花邑の帯あそび
1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…
 




presented by hanamura


ただいま「花邑」では、「手織りの帯展」を催しています。
今回の「花邑の帯あそび」では、この企画展の中から
「手織りの木綿」についておはなしをします。

手織りされた木綿の帯は、季節を問わず1年中着けることができます。
また、歳月を重ねるごとに味わいが深くなっていきます。



上の写真は、江戸時代後期に手織りされた木綿布です。
歳月を経て褪せた藍色と、風合いが美しい木綿布です。

この木綿布がつくられた江戸時代後期は、
日本の各地で綿花が栽培され、木綿布が織られていました。
そして、手織りされた木綿布の多くは
庶民の衣服や風呂敷などに用いられ、生活の中で愛用されていました。

しかし、木綿が庶民の生活の中で用いられるようになったのは、
江戸時代にはいってからです。
日本で綿花の栽培がはじまったのは、15世紀中頃なんです。(※1)
それまで庶民の日常着には、おもに麻が用いられていました。
木綿は、海外から輸入した高価な布で、
庶民には手の届かないものだったのです。

そのため、日本で綿花が栽培できるようになったのを
一番喜んだのは庶民だったのではないでしょうか。
あたたかで、肌ざわりがよく丈夫な木綿は、
いままで麻しか用いることができなかった庶民が求めていた布でした。

また、武士が袴や幕に木綿を
用いたこともあり、木綿の需要は瞬く間にひろがっていきました。

しかし、明治、大正時代を経て、戦争がはじまると
日本では綿花の栽培がだんだん行われなくなっていきました。
それでも昭和のはじめごろまでは、地方の農村などで
綿花の栽培が細々と行われ、木綿が織られていました。





上の写真は昭和のはじめに織られた木綿布です。
木綿の素材そのものがとてもしっかりとしていて、
丹念に手織りされた風合いも、とても美しいものです。

現在では日本で栽培した綿花を紡ぎ、
手作業で織った木綿を手に入れるのも困難になってしまいました。
そのため、この昭和のはじめに織られた木綿布は
その風合いを今に伝える貴重なものです。

さて手織りの木綿の魅力はその味わい深い風合いと、
縞や格子縞などの素朴で、飽きのこない柄行きです。

この「縞」や「格子縞」は、むかしは「織筋(おりすじ)」と呼ばれていました。
「織筋」の布は異国からもたらされ、珍重な布として扱われていました。
そして貴族にしか用いることができないとても高価なものだったようです。

やがて、江戸時代にはいるとこの「織筋」入りの木綿布は
数多く日本にもたらされるようになりました。
そして「織筋」は庶民のあいだにもひろまり「嶋もの」と呼ばれるようになります。
現在用いられている「縞」という呼び名は、この「嶋」の当て字なんです。
また、木綿の栽培が定着するにしたがって
全国各地にさまざまな縞柄の織物がつくられるようになったのです。

縞は最も基礎的な文様です。
しかし、縞柄は用いる色の合わせ方によって
無限の表現を生み出すことができるものです。
手織りされた縞柄の木綿布をみると、
織り手たちがその表現を楽しんでいるように思えます。


● 写真の手織りの木綿布の帯は「帯のアトリエ 花邑hanamura」にて取り扱っております。

(※1)1月22日更新のブログ「三河の味」を参照してください。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は5月13日(火)予定です。


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