様といえます。
また、「大津絵」とよばれる
当時の風俗画を題材にした文様もつくられました。

これらの文様を見ると、
古い文化と新しい文化を融合させようという、
作り手の意気込みが伝わってきます。
また、古き時代への想いとともに
新しい時代への希望といったものも
そこはかとなく感じとれます。

この和更紗の文様は、
大正時代になると、また大きく変わっていきます。
次回は大正時代以降の和更紗の文様について
お話ししたいと思います。

※写真の和更紗は「更紗の帯展」にて取り扱っています。

(※1)2009年8月25日更新のブログ「和更紗の文様について」を参照してください。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は9月8日(火)予定です。


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まだまだ暑い日がつづいていますが、
秋の気配が所々でみられるようになりました。
夕暮れ時には、虫の声が聞こえてきます。

これから訪れる秋に向けて、
そろそろ衣替えの準備をされている方も
いらっしゃるのではないのでしょうか。

花邑では、秋冬の装いに向けて
9月1日から22日まで「更紗の帯展」を開催します。
この企画展では、稀少な江戸時代の和更紗から、
近代の西欧更紗まで古今東西の「更紗」の帯をご紹介します。

そこで今回は、この企画展にちなみ、
「和更紗」とよばれる日本でつくられた更紗に配された、
魅力的な文様についてお話しをします。



更紗は、紀元前3000年頃にインドで誕生し、
その後大航海時代には世界各地へと輸入し、大流行しました。
そして、その国独自の文化と融合した
さまざまな更紗がつくられました。(※1)

「更紗」の定義としては、
広く模様を施して染めた「木綿布」を指すため、
その国、その地域の文化と融合した、
染色方法や色柄の異なる更紗がさまざまに登場しました。

とくに、日本でつくられた「和更紗」は、
つくられた当時の世情が反映されているように思えます。

日本の歴史に更紗が登場したのは
室町時代後期頃です。
インドからもたらされました。
木綿そのものもめずらしかった当時の日本において、
異国からもたらされた更紗は、とても珍重されました。

とくに、インド茜で染められた鮮やかな紅色の更紗は、
活力の旺盛な武将らにもてはやされ、
戦国時代に入ると戦さのときの陣羽織などにも用いられたようです。
また、茶の湯の仕覆(しふく)としても多く使われました。

その後、日本でも各地で木綿の栽培が盛んになり、
江戸時代に入ると日本独自の技法で更紗がつくられ、
これが「和更紗」と呼ばれるようになります。
江戸時代後期には、庶民のあいだにも広まって大流行し、
そのために各地でもさまざまな和更紗がつくられるようになりました。



上の写真は2枚とも江戸時代の後期につくられた和更紗です。
当時つくられていた多くの和更紗の文様は、
インドやヨーロッパからもたらされた更紗の文様を手本としていて、
日本では見られない草花が意匠化されています。

当時、鎖国を国策として行っていた日本では、
異国の文化に接する機会が極端に少なかったためか、
日本の更紗の文様には、
お手本からも飛躍した“空想上の”草花といえるような、
つくり手の想像力で意匠化された抽象的なものが多かったようです。

そうした和更紗の文様は、
とても自由な作風でつくられていて、
時代を経てもなお人々を魅了する、
不思議な魅力を持っています。

古き時代の和更紗を手に取って見ると、
その当時の人々の感情の中に存在した
“異国への憧憬”ともいうべきものが
こちらへも伝わってくるようです。

長い鎖国が終わって明治時代になると、
それまで自由でおおらかだった和更紗の文様は、
時代の感情に合わせて少しずつ変化していきます。

次回は明治時代以降につくられた和更紗の文様について
お話しすることにしましょう。


※写真の和更紗は「更紗の帯展」にて取り扱っています。

(※1)2008年3月11日更新のブログ「和更紗について」を参照してください。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は9月1日(火)予定です。


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ただいま「花邑」では、「和更紗の帯展」を催しています。

「花邑の帯遊び」をご覧のみなさん、
もうお越しいただけたでしょうか?
ほんとうにお嫁に出すのが忍ばれるほど素敵な帯たちが
たくさんお待ちしていますので、
「まだ」という方は、ぜひ足をお運びください。

