presented by hanamura ginza
いよいよ今年も残すところあとわずかになり、
忙しさのなかでも、ときたまこの一年を振り返っています。
今年のできごとを思い起こしてみると、
やはりどうしても暗い年だったように思い、
心が重くなってしまうときもあります。
実はこれまで、あえてこちらのブログでは一切震災について
取り上げてきませんでした。
それは事の重大さの前に、
どうしても心の整理がつかず、
その話題に触れることがためらわれたからです。
それでもなんとか前向きにという気持ちで
日々を過ごしてきました。
もちろん世間も同様で
今年は、「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」が
映画のサウンドトラックやCMのBGMに使われて人気が再燃し、
CDが製作されたり、ラジオのリクエストが激増したり、
元気付けられる音楽を求めていたようです。
「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」のいずれも
歌手・坂本九さんの曲です。
どちらも空を見上げる曲なのですが、
乗り越えがたい障害にぶつかったとき、
人はなんとかその苦難を克服しようと
大きな空にその心を映し、
再び歩みだそうとするのかもしれません。
空というと、この時期の空は澄み切って、
透明感のある青空がとてもきれいです。
その空を見上げると、やはり心も晴れやかになりますね。
新年には、ぜひとも曇りのない澄み渡った空が広がってほしいものです。
年明けの空というと、寒風のなか子どもたちが
凧揚げをしている情景が目に浮かびます。
空高く揚がった凧を見上げて、
はしゃいでいる子どもの姿に、
凧を引っ張りながら、
ちょっと得意げな父親の姿といった光景は、
とても微笑えましいものです。
しかし、中には風がないためか、
何回も落ちる凧を必死に空に揚げる父親に、
いまにもぐずりそうな子どもの姿といった
光景をみることもあります。
そういった光景に出会ったときには、
こちらも思わず凧が上がるようにと、応援したくなります。
近年ではこうした伝統的な遊びをしている子どもを
目にする機会も少なくなりましたが、
天高く凧が上がっているさまや、
一心にその凧を操っている子どもの表情を見ると
清々しい気持ちになるものです。
そこで今日は、空高く上げられる凧の文様について
お話ししましょう。
現在凧の種類は、さまざまにありますが、
竹の骨組みに和紙を張った「和凧」は、
風がないと上がりにくいとされ、
見かけることが少なくなってきました。
和凧よりも、ポリエステル製の「カイト」とよばれる凧のほうが
風が少なくても上がりやすく、人気があるようです。
飛行機や鳥のかたちをしたカイト凧も、
もちろん素敵ですが、
武者絵や寿の文字が描かれた和凧には、
やはり和の風情が強く感じられます。
また、この和凧に描かれた意匠には、
子どもが健やかに成長するようにとの願いや、
豊作祈願などの願いがこめられたものが多く、
新年にはたいへん縁起の良いものなのです。
着物や帯の意匠に、凧の文様が用いられるのは
比較的少ないのですが、
凧自体も、吉祥文様になります。
下の写真の名古屋帯は、
昭和初期ごろにつくられた和更紗からお仕立て替えしたものです。
纏(まとい)や笠、籠といった縁起物と一緒に
和凧と奴凧が意匠化されています。
凧の歴史は古く、
はじまりは紀元前 400 年前の古代ギリシャとされています。
この時代、凧は現代のように遊び道具ではなく、
戦の際に敵陣の距離を測る道具として使用されました。
日本には平安時代に中国からもたらされ、
豊作祈願の道具として用いられました。
また、凧を上げる人を紙鳶(しえん)、紙老鴟(しろうし)とよび、
凧揚げは技芸のひとつでもありました。
日本でも鎌倉時代から戦国時代には、
凧は戦の道具として使用されました。
ちなみに、現代のように「凧」という名前が各地に広まる前は、
関西では「いか」、長崎では「ハタ」と呼び、
その名前が異なっていました。
凧遊びが盛んになったのは、
江戸時代のころです。
技術が発達して、凧が大量につくれるようになると、
庶民たちにも凧が広まりました。
やがて、凧にさまざまな絵が描かれるようになり、
商店では、凧にお店の名前や家紋などを描いた
宣伝用の凧を上げるようになりました。
空に浮かぶ凧は、たいへん注目され、
宣伝にはうってつけだったのです。
さらに、ライバル店同士で相手の凧を落としあう
喧嘩凧も行われました。
この喧嘩凧で勝ち残ったお店の凧は、
長く空に浮かぶことができ、
お店のイメージアップにも繋がったようで、
各店では競って喧嘩凧に勝つような工夫をしたようです。
また、四角い凧のほかにも、
奴凧(やっこだこ)とよばれる凧もつくられ、人気を博しました。
奴凧の「奴」とは、江戸時代のころ、
武家の下僕として働いていた人々のことを指します。
参勤交代の際の臨時雇いで働いていた奴もいて、
奴が付ける家紋は、どの藩で働いても良いように、
正方形を4つに並べたものでした。
また、奴は鎌の形のようにはね上げた鎌ひげをつけていました。
奴凧は、この奴の姿に似せてつくられた凧で、
普段は身分が低く、弱い立場だった奴が、
空に上がり、武家を見下ろすことで、
日頃のうっぷんを晴らしていたとも言われています。
初春には、国立劇場にてこの奴凧が登場する
「奴凧廓春風(やっこだこさとのはるかぜ)」が公演されます。
「奴凧廓春風」は、江戸時代後期から明治時代に活躍した
歌舞伎狂言作者として有名な河竹 黙阿弥(かわたけ もくあみ)の絶筆です。
82年ぶりの公演となる
「奴凧廓春風(やっこだこさとのはるかぜ)」は
お正月の風物や情景を盛り込んだ洒脱な舞踊のようで、
まさに新年にふさわしい演目ですね。
さて、今年の「花邑の帯あそび」は今日でおしまいです。
今年度も、拙い文章にお付き合いくださり、
誠にありがとうございました。
風を真正面から受けとめて空高く上がる凧のごとく、
日本全体が本格的な復興に向けて
前向きになれる年であってほしいと祈るばかりです。
週末には寒さがより厳しくなるようです。
年末年始のだいじな時期にむけて
皆さまお身体の調子には十分ご留意くださいませ。
それでは、良いお年を。
花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は2012年1月11日(水)予定です。
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