OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

心配性というより、危機意識をもって欲しいってことなんです(^^;

2011-01-27 16:35:01 | Weblog

基本的に放任主義です。

とはいっても、大切な人のことは、むちゃくちゃ強く、幸せに生きて欲しいって思っています。そのためのサポートは惜しまないとも思ってます。でも、あくまでもサポートです。他人の人生の主導権は握れませんから、結果として放任主義とやらになってしまいます。

だって・・・人が何によって幸せを得るかなんて、本人にしか分からないし・・・自分以外の人の人生に責任なんかとれないし・・・それって、しかたなくはないですか?

ただ・・・子どもが小さい頃には、危険ってことには神経質にならざるを得ませんよね。思わぬ事故とか事件に巻き込まれやしないかと・・・そういうことは、たとえ心配しても、どうしようもないのだけど・・・それでも、心配せずにはいられませんよね。

はじめて一人でお友達のお家に遊びに行った日、はじめて子どもたちだけでバスと電車に乗ってお出かけした日・・・はじめてじゃなくても、幼い子どもが目の届かないところへ出かけるときは、心配で心配で帰ってくるまで落ち着けないですよね。

裕太は、釣りが好きだったので、水辺の事故が、ほんとに心配だったし・・・藍那は女の子なので、変質者だとか通り魔などが心配でたまりませんでした・・・それは、幼いとはいえなくなった今でも心配です。だからといって、行動を制限するのは、彼らのためにならないと思うので、何かをするな的なことは言いませんが、常に十分気をつけなさい的なことは、口うるさいいくらいに言ってきたと思います。

だから、そういう方面に関して心配性な母親のことを彼らは小さい頃から認識していて・・・じゃっかん面倒くさいと思っていた様子なのですが・・・

最近、住まいの近くで、変質者による抱きつき行為などの被害が続出していると、巡回中のお巡りさんに注意喚起された藍那が、それをわたしに報告したらば、わたしが「そうなん、いいやねぇ~」と軽く返事したものだから、「もっと大騒ぎするかと思った」と拍子抜けした顔をしていました。

確かにねぇ~・・・藍那の認識では意外だったかもしれませんが・・・わたしの中では、理にかなった態度なんですよ、これって。

事故にしても事件にしても、たいていの場合、それは避けられない運命みたいなものだと思うんですよ、わたし。だから、事故や事件に遭遇して欲しくないと強く願ってはいるけれど・・・なんていうんだろう・・・わたしたちの人生には、どうしようもないことがあるということは、受け入れざるを得ないと思っているんです。

ただね・・・それでも、僅かだけれど、出来ることもあると・・・それは、本人が注意深くあること、慎重であること、自分だけは大丈夫などと過信はしないことだと思うんです。けど、うちの子ども達は、良くも悪くもノンビリしていて・・・楽天的というか、楽観的というか、性善説的というか・・・危機管理意識が極端に低い気がするんですよね。

彼らと接していて、それは彼らの好いところであり・・・彼らの魅力の基でもあるとは思うんですが・・・それにしても、危機意識が希薄だと思うんです。だから、親として、あえて口うるさく言っている部分が大きいんですよ、ええ、そういうことなんですよ、はい。

なので、今回のように、藍那本人が「怖い」と認識してくれていれば、わたしはそれで十分っていうか・・・気をつけなさい!と大騒ぎする必要がないわけです。

子どもが生まれてこの方、ずっと思っていました・・・子どもが無事に育つのって、奇跡みたいなことだって。それほど、多くの危険が、子どもたちの周りには存在しているって。でも、子どもたちって、なんとかその危険を潜り抜けて成長していくものなんですね・・・その幸運を、わたしたちは感謝しなくちゃいけないなって、ほんと、そう思います。


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