OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

創造が想像できない・・・

2007-07-24 23:46:19 | Weblog
霊的体験がない人間は、なかなか心底、前世だとか後世だとか、死後の世界だとか、天国とか地獄とか、幽霊だとか霊魂だとか、そういうものを信じきれないと言ったけれど・・・

かといって、否定しきれないとも言った。それは、信頼できると自分自身が判断する人の言葉を疑えないからだと、前回は、そう話したが、それ以外にも、理由があるなと、ぼんやり思った。

一つには・・・よく言われることだけれど・・・やはり、「死」というものが恐ろしいからだと思う。だから、死後には今より幸せな世界へ行くんだとか、生まれ変わって更なるチャンスが与えられるのだとか、今の自分が想像できる範囲の未来によって、死の恐怖から救い出されたいのだと思う。

それから、もう一つは、現世で起こる不公平や理不尽といったことの理由を現世に求められないから、現世以外のところに求めて納得したいという部分もあると思う。なぜ、何の罪もない幼い命が惨たらしく奪われるのかとか、なぜ悪逆非道な人が天罰も下されず贅沢三昧な生活を送るのかとか、なぜ自分の苦労や溢れる才能が報われないのかとか・・・そういうことの理由を、現世を越えた因果応報理論で解決したいのだと思う。

そしてもう一つ・・・わたしの場合は、もっぱら、この理由だなと思ったのだけれど・・・『無からの創造』が、リアルな形で理解できないからだと思うのだ。命というものが、まったくの無から有が生み出されるものなのだとしたら、当然、有から無に返っていくのが自然なことだと思う。けれど、本当の『無』というものが、わたしには、どうしてもリアルに想像できない。だから『無からの創造』というものも、正直にいって良く分からない。まったくイメージが浮かばないのだ。ビックバンの前の宇宙、それも想像できないし・・・ふむ。

が、同時に、わたしには『永遠』というものも、ハッキリと理解できない。始まりがあり、終わりがあるなら、始まりの前は何があり、終わりの後には何があるのだということも分からなければ・・・・じゃぁ、始まりもなければ、終わりもない、つまり永遠というもの分からない。

結局、すべてが暫定的部分的理解でしかありえず、とても不安定な状況で、我が命というものを紡いでいる気がする。そんな状態だから、前世だとか後世だとか、死後の世界だとか、天国とか地獄とか、幽霊だとか霊魂だとか、そういうものを信じきれなくても否定しきれないということなのだと思う、今日この頃なのだ。