OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

大人ですから・・・でも(^^;

2007-07-21 22:52:01 | Weblog
よかったぁ~・・・勝ったぁ~・・・よぉしぃかぁつぅ~~~っ!!よう、やった!!

と、興奮したところで、残念ながら、ちょい暗めの話を(^^;。

あたしゃ、立派に汚い大人だからねぇ~と、少し前に自慢したばかりですが・・・やっぱり、そんなに立派に汚い大人になりきれてなかった(爆)。自分が大切に思っているものを、身構えていない時に、目の前で軽んじられると・・・驚くほどショックを受けてやんの(^^;。

いつも言ってるように、傷つくとか、そういう軟さはないの。腹が立つとか、そういう熱さもないの。ただ、やっぱり、なんていうか・・・切ないっていうか、ガッカリするっていうか、残念っていうか、脱力するなぁと思ってね。

正誤の問題じゃないし、善悪の問題じゃないし、きっと美意識の問題だから・・・だから、よけいにガッカリするんだろうな。「それは違う!!」と熱くなれない分、淋しいんだろうな。

以前、友だちが、すごく大切にしていることを否定して、すごく落ち込ませたって話をしたと思うけど・・・その時の友だちの気持ちって、今のワタシの何倍かの悲しさだったのかな。今でも、わたしは自分の意見が間違っているとは思わないし、今も意見を求められれば、同じことしか言わないと思うけど・・・この気持ちを知れば、あえて自分からは否定的意見を口にしたりはしないな。意見を求められたら、嘘は言いたくないから一応は自分の意見を言うけど、多少、オブラートに包むようにするかな。

あっ・・・これも、ある意味、汚い大人の配慮か(^^;。難しいな、大人でいるってことも、子どもで居るってことも・・・。

なにをもって信じるのか・・・

2007-07-20 15:28:38 | Weblog
ああ~、もう、子どもたちは夏休みかぁ~・・・学校カレンダーを気にしない生活になって、もう一年以上。裕太はまだ学生なわけだけど、ちっとも家に帰ってこないし、わたしの生活に彼の生活リズムは何の影響も与えないもん、ほんと学校カレンダーに縁がなくなっちゃった。

そんなワタシが夏を感じるのは・・・キュウリのお漬物が美味いっ!!ってことくらいかな。あとは、そろそろホラーの季節だよって感じかな。とはいっても、最近では、ホラーも夏の風物詩ではなくなったかな。わたしが子どもの頃は、夏になれば、四谷怪談とか牡丹灯篭とか化け猫系のとか、毎度お馴染みの夏の風物詩ドラマが、テレビでたくさん放送されていたけど・・・最近では、すっかり見なくなったかも・・・。

で・・・そんなことを思っていると、ふと「信じるって何だろう」ってのが、気になりはじめた(爆)。

わたしは、霊感が全くない。だから、霊体験的なことは全く経験がない。だから、わたしが霊的なことを信じるとしたら、それは、ひとえに、霊体験を語る人の言葉を信じるか信じないかってことになる。で、わたしは、結論保留という状態で、ずっと宙ぶらりんしている。自分では、これっぽっちも、そういうことを感じないので、心からの肯定って、やっぱり難しいんだよね。でも、わたしの周りの信じるに足りる人たちが体験談を聞かせてくれるし・・・それは疑いたくないんだよね。だから保留。わたしには、そうしか出来ないわけです。

でもね・・・考えてみれば、わたしたちって、自分で見聞きしていないものを、あたりまえみたいに信じているよね。歴史的事実なんてやつ・・・これは全部が全部、自分が体験していないことだけど、本に書いてあるから、教科書に載っているから、学校でそう教わったし、みんなそう言ってるから・・・って、完全に信じ込んでいる。そもそも、みんな言ってるの「みんな」って、誰だよ・・・ねっ(^^;。

報道なんかにしてもそうだよね。昨日今日あたり、あの中国の「ダンボール入り肉まん」報道が、ヤラセだったって大騒ぎだけど・・・ダンボール入り肉まんの報道の時、ほとんどの人が、それを疑わなかったもんね。「あるある」も、そうだしね。我々は「テレビが言ってた」「ニュースで言ってた」っていうだけで、かなり無条件に近い状態で信じちゃってるよね。恥ずかしながら、マスコミにヤラレ放題って感じでしょ(^^;。