今回の「花邑の帯遊び」は、その企画展にちなみ、
「和更紗」についてお話することにしましょう。





「和更紗」とは、その呼び名からも想像できるように、
日本でつくられた「更紗」のことをいいます。
そして「更紗」とは、模様を施して染められた「木綿布」を指します。

この「更紗」は、古代から木綿がつくられていたインドで生まれました。
インドの言葉で「最高級」という意味の「サラーサ」から
その名が付けられたといわれています。

紀元前3000年頃のインドでは、
木綿の織物を用いた手書きの「更紗」が染められていました。
やがて、染色技術がすすむにつれ、木版をつかった型染めの「更紗」や、
インド茜などを染料とした鮮やかな色彩の「更紗」が誕生します。

「更紗」の素材である木綿は、植物繊維からできているので、
実は、色が染まりにくく、褪色しやすいものです。
しかしインドには、木綿布に鮮やかな色彩を染めることができる
独自の技術が古くからあったのです。

一方、日本で木綿の生産がはじまったのは
15世紀中頃からです。
インドのように、鮮やかな色彩を木綿に染める技術は、
当然その頃にはありませんでした。
そのため、日本で木綿に染められる色は、
藍、茶、黄などの単色だけだったのです。

その日本に、「更紗」がもたらされたのが室町時代後期です。
これは世界中に「更紗」が伝わった大航海時代(15世紀中頃~17世紀中頃)以降になります。
堅牢な木綿布に染められた異国情緒あふれる文様と
茜色に代表される鮮やかな色を持つ「更紗」に
当時の人々が驚き、魅了されたのは当然のことですね。

しかし、遠い異国の地から運ばれてきた「更紗」は、
とても貴重で高価なものでした。
日本では、一部の裕福な人が茶の湯の仕覆(しふく)や箱包み、
戦さのときの陣羽織などに用いたようです。

この異国から伝わった「更紗」に魅了されたのは
もちろん日本だけではありませんでした。
ヨーロッパでは「更紗」の消費量があまりにも多かったため、
「更紗輸入禁止令」が出されたほどだったようです。
ヨーロッパでの「更紗」は、のちのファッションプリントの基礎になった
ともいわれています。

インドからもたらされた「更紗」に魅了された人々は、
やがてその国々で「更紗」を模倣した木綿布をつくるようになります。
はじめは模倣品だった「更紗」ですが、
しだいにその国独自の文化と融合した「更紗」へと変容していきました。
ちなみにインドから日本にもたらされた更紗は、
のちに「古渡り更紗」と呼ばれ、日本の染識に大きな影響を与えるようになります。

正保2年(1645年)刊行の『毛吹草(けふきくさ)』のなかに
「京都名産の『紗羅染(しゃろむそめ)』」と記載がされています。
「紗羅染(しゃろむそめ)」とは「更紗」のことで、
このときにはすでに、日本でつくられた「更紗」が出回っていたようです。
しかし、木綿の染色技術が未熟だったために、
「すぐ褪色してしまう」と嘆いていたともいわれています。



しかしその後、日本でも木綿の普及とともに染色技術が進みました。
そして、型紙を用いて顔料や染料を摺り込んでつくるという、
日本独自の技法もうまれました。
さらに、その図案は異国の文様と日本の伝統文様が融合された
独特なものになっていったのです。

この日本でつくられた「更紗」こそが、
やがて「和更紗」とよばれるようになっていきます。
江戸時代後期には、庶民のあいだにも広まって大流行し、
そのために各地でもさまざまな和更紗がつくられるようになりました。

この時代につくられた「和更紗」※を手に取ってみると、
異国情緒あふれる文様を楽しみながら図案化している作り手たちの様子が
目に浮かんでくるような気持ちになります。
海の遥かむこうの遠い異国に思いを馳せ、
わくわくするような気持ちを文様化しているように思えるのです。



画家で俳人だった与謝蕪村(よさぶそん)(1716~83)は、
和更紗が盛んにつくられていた当時の様子を
俳句にこう詠んでいます。

~ 片町にさらさ染むるや春の風 ~


※今回の花邑の「和更紗の帯展」では、
江戸時代後期の「和更紗」で仕立てた帯を中心に
取り揃えています。
なお写真の和更紗は「和更紗の帯展」にて取り扱っています。


花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は3月18日(火)予定です。


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