OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

なにをもって信じるのか・・・

2007-07-20 15:28:38 | Weblog
ああ~、もう、子どもたちは夏休みかぁ~・・・学校カレンダーを気にしない生活になって、もう一年以上。裕太はまだ学生なわけだけど、ちっとも家に帰ってこないし、わたしの生活に彼の生活リズムは何の影響も与えないもん、ほんと学校カレンダーに縁がなくなっちゃった。

そんなワタシが夏を感じるのは・・・キュウリのお漬物が美味いっ!!ってことくらいかな。あとは、そろそろホラーの季節だよって感じかな。とはいっても、最近では、ホラーも夏の風物詩ではなくなったかな。わたしが子どもの頃は、夏になれば、四谷怪談とか牡丹灯篭とか化け猫系のとか、毎度お馴染みの夏の風物詩ドラマが、テレビでたくさん放送されていたけど・・・最近では、すっかり見なくなったかも・・・。

で・・・そんなことを思っていると、ふと「信じるって何だろう」ってのが、気になりはじめた(爆)。

わたしは、霊感が全くない。だから、霊体験的なことは全く経験がない。だから、わたしが霊的なことを信じるとしたら、それは、ひとえに、霊体験を語る人の言葉を信じるか信じないかってことになる。で、わたしは、結論保留という状態で、ずっと宙ぶらりんしている。自分では、これっぽっちも、そういうことを感じないので、心からの肯定って、やっぱり難しいんだよね。でも、わたしの周りの信じるに足りる人たちが体験談を聞かせてくれるし・・・それは疑いたくないんだよね。だから保留。わたしには、そうしか出来ないわけです。

でもね・・・考えてみれば、わたしたちって、自分で見聞きしていないものを、あたりまえみたいに信じているよね。歴史的事実なんてやつ・・・これは全部が全部、自分が体験していないことだけど、本に書いてあるから、教科書に載っているから、学校でそう教わったし、みんなそう言ってるから・・・って、完全に信じ込んでいる。そもそも、みんな言ってるの「みんな」って、誰だよ・・・ねっ(^^;。

報道なんかにしてもそうだよね。昨日今日あたり、あの中国の「ダンボール入り肉まん」報道が、ヤラセだったって大騒ぎだけど・・・ダンボール入り肉まんの報道の時、ほとんどの人が、それを疑わなかったもんね。「あるある」も、そうだしね。我々は「テレビが言ってた」「ニュースで言ってた」っていうだけで、かなり無条件に近い状態で信じちゃってるよね。恥ずかしながら、マスコミにヤラレ放題って感じでしょ(^^;。

そうそう、社保庁の「確からしさ」ってやつも、正直、困ったものだよね。二段階くらい前の時点で、「払いました」の証明の基準をユルクしますという発表があって・・・たしか、家計簿とか会社の帳簿みたいなものも証拠として採用する可能性があるとかないとか言ってたよね。でも「そういったものすら提出できない人はどうするのか、泣き寝入るのか」って、マスコミも野党も世論的にも、ずいぶん批難してたよね。その時、正直、わたしは思ったのね。「人柄」ってのを見て欲しいよなぁ~って。もし、わたしが年金を支払っているのに支払ってないことになっていて、それを証明する手段を何も持っていなかったら、わたしは「わたしを信じてください。このわたしが嘘をつく人間かどうか、それを見てください」って言いたくなるだろうなって。けど、実際に第三者委員会だかなんだかが「人柄」ってのを、「信じる根拠」に挙げると、それは無茶だろうと思ったよね(爆)。

なんだか、物凄く安易に信じてしまう部分と、物凄く慎重になってしまって何も信じられない部分が、頭の中でも、心の中でも混沌としているなぁ~・・・と思う、今日この頃なのでした。