そうそう、社保庁の「確からしさ」ってやつも、正直、困ったものだよね。二段階くらい前の時点で、「払いました」の証明の基準をユルクしますという発表があって・・・たしか、家計簿とか会社の帳簿みたいなものも証拠として採用する可能性があるとかないとか言ってたよね。でも「そういったものすら提出できない人はどうするのか、泣き寝入るのか」って、マスコミも野党も世論的にも、ずいぶん批難してたよね。その時、正直、わたしは思ったのね。「人柄」ってのを見て欲しいよなぁ~って。もし、わたしが年金を支払っているのに支払ってないことになっていて、それを証明する手段を何も持っていなかったら、わたしは「わたしを信じてください。このわたしが嘘をつく人間かどうか、それを見てください」って言いたくなるだろうなって。けど、実際に第三者委員会だかなんだかが「人柄」ってのを、「信じる根拠」に挙げると、それは無茶だろうと思ったよね(爆)。

なんだか、物凄く安易に信じてしまう部分と、物凄く慎重になってしまって何も信じられない部分が、頭の中でも、心の中でも混沌としているなぁ~・・・と思う、今日この頃なのでした。

閉じられた箱、開けるか開けないか

2007-07-19 23:25:56 | Weblog
あなたが家(部屋)に帰ってきたら、居間の机の上に、見知らぬ箱が置いてあったなら、あなたは、それを開けますか、開けませんか。

この場合、あなたは一人暮らしで、部屋の鍵を、あなた以外の人は持っていない・・・つまり、あなたが知らない間に、あなたが知らない箱が、あなたの居間に置かれているのは、絶対に不自然な状況だという事で考えてください。

わたしなら・・・開けたくないけど、開けますね。

基本的に、残念ながら好奇心はないのですよ、こういうものに対して。なんていうかな・・・自分から好奇心をもって近づいていくことはあっても、向こうから近づくものに積極的な興味を持たないタイプなので・・・その箱に、危険性がないと確信が持てれば、開けずに、さっさと捨てるに違いないんです。

けれど、その箱の安全性が確認できなければ、安易に捨てられないでしょ。たとえば、ゴミ収集所やゴミ収集車の中で爆発したら迷惑なことになるでしょ、だから、危険物かもしれないものを、そのまま手放せませんよね。

一番いいのは、そのままの状態を保持して、警察に連絡することかもしれませんが・・・はたして、警察は動いてくれるかなぁ。知り合いの人が、知らない間に置いていったんじゃないですかと言われるのがオチだろうな。そういう警察とのやり取りを想像すると、警察に連絡するのも、おっくうですよね。

だから、自分のテリトリーに置かれたものの責任をとるという意味で、箱をあけて、中身を確かめるかな。

・・・なんて、考えても、まったく意味がないことなんだけど・・・今日、外から帰ってきたら、部屋に、見覚えのない箱が置いてあったので、ふと、そんなことを考えたのでした。もちろん、実際に、わたしたちの部屋に置かれていた箱は、母が置いた、なんの危険性もないものでしたけどね(^^;。

ただね・・・こんなことを考えた時に、改めて確認した自分の好奇心の無さに、ちょっと失望しましたね(爆)。だって、好奇心が色んなことを生み、色んなことを動かすじゃないですか。好奇心がないと、発展性がないと思うんですよね。

とはいいつつ・・・必要以上に、他人に好奇心を持たないのは、自分でも好きなところなんですよね。迎え入れられるまでは踏み込まずに、ずっと待つ・・・そういう距離感を持つことが、わたしにとっては愛情の表現ですからね。ただ、わたしが望む距離感より、少し踏み込みぎみの方が善いんじゃないかと思うことも多くて、最近では、心して、ちょっと踏み込む努力はしているんですけどね(^^;。

頭痛は気のゆるみから(^^;

2007-07-18 22:37:56 | Weblog
ああ~、半月ぶりにお休みっ!! ずっと家から出ないで居られる日っ!!(爆)

と思ったら、朝から、頭痛ガンガン。せっかくの、あたしのお休みが、台無しじゃんよぉ~っ!!

