OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

熟成する時間、朽ち果てていく時間

2007-07-10 20:24:29 | Weblog
車で、始めての土地の道を走っていて、時々気になるのが、朽ち果てた建物の存在です。田舎の木造建築だと、打ち捨てられたような建物でも、植物が纏わり付いていたりして「滅びの美」的なものを感じなくはないのだけど・・・そこそこ開けた町中の見捨てられた商業ビル跡などは、ただただ虚しさばかりが充満している気がします。

けれど・・・たとえば、これが、遺跡のようなものであれば・・・いくら人間どもに忘れ去られて、建物として朽ち果てかけていても、そこにはやはり「時の熟成」のようなものが感じられるのではないかと思うのです。

となれば・・・ただただ朽ち果てていくものと、それなりの時の熟成が見られるものの間には、どんな違いがあるんでしょうね・・・。建てるときに費やされた労力、財力、芸術力、そして思いの深さの違いでしょうか。

たしかに、普通の民家でも、再生して住みたいような古民家は、しっかりと作られたものだし・・・ペラッペラの建売住宅だと、ただの消耗品ですものね。

ということは、時が熟成するためには、時を熟成させる器が必要だってことかな。いや、違う・・・時が熟成していく様を、われわれは、時そのものに見る能力がないから、何かに映してみるしかないってことなんでしょうね。そして、その時の姿を映すものによって、見える時の姿が変わってしまうということなんでしょうね。

ああ~~、なんだか、脳の疲れが、まったく取れなくて・・・何を話しているんだか、自分でも、ぜんぜんワカリマセンが・・・時々、とっても悲しい風景を目にする今日この頃なのでした。