オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

降誕:過去から

2014-11-30 00:00:00 | 礼拝説教
2014年11月30日 アドベント第1主日礼拝
(マタイ1:1、17)岡田邦夫


 「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」。…「それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる」。マタイ福音書1:1、17

 星野富弘さんの作品の多くは花ですが、木を描いた『木を一本』というのがあります。詩文を読みましょう。
  大ホールはいりません
  そのかわり大きな木を一本
  残しておいて下さい
  春には小鳥の歌声
  夏は蝉の大合唱
  秋には枯れ葉の金の踊り
  冬は空高く木枯らしの笛
 この詩歌から思いをはせれば、人生の木とも見えてきます。華やかな大ホールにように賞賛を浴びるようなものはいらない。神の与えられた人生の春夏秋冬、人生の四季を時にかなって祝福してくださる神の御手の中で生きる大きな木のようでありたいと思います。
 さらに私はこの「大きな木」は旧約聖書における神の民の歴史を連想します。旧約聖書では「系図」も「歴史」も同じ言葉です(トールドート)。新約聖書の最初に出てくるこの系図は旧約全体を表す一本の木のようなものです。巨大な大聖堂(カテドラル)はいりません。この系図という木の一本で良いのです。
 イスラエルにとって「春」はアブラハムから始まる。後にエジプトで奴隷になったものの、立てられたモーセによってエジプトを脱出する。荒野にて乳と密の流れるカナン入国のため準備する。次は花咲く「夏」の時代を迎える。カナン入国をはたし、やがて王国時代へ続いていくが、栄枯盛衰の歴史を繰り広げる。花は枯れていくが、実りのある「秋」を迎える。分裂した北王国はアッシリア帝国に滅ぼされ、南王国もバビロン帝国に補囚される。しかし、奇跡的に祖国に帰還し、再建に生き延びるのである。その中で優れた預言者が排出される。しかし、沈黙に包まれる冬の時代がきます。預言者マラキの後は四百年、預言者が興らなかったのである(言い換えれば、旧約と新約の間にあるブランクである)。そして、新たな春の時代を迎えたということです。それが新約の時代です。

◇これこそ
 その中で最も重要な歴史の筋道を新約聖書の冒頭に述べられているのです。「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」。名もない人物のように、イエスはナザレの田舎から出てきます。しかし、正当なアブラハムの子孫、ダビデの子孫であることを系図で述べます。そして、時々の状況から展開して、流れ着いたというのではなく、まず、神の約束があって、その実現に向かう歴史だったことを述べています。
 アブラハムへの約束(創世記12:2-3):「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」。
 ダビデへの約束(2サムエル7:12-16):「あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」
 この約束にもとづき、神は預言者たちに救い主、メシヤはダビデの子孫から生まれると預言させていました。メシヤはヘブル語、意味は油注がれた者、ギリシャ語に訳すとキリストです。17節の「14代」という数字は7×2=完全、キリストの誕生は神の約束の完全な実現というメッセージです。約千年前のダビデ契約、約二千年前のアブラハム契約がイエス・キリストにおいて実現したのです。読んでいると「が生まれ」「が生まれ」と続き、カタカナばかりで眠くなってきますが、実は旧約と新約を結びつける、遠大で見事なメッセージなのです。

◇にもかかわらず
 そして、この系図の特記すべきことは、4人の女性の名が出てくることです。タマルはしゅうととの姦淫によってパレスとザラを産み(創38)、ラハブは遊女だったが、斥候をを助け、ボアズを産む(ヨシ2)、ルツはモアブ人(異邦人)だったがボアズに贖われ、オベデを産む(ルツ)。バテ・シェバはウリヤの妻だったが、ダビデに奪われ、ソロモンを産む(2サム11-12)。純血さ、正当さを強調しようとしたら、この系図の汚点になることです。しかし、あえて記しているのです。
 すべての人は御前に罪を犯している。その歴史なのだ。ダビデさえも容赦なく、それをさらけ出しているのです。そのような罪深い者にもかかわらず、神の恵みでおおわれ、赦されてきたのだ。その恵みは異邦人にもおよぶのだという、神の恵みの系譜なのです。神の恵みの約束、契約は純血ではなく、どんなに汚点があったとしても、どんなに罪深かったとしても、「それにもかかわらず」果たされていき、貫かれたのです。これが神の真実です。愛です。
 私たちにとってはここから始まるのです。こうして、千年、二千年の時をかけ、罪の歴史にふるわれながら、恵みに恵みを加え、神の真実が貫かれながら、神の人類への愛が熟成され、最も最高の状態で、神の御子、ダビデの子、救い主イエス・キリストが世に遣わされ、誕生されたのです。それがクリスマスです。キリストは遙か彼方の過去からやってきたのです。そして、未来を切り開くのです。神の国の恵みをもたらし、人類を贖い、新世界を切り開くのです。
 あなたがたがどんなに罪深かったとしても、それにもかかわらず、罪を贖い、キリストの家族にされたのです。人の血筋によらず、御子の血によって贖われ、神の子として恵みの相続人とされたのです。神の国の恵みの系図に載せられたのです。「にもかかわらず」なのです。一本の真のぶどうの木の枝とされたのです。幹はイエス・キリスト、私たちはその枝、実を結ぶように、祝福の実を結ぶようにつないでいただいたのです。過去、現在、未来の千千万万の聖徒たちと共に、大きな大きな一本のぶどうの木に私もつながっているのです。神の愛において永遠の命でつながっているのです。命の系図の中にいるのです。今年のクリスマスも、この祝福を誰かにお伝えしたいと思います。祈っていきましょう。

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