けど、この頭痛もちのワタシが、ここしばらく、まったく頭痛に悩まされていなかったってことの方が驚くよね。すごく嬉しい事なんだけど、あんなに慌しかったのに、殆ど頭痛に悩まされなかったなんて、逆に気味が悪いくらいだった。

たぶん、気を張っていたからってことなんだろうけど・・・このメリハリは、あんまり良くないと、勝手に分析しちゃうな。

単純に考えると、気が緩むと頭痛がするというなら、ずっと気を張っていればいいじゃんってことになるけど、そんなの実質不可能でしょ。となると、気を張って頭痛を回避していれば、その分、緩んだときにドッと押し寄せてくるってことになりそうだもん・・・あ~、やだやだ(^^;。

それにしても・・・売れっ子の芸能人さんとか「半年休みがありません」とか、平気で仰ってるけど、信じられないよぉ~。忙しいビジネスマンさんとか、子沢山のお母さんとか、自営業の人なんかも、お休みない人、いらっしゃるかもしれないけど・・・ほんと、スゴイナァ~。

けど、人は、ほどほどに働くのがいいですよ(爆)。お休みって、大切ですよ(マジ)。

情報は、複数の器官から入ると分かりやすい・・・かな(^^;

2007-07-17 22:36:07 | Weblog
絶対に、黙読より、音読の方が、内容を理解できる度合いが増すよね。

若い頃は(嫌な言い方だ(^^;)、あまり感じなかったことだけど、少し前から思うようになり、今では坂を転げ落ちるように・・・おっと、それは言い過ぎだな(^^;・・・とにかく、驚くほどの速度で、黙読で文章を理解する能力が落ちている。しかも、自分が書いた文章でさえ、そうなんだよね。まったく、どうしちまったんだろう(涙)。

けれど、音読すれば、かなり理解力をUPすることが出来る。目で見る情報の他、耳で聞く情報が加わる事によって、補強されるのかな、理解力が。あるいは、読もうと努力する作業が、なにかしら理解することにもプラスに作用するのかな。

と、こういうこと、考えるの好きなんだけど・・・

先日、子育てに関する講演で、行動学の専門家が「子どもの心は、行動にあらわれます。たとえば、歩幅・・・心に何か心配事などがあると、歩幅は自然に小さくなります」なんて説明しているのを聞いて、「なんだかなぁ~」と思ってしまった。

学校の先生やカウンセラーさんやお医者さん、つまり教育や心理学や精神医学の専門家の人が、そういうことを研究して、実際の教育現場や診療の役に立てるというのは、とってもいいこと・・・っていうか、必要なことだと思うんだけど、親が子どもの心を感じようとするときに、歩幅や顔の角度や視線などをチェックして判断するのは、なんだか違うだろうって思うんだよね。

もちろん、そういうのはデータとして、親の判断材料の一つにはなっているけど・・・チェック項目みたいな観察の仕方ではなく、もっと感覚的で感情的な受け止め方の方が自然だと思うんだよ。つまり、無意識レベルで、そういうことをチェックできるのが、親だと思うんだよね。

ん?何の話だっけ・・・そう、音読しないと、自分が書いた文章の意味も分からないよぉ~という、悲痛な叫びを綴っていたのだった(爆)。でも、そういうの、仕方ないよね。老いていくことによって、失っていくものは山ほどある。けれど、それ以上に、得ているものもあるのだから、得たもので失ったものを補填していくしかないよね。きっと、それで余りがでると信じてなきゃ、年なんか取れないもんね(^^;。

分かってもらえてるって嬉しいことだね(^^;

2007-07-16 16:19:59 | Weblog
藍那が、わたしが飲んでいたペットボトルのお茶を、一口飲んで「これ、お母さんが好きな味やね」と言った。ビンゴ!!その通りっ!! 始めて買ったお茶だったんだけど、ほんと好きな味のお茶だったのぉ~。

その瞬間、なんだか、わたし、すごく嬉しくてね(^^;。藍那が、わたしの好きな味を知っているってこと・・・つまりは、藍那がワタシに、ちゃんと興味をもっていて、観察しているんだってことが、とっても嬉しくてね。

「子どもは、親に理解されたがっている」ってよく言われるけど、「親だって、子どもに理解されたがっている」ってことだぁ~ねぇ~。なんだか、情けないっちゃぁ~情けないけど、自然な心の動きだとも言えないかな。

こういう瞬間があると、いろんな辛い事があっても、我慢できるっていうか、乗り越えていけるんだよね。うんうん、そう思うな、わたし。

えんぴつの優しさ

2007-07-15 21:33:07 | Weblog
モンブランのインクが切れてしまった。近所の大き目の文房具屋さんは潰れ、すでに久しいし・・・都会の文房具屋さんに買いに行くタイミングを逃したものだから、仕方なく、ここのところ、鉛筆で間に合わせている。

わたしは筆圧が高いので、藍那のデッサン用の鉛筆の中から、少し固めの4Bくらいの鉛筆を使って、なるだけ力を入れないようにして書いている。柔らかい鉛筆を使っていると、少しでも力を入れすぎた時に紙が真っ黒になるので、それが「力の入れすぎ」注意報になってくれるのだ。

とね・・・だんだん、力の加減も分かってきて・・・今では、愛用のモンブランほどではないけど、紙の上を鉛筆の滑る感じが、心地いいなと思えるようになってきた。

なんというかな・・・わたしのように、強情で、自己中心的で、融通のきかない人間は、同じように強情で、自己中心的で、融通のきかない物を使うと、お互いが果てしなく消耗してしまうんだよね。

だから、万年筆や、柔らかい鉛筆のように、当たりが優しくて、遊びがあって、包容力のある物を使うと、ずいぶん助けてもらえるんだよね。

けど・・・いつかは、自分自身が、万年筆や柔らかい鉛筆みたいな人になりたいよね。今のままじゃ、ちょっと情けないよね。

昨日の続きで話すなら、万年筆風な人や、柔らかい鉛筆風の人を、演じる事なら出来るようになってきた。なにせ、汚い大人だからね。けど、尊敬できる大人になりたかったら、本物の万年筆や、本物の柔らかい鉛筆の資質を身につけなきゃね。その為には、あたしゃ、長寿日本一になるまで時間がかかるかもしれない。いや、長寿世界一になっても、まだ無理かもしれないな(^^;。

大人ですから・・・

2007-07-14 15:23:11 | Weblog
最近、よく「大人ですから・・・」って言葉を使っている気がする。

どんな時に使っているかといえば・・・仕事などを受注する際に「大丈夫ですか、出来ますか」と聞かれたような時に、「我慢できます」とか「綺麗ごとで済まない部分も飲み込みます」みたいな意味で言ってることが多いかな。いわゆる「汚い大人」的対応が出来ると、そうアピールしていることになるかなと思う(^^;。

でも、逆に考えれば、最近まで「大人ですから・・・」って言葉を、あまり使っていなかったってことは・・・良い意味でも悪い意味でも「汚い大人」じゃなかったってことかな。真っ直ぐでキレイな子どもの心のままオバサンしてたと同時に、イイ歳をしながら甘くて狭かったってことなのかな(爆)。

たぶん、今までは何でも自分発信でやってきたから、自分が納得できない仕事というのが、もともと極端に少なかったんだね。自分発信の仕事だと、自分が腹を括りさえすれば、どんな決断だって出来るわけだから、自分が善しと思えないことに遭遇したら、それを拒否することが出来たわけだ。それを、今では、ある程度、相手のフィールドに入って、自分を殺す術を身につけたってことになるね。

けど、汚い大人にも、良い面と悪い面がある・・・だって、世の中の汚さにも、良い面と悪い面があるからね。

いくら世の中を見て、いろんなことを知っても、自分が美しいと思うものや、正しいと信じられるものを、無理やり捻じ曲げようとは思わない。諦めたり、悟ったふりをして、「そういうものだ・・・」なんてシタリガオの大人にはなりたくない。けど・・・自分とは違うものを信じて、一生懸命頑張っている人のことを、とりあえずは批判せずに見守るってことが出来るようになって・・・時には、それを部分的に手助けすることもヤブサカではないと思えるようになって・・・それで「大人ですから」なんだと、自分では良いように解釈している。

っていうか・・・いつも言っているけど、お金が発生するところで、わたしの本質的満足は得られないものと知ったからね。つまり、わたしにとって、仕事は仕事であって、決してそれ以上のものにはならないんだよね。なら、仕事には「仕事である」ということのプライドをもって向かい合いたいと思うようになってる。

もちろん、仕事だって、ホントに多くのことを教えてくれるし、感じさせてくれるし、なによりお金をもたらせてくれるんだもん、感謝してるし大切に思っているよ。そういう意味も含めて、プロフェッショナルに『大人ですから』の対応をしていこうと思っているわけです。なんか、らしくないかな・・・らしくないかもね(^^;。

よく知っているはずのアナタの、まったく知らない顔

2007-07-13 21:56:37 | Weblog
だからぁ~、都会は苦手だって(爆)。

今日の取材は、西宮(甲子園のあるところ)だった・・・だった、はずだった。西宮なら土地勘があるし、「楽勝でいっ!!」と軽く地図を確認して、ナビの付いていない車で出かけた。そしたら・・・ン?おかしい、あるべき場所に、あるべきものがない・・・住所は、ここのはずなのに。それで、先方に電話をかけて確かめた。すると、なんと、大阪に引越し?! うっそぉ~っ!!で、わたし的には、今日の取材は諦めて、後日の約束を取り付けようと考えたのだけど・・・

「そこから、三十分くらいです」
「えっ、でも、地図を持ってないので・・・」
「大丈夫、単純な道筋です」
「はっ・・・はぁ~」

ということになった。実際、とっても分かりやすい道筋ではあったのだけどね・・・国道二号線を、ずっと真っ直ぐに走るっていう、ほんとに単純な道筋だったけどね・・・でも、地図も無しに、始めての道を走るって、ものすごぉぉ~く不安になるものなんだと、身にしみた。しかも、大阪だし。しかも、今日は金曜日だし。しかも台風来てるし。ラジオの交通情報では、あっちで事故の渋滞、こっちで緊急工事による渋滞と、車の流れの滞りばかりを告知してるし。果たして、無事に辿り着けるものなんだろうか・・・という気分だった。

地図さえあれば、かなり縦横無尽に行動できる方なんだけど・・・地図がないと、こんなにも不安なものかと驚いたよぉ~。地図って、偉大だなあ。実際に役に立つという意味でも偉大だけど、持っていることによって与えられる安心感が、いかに大きいか、理解させて頂きました。

ちなみに、タイトルの「よく知っているアナタ」とは、国道二号線のことです。でも、わたしの知っている国道二号線は「西宮~神戸」間だけ。西宮以東、つまり「西宮~大阪」間の国道二号線は、わたしが、まったく「知らない顔」の国道二号線だった・・・ふにぁ(^^;。

というわけで、都会に車で出かけるものじゃないということと、地図なしに知らない場所で行動することの精神的負担を、思いっきり体感した一日なのでした。

溶けてなくなっちゃった(^^;

2007-07-12 22:40:21 | Weblog
手羽元と南瓜を煮てたら、南瓜が皮だけになっちゃった。で、汁がパンプキンスープになっちゃった。冷やして牛乳混ぜて、本気で冷製スープにしてもいいのだけど・・・それじゃ、メイン料理として貧相だな。ちゃんと、大きめに切って油で揚げて、それから煮たのに・・・グラグラ煮たのが悪かったのかな。

ちなみに、これって、まさしくトランスフォームってやつかな。つまり、本質は変化せず、形だけ変わるってのかな。

けどさぁ~・・・形も、けっこう大切だよね。外側が、どんなに変わっても、中身は何も変わってないって・・・たしかに、そういうこともあると思うよ。水を、どんな形の器に入れても、水は水というような意味でね。

けど、たとえば、人間のように、良い意味でも悪い意味でも、他からの刺激を吸収するタイプの存在って、どの器に入るかで、自分が変わっていく部分は、あるもん。本質に近い部分まで、変わっていく感じ、する時、あるもん。

ふむ・・・で、この溶けちゃった南瓜は、どうしたものかな(爆